しっぽ物語 9.おやゆび姫
なかなか立ち上がらない女に手を差し出せば、やっとのことで自ら腰を上げる。
「今日はこれで終わりですよ」
無言で去っていく、これだけは果敢ない後姿が消えもしないうちに、Wは一つ大きなあくびを漏らし、長い腕を天に突き上げ伸びをした。
「記憶が戻ってなかったら、一週間後に」
『――それだけの間、病院の中を自由に動き回らせてくれたら、情報を提供する。万が一関係者に見つかっても、あんたの名前は絶対に出さない――』
「どうせ何も分からんだろうが」
『――あんたは座ってるだけでいい。俺が運んできてやる――』
電源を切り、薄汚れたカーテンの傍でぼんやり佇んだままの看護師に眼をやった。
「どう思う?」
「何も聞いていません」
冷たく言い捨て、さっきの女の三倍はありそうな大きな尻を向けることで会話を遮断する。
「そんなに院長先生のことがお嫌いですか?」
「そうでもないよ」
患者にかけるものと全く同じ声色を使う。肌寒さに鼻を擦れば、短く切った爪の間には、軟膏と自分を崇拝する女の篭った体臭が残っていた。
「彼は立派だ」
廊下で立ち話をするときですら、糞真面目な態度を崩そうとしない。胸の前で組み合わせた手に神経を配りながら、Bは静かな口調で漏らしたものだった。
『弟が金の無心に来ても、追い返してください』
滲んだ屈辱を押し隠すことに必死になっていた。そんなことを感じていることすら恥じているようだった。
『まだ救われていないせいもありますが……最近の彼の行動は眼に余る』
顰められた眉間にたっぷりとした充足のため息を吐いて見せつつも、Wはあくまでも鷹揚に返したものだった。
『根はいい方ですよ』
思えばあのときから、何かおかしなそぶりはあったのだ。善意に解釈し、見逃していただけで。
『救われると、貴方が』
作品名:しっぽ物語 9.おやゆび姫 作家名:セールス・マン