はは、負うた子に教えられて大根をもらう
「それ聞いて、ええーっと思ったね。あの子があんなにはっきりとしゃべるの聞いたの初めてだったからね」
驚くのはこっちのほうだ。
「そりゃああたしもね、猫は嫌いじゃないし、それに、いい毛並みだったよ。あの子は猫の子のことを本当に可哀想がっていた。あたしもねえ、可哀想だとは思うんだけど、やっぱりね、口の付いてるものはどうしようもないんだよ」
母は大根に付いた乾いた泥を手で払いながら言った。
その晩、カシカシと玉砂利踏んで帰るふたりの後ろ姿を、門灯をつけて見送りながら、引き止める言葉がのどまで出かかったのだという。
あの何食わぬ顔をして帰って来るまでの間に、そんなことがあったのか。
──可哀想だ。
──このままでは死んでしまう。
──人間は自分勝手だ。
あのときあいつは、そんなふうに言っていた。それで考えたのだろう。まあ、間違っちゃいない。そうか、うちがダメなら実家へか。友達の家だって、猫と聞いたら、どうせうんとは言わないだろうし。
自分は母の手もとを目で追いながら、息子が辿ったであろうあの日の考えを自分の頭の中に再現しようとした。しかし母の話はそれで終わりではなかった。遠くから伝わる音のように響いてきた。
──近所の人にも聞いてあげようか、って言ったらね。首を横に振るのよ。それで聞いてみたら、いいかい、あの子たちね、うちに来るまでに、あたりを五十軒くらい頼みに回ったって言うのよ。五十軒だよ。
しゃべるにつれて顔に赤みが差し、何かが乗り移ったかのように母は澱みなく続けた。
自分は次第に狭くなっていく視界の中をただ俯いて、父母が手塩にかけて育てた白い大根の表面を眺めていた。これからだな、大根の季節は、などと考えながら。
──箱を抱えて友達とふたりで、行っても行っても全部断られて、それで仕方なくうちに来たんだよ。うちにはうさぎがいるの知ってるからね。お前できるかい、この寒い中。夜のあの時間に、あんなに断られても断られても軒並み頼みに回るの──。
うわの空で聞きながら、あいつ大根は食ったっけかな、などとどうでもいいようなことを少し。
了
作品名:はは、負うた子に教えられて大根をもらう 作家名:中川 京人