愛憎渦巻く世界にて
樽一杯の水を早々と汲み終わったビクトリーは、城門の近くで、マリアンヌの到着を待っていた。
「ヒヒーン!!!」
という鳴き声は、もちろんビクトリーも耳にした。しかし、馬屋の人たちに、装甲馬車のメンテナンスをお願いしていたのを覚えていたので、慌てたり驚いたりはしなかった。熱心に取り組んでくれているのだと、感心するほどだ。
もちろんそれは、装甲馬車をブリタニアが運転している事実を知るまでの事だったが……。
彼女が運転する装甲馬車は、城門を猛スピードで通り過ぎていった。
「ひゃっほ〜〜〜♪」
楽しそうな声を聞き、運転しているのがブリタニアだと理解したビクトリー。運転席の正面には金網が貼ってあるが、よく見れば彼女だとわかったはずだ。
しかし、彼は声を聞いてから気づいたので、馬車を止める事ができなかった。リアバンパーになんとか右手が届いたものの、スピードと振動には勝てず、手を離してしまったのだ。
「イテテ!」
右手の指の腹に、痛々しい擦り傷をつくってしまったビクトリー。
「ブリタニア姫!!! 馬車を止めてください!!!」
指の痛みに耐えつつ、彼は大声で叫んだ。しかし、否定の返事すら無かった。走る騒音で、彼女の耳に届いていないようだ。
装甲馬車は、堀に架かる橋を渡り切り、大通りに入った。大通りにいた人々は、猛スピードの装甲馬車に驚愕し、さっと避けていく。ブリタニアが交通事故の加害者になる事態は、今のところ避けられている。
とはいえ、このまま見送るのはマズイと、ビクトリーが当然考えた。彼は馬を借りて、馬車を追いかけようとした。猛スピードで走る馬車といえど、単騎のスピードには敵わない。
しかし、その場ですぐに立ち止まる、予備の馬は一頭も馬屋にいなかったはず……。そもそも、馬が借りられないせいで、水入り樽を城下町まで手で運んでいたのだ。
彼は走ることが嫌いなわけじゃなかったが、馬車相手では無理がある。どうしようもない事になった。
「ビクトリーさん! さっきの馬の声はもしかして!」
マリアンヌがやって来た。フィリップもすぐに追いついた。ビクトリーは、フィリップが肌着姿である事が気になったが、今は質問しているどころじゃない。
突然の事とはいえ、ブリタニアを取り逃がしてしまった。息切れする二人にどう説明したものかと、彼は悩む。彼女を連れ戻すなら、ひたすら全力疾走しないと無理だからだ。もしその事を説明すれば、本当に走っていきかねない……。