愛憎渦巻く世界にて
「少しまずいですね」
ディーンは、なんとか冷静さを保てている口調で呟く。彼の手下たちはすでに、大半が戦死するか戦闘不能の状態に陥っている……。彼に忠実な強い手下たちが、彼の周囲をしっかり固め、ビクトリーだけでなく全員を寄せ付けないようにしていた。
「ここは一旦、引き上げましょうかね」
彼はまた呟くと、高音の口笛を鳴らす。
すると、町のほうから1台の馬車が、やかましい音を立てながら走ってくる……。2頭の黒い馬に引かれたその馬車は、暴走はしてはいないものの、荷車のほうが普通ではなかった……。
その馬車の荷車は、分厚くて頑丈そうな鉄板で、全体を覆われていたのだ……。荷車の乗降口のところには、同じく鉄製のドアが取りつけられている。さらに車輪も鉄製で、やかましい走行音の原因だった。まるで、長方形の大きな鉄製の箱が走っているかのようであった。
肝心の材料はおそらく、何かの残骸から調達したのであろう。溶接の跡が目立っていたが、しっかりとしたつくりにはなっているようだ。
馬車の運転手である御者も、安全な荷車の中にいることができたが、空気穴以外の窓が一切無く、冬でも中は蒸し暑そうだ。
その馬車は、我々の世界でいう装甲車だといえた。おそらくこの世界では、世界初の装甲車ということになるだろう。
その馬車は、ディーンの目の前で勢いよく急停車した。うるさい音ともに、荷車の後輪が一瞬浮き上がる。
「それではみなさん、またの機会にお会いしましょう」
彼はそう言い捨てると、何人かの手下たちとともに、馬車の荷車に急いで乗り込んでいく。全員乗り終わると、両開きの鉄製のドアが、大きな音を立てて閉まった。
「逃がすか!!!」
シャルルはそう叫ぶと、その馬車に急いで駆け寄り、ドアを思い切り叩く。
「またの機会にね」
鉄製のドアの向こう側から、ディーブの返事が小さく聞こえてきた。
もちろん納得できるはずはなく、シャルルは必死にドアを叩き続ける……。彼にとっては、絶好の復讐の機会だったからだ……。
だが無視され、返事の代わりとばかりに、馬車が急発進した……。そのせいで、彼はその場に尻餅をつく。そのときの彼の顔は、怒りで満ち溢れており、もはや鬼のようであった……。
馬車はそのまま、ふ頭から町のほうへと走っていく。馬車を引く2頭の馬の蹄の音と、金属と石とがぶつかり合う音が、またやかましく鳴り響く。馬車の走りを見たゲルマニアは、2頭とも良い馬だなと思わず呟いた……。
このまま逃がしてたまるものかと、余裕のあるタカミ兵たちは、まだ使えるマスケット銃を拾い、何発もの銃弾を、馬車へ向けて次々に撃ちまくる。狙いは鉄製の荷車では無く、2頭の馬のほうだ。いくら荷車が頑丈だろうと、馬車の動力源である馬を殺してしまえば、ただの箱と化す。
しかし、逃げる馬車は背中を向ける形となっており、荷車が邪魔で、走る馬に銃弾が1発も届かない……。銃弾が鉄製の荷車によって弾き飛ばされてしまうのだ……。荷車へのダメージも皆無のようであった。
ディーブたちを乗せた馬車は、何事も起きていないかのごとく、そのまま町のほうへ走り去ってしまった……。