あみのドミノ
ここは地上何階だったろうか、西口公園の街路灯が見えた。目の前で亜美乃は器用にナイフとフォークをあやつりパスタを食べている。もう晴れ晴れとした顔をしている。亜美乃のいう衝動とはあれで収まるのだろうか。
「亜美乃の衝動はキスだけで収まるの」
私は周りに聞こえないように小さな声で言った。
「まあ、そうね」
亜美乃は一瞬食事中の手を止めて、私の顔を見ながら「お父さんは」と続けた。私は食べものにたとえて言う。
「お腹が空いている時に、我慢していればそうでも無いけど、ちょっとだけ何か食べてしまうと、余計に食べたくなるなあ」
「ふーん、ああそうかもね。で、さっきはちょっとなのかなあ」
私は顔が赤くなった気がして、グラスの水を飲む。
「まあ、立ち食いそばくらいかな」と私が苦笑して言ったら、亜美乃は食べかけのサラダを少し吹き出して「はっはははは」と口を押さえながら笑った。近くの席にいた数人が亜美乃を見て、あきれたような顔をしてから顔を戻した。私もつられて笑う。ひとしきり笑い終わって、亜美乃は「もういいわ」とフォークを皿に置いた。
外に出てしばらく歩いたあと、亜美乃は「今日は帰るね。遅くなると奥様が心配するからね」と言った。私は名残惜しかったが、二人で駅に向かった。亜美乃は切符を買ったあと「コインロッカーの鍵持ってる? 忘れないでね」と言って改札口に入って行った。私は最後の「忘れないでね」がコインロッカーではなく、私自身に向けられた言葉のような気分になって、亜美乃の後ろ姿を目で追った。これからずっとこんな付き合いをして行く訳にはいかない。やがて来る別れの予感が沸き起こってきて、すーっとあたりの風景が暗く沈んで見えた。