あみのドミノ
5、おとうさん
土曜日で皆早く帰って社員は誰もいない。私は仕事のために会社に残っているのだと言い訳をしながら亜美乃からの電話を待っている。亜美乃の入った会社の電話は知っている。しかしなぜかためらわれて電話はしなかった。亜美乃に私の家の電話は教えていなかった。
電話が鳴った。私は思春期の男の子みたいにちょっとドキドキしながら受話器をとる。
「○○出版の……」
私の頭は仕事に切り替わり応対をする。ちょっとがっかりした感じがしたが、お前は仕事の電話と亜美乃からの電話のどちらが嬉しいんだと別の私が叱る。
しばらくして電話が鳴った。
「お忙しい所……」
セールスの電話だった。私はじゃけんに電話を切った。七時まで粘っても亜美乃からの電話は無かった。何か物足りない思いと、危険なゾーンへの侵入を避けてほっとしたような気持ちもあった。
「さてと、帰るか」
独り言が意外に大きく耳に響いてきて、私は急に孤独感に襲われた。妻のおっとりとした顔が頭に浮かんだ。私は家に電話をした。
「ああ、俺、土曜日だし、新宿に出て来る?」
急にそんな電話をしてびっくりしたのかも知れない。幸子は一瞬「えっ」と言って間があったが「急に言われても」と言ったあと、「うん、どこにいるの」と嬉しそうな声になった。私は時間がずれても間がもてる紀伊国屋書店を指定して電話を切った。
日曜日には一緒に街に出かけることはあったが、デートのようなことは何年もしていなかった。