あみのドミノ
私はちょっと照れた様子の亜美乃の顔が浮かんだ。逢いたい。今すぐに。
「じゃあ、水道橋の駅で待ち合わせようか。うん、七時」
私は心の中を隠し、さり気なくそう伝えた。
「実はね。面接は十分ぐらいで終わったんだよね。じゃあ、月曜から来てくれるなんてね、あ、はいと私が言ってから、話があちこち行ってね。皆あなたと同じくらいの人ばかりだとか、昔は食糧難で大変だったとか、次から次へと喋るんだよ、社長が……」
亜美乃もその社長に負けず劣らず喋り続けている。少し汗をかいているのだろうか、甘い匂いが漂ってる。私はその言葉を発する小さい口元と黒目がちの眼を見たりして、それだけで幸せな気分になっていた。時折、結婚する前に妻とこうして向かい合って話をしたことも思い出され、魂が過去と現在を往復する時の長さに一瞬めまいを覚えた。
注文したものが運ばれてきてやっと亜美乃は大人しくなった。ゆっくりと確実に噛んで呑み込んで行く。食べ物に敬意をもって粗末に扱わない。健康的な顔の色はこの食事の仕方からも窺えた。
「食事を終えて、すぐさようならというのもなんだな。新宿あたりでもぶらぶらするかい」
と私が言うと、亜美乃は「え、いいんですか。奥様は」と聞いてきた。
「あれ、娘らしくないことば」
私がそう言ったので、亜美乃はハッと気付いて笑い出した。
「変だよね。奥様はというのは。まるで浮気……」と亜美乃はそこで言葉を切って、
「やだ、何を言ってるんだろう私」と亜美乃が首をすくめた。
私は聞き逃さなかった。まるっきり父親がわりという気持ちでは無い。男としてみているんだろうという亜美乃の気持ちの一端が解った。かすかに匂う女の匂いで、男が自己主張しそうになる。私は嬉しさとともに微かな危険も感じていたが、それは程遠い先であるか、或いは思い上がりかも知れないと自分に言いきかせた。