しあわせの音
「きみは正真正銘の理想の女性だ。きみの子供なら、間違いなく愛せると思うよ」
電話が切れた。香奈はすぐに電源を切ったらしく、通話を再開することはできなかった。
翌朝、更衣室にいると、ふたりの乗務員の会話が耳に入った。
「香奈ちゃんは急にやめたらしいね」
「そうかよ。残念だな。ちくしょう。彼女が入ってから、みんな張り切っていたのによう……」
「女の運転手は長続きしないね。客に舐められるからかな」
「先週だったかな、料金を踏み倒されたらしいよ」
香奈は本当に乗務員をやめたらしい。それ以来姿を見ることはなかった。船越は何度も携帯電話で話そうとしたが、いつも電源が切られていた。そして、間もなく彼女の電話は契約解除したらしいメッセージに変わった。そのため、船越は仕方なく想いを断ち切ることになった。
数箇月後、船越は或る養護施設へボランティアとして赴いた。彼は油絵のサークルに入っていた。そのメンバーのひとりが病に倒れ、船越が養護施設内の絵画教室のインストラクターを、ピンチヒッターとして引き受けることにした。何か慣れないことをして、香奈への気持ちを封じ込めたかったのかも知れない。