夜明けの呼び鈴
「みんなトラックをぐるぐる回っているんだけど、どこがゴールなのか自分でもわからずに回っているんだよ。誰が何周回ったとか、そんなことではこの競技の勝ち負けはつかない。たった3周しか回らない人もいれば、何十周も回る人もいる。」
私はおじいちゃんの言いたいことがよくわからなかった。
「よくわからないよ。」
「そうか、それじゃ例えを変えよう。トラックの長距離じゃなくて、マラソンだ。」
「人生はマラソン?」
「そうだ。だけど、コースもゴールも人それぞれなんだ。自分でこっちがゴールだと思った方へ走る。だけど、ゴールの場所が決まっているわけじゃない。ある日、突然目の前にゴールが現れて、そこがゴールだったってことが分かるんだ。」
「ゴールって、死ぬってこと?」
「そうだ。死ぬって言うことは、やっとゴールにたどり着いた、って言うことなんだ。」
「誰かと一緒に走ることはできるの?」
「できるよ。だけど、ゴールの場所は人それぞれで、同じ場所でゴールすることはできないんだ。例え誰かと一緒に走って、一人がゴールしても、もう一人は自分のゴールが来るまで、走り続けなくてはならないんだ。」
私はおじいちゃんが言いたいことが、少しだけわかった。
「先にゴールした人のために、走り続ける人ができることはあるの?」
「あるとも。二つある。」
おじいちゃんははっきりと言った。
「一つは、そこに立ち止まらないってことだ。誰かが、ゴールした人のことばかり考えて、そこから一歩も走れなくなるのは、ゴールした人にとってとてもつらいことなんだ。」
おじいちゃんの言葉が私の心に突き刺さった。私は結花のことばかり考えて、一歩も走れなくなっている。
私に構わずにおじいちゃんは話し続ける。
「それからもう一つは、忘れないことだ。1年に1回でもいいから、思い出すことだ。」
「それって、前のと矛盾してない?」
「そう見えるかも知れないけれど、そうじゃない。走りながら、時々思い出してくれればいいんだ。それが一番の供養なんだよ。」
「おじいちゃんもおばあちゃんのこと、思い出す?」
「忘れたことはないよ。」
おじいちゃんはそう言うと、目を閉じて少し笑った。とっても薄い笑い方だった。
「いっぱいしゃべったから、疲れたちゃったよ。」
そのまま見守っていると、おじいちゃんは寝息を立て始めた。
「おじいちゃん・・・」
声を掛けたが、おじいちゃんは眠ったようだった。ずっと認知症かと思っていたおじいちゃんが、まともなことを話したのが驚きだった。
私は30分以上そのままの姿勢でいただろうか。おじいちゃんの寝息を確認すると、私は立ち上がった。
今日はもう帰ろう。そして、おじいちゃんとまともな会話ができたことを、お父さんに報告しよう。
私はそう考えながら、病室を後にした。
作品名:夜明けの呼び鈴 作家名:sirius2014