アイラブ桐生・第三部 28~29
巨大な軍事施設と基地ができた当初から、
駐留する米兵たちによる強姦や殺人、住居侵入や女性を目的とした
凶悪犯罪などが急増しました。
終戦による占領時からのわずか3年間で、被害は1000件を超えています。
基地の周辺で、夜な夜な女を求めて徘徊する米兵が、
住民の住居に侵入して強姦や暴行をする事件が多発をしたために、
性犯罪の減少を目的に、Aサイン制度と呼ばれる米軍による管理売春や、
八重島特殊街などが作られました。
ベトナム戦争が激化する中で、
巨大基地を背負ったままのコザ周辺では、軍需による繁栄が、
きわめて速い速度ですすみました。
それはまた同時に、欲望と暴力が常に吹き荒れるというきわめて危険な
無法地帯が、あらたにコザに誕生したことを意味しています。
1970年12月20日の未明に「コザ事件」は発生しました。
暴動に参加した多くの群衆と市民たちはその前日に、
別の集会でこの近辺に集まっていました。
前日に開かれたその集会は、
「毒ガス即時完全撤廃を要求する県民大会」で、
その参加者は、かるく一万人を超えていました。
コザ市に隣接する美里村・知花弾薬庫などに、
秘密裏に備蓄されてきた致死性の毒ガスが
1969年7月8日に漏れるという事件が発生をしています。
さらに同年の9月18日には、糸満市で酒気帯び運転かつ
スピード違反の米兵が、歩道へ乗り上げて、
沖縄人女性をれき殺するという事件が発生をしました。
地元の青年たちが、適正な現場検証と捜査を求めて
一週間にわたってMPたちのレッカー車と事故車の移動を
阻止したという経緯もあります。
米軍人がおこした犯罪の捜査権や逮捕権、裁判権などが、
米軍当局にゆだねられているために、
琉球警察は事件に手は出せません。
多くの被害者が人権を常に侵害されたまま、
踏みにじられてきました。
理不尽な泣き寝入りばかりを強いられてきた、
沖縄県民の反撃のきっかけを生み出したものが、毒ガス事件の発生と、
米兵による女性の轢殺事件です。
沖縄県民の日頃からの鬱積した感情と火種が、さらに
この「コザ暴動」へ発展をします。
この抗議集会後に、参加者の多くがコザ市の『中の町社交街』に
「忘年会」や交流などの名目などでとどまっていたことも、
事件を、より大きなものとした要因になったようです・・・・
(以下、詳細は後の機会に取り上げます)
作品名:アイラブ桐生・第三部 28~29 作家名:落合順平