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月下行 後編

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「じゃ、じゃあ切っ掛けって何よ?それさえ注意してれば、問題は
無いじゃないの?」
懸命に主張する花耶に氷上は微笑む。けれど愛しむよう双眸には、
乾いた絶望と諦めしかなかった。
「切っ掛けは……本当に小さい事で良いんだ。例えばお前が、俺の
事を好きになる、とかね」
「あ?え?」
思いがけない発言だった。一瞬、頭の中が真っ白になる。胸の鼓動
が高まるのを花耶は感じた。
「あたしが、あんたを?」
「そうだよ。好きになるだけで終わる。終わってしまえるんだ。ほ
んの薄皮一枚を突き破る労力でしかない。お前の中にある俺の血が、
元へと、俺へと還ろうとするんだ」
氷上は堪え切れずに顔を伏せた。固く握りしめた拳が小刻みに震え
ている。
「惨めじゃないか?愚かじゃないか?これほど残酷な結末ってある
か?違う意味で、俺は永遠にお前を失った。お前を喪わない為に、
お前を諦めるしかなかったんだ!」
「だから?だから、あんた、自分を愛さなければ良いって?」
「そうだよ。手に入れなければ、失う事は無いからね。お前が俺を
憎む限り、俺を受け入れない限り……安全だ。大丈夫なんだ」
絞り出すように答えて、氷上は手で顔を覆った。
残酷なパラドックス。出口の無い迷路みたいな。
氷上が一人でその身に負った葛藤や苦悩を思って花耶は言葉を失う。
「遠くから見守るだけでも良い。お前に存在を気付かれずとも良い
と思ってた。お前がそこで、その姿で生きてさえいてくれたら。俺
がお前を愛してる。お前が全てを忘れても、俺だけは愛してる。そ
れだけで良いと、本気で思ってたんだ」
それがどんなに虚しい机上の空論か、すぐにわかった。
手に入れずに愛するなんて不可能だった。出逢えばすぐに想いは再
燃した。
逢いたくて、恋しくて、自制はどこかへ吹き飛んでしまった。
想いを告げられない苦しさが、本心を裏切って口にする言葉が、態
度が辛かった。
守りたいのに、守れない。当然のように傍らにいる久宝寺に、嫉妬
と羨望の想いを抑えられなかった。
「己の愚かさはもう知ってる。けれど、だからこそ言うよ。桜庭、
どうか俺を」
死に絶えた恋の骸を抱え、尽きる事の無い悲しみの淵に沈もうとも
構わない。失いたくない。この身が引き裂かれても、もう二度と。
静かに満ちた涙が氷上の頬を伝い落ちる。無理に浮かべた笑みは不
格好に歪んでいた。
「俺を────愛さないで下さい」
どんなに自分が恋焦がれても。どんなに自分が愛を乞うても。どん
なに……叶わぬ恋に、この身が狂おうとも。
「気にする必要なんて無い。突き放して、拒めば良い。お前は俺を、
愛さなくていい」
みっともなく声が掠れる。込み上げる感情に負けてしまう。
本当の望みを口に出来ない苦しさは慣れたつもりだったのに。
まだ辛いらしい。氷上は崩れ落ちるように地面に膝を着いた。
決定的な一言を告げて、こんなにもダメージを受ける自分が哀れだ。
不甲斐なさを嘲笑う。これが『千ノ魔物の王』とは笑わせる。止め
どなく溢れる涙に成す術が無い。
もういっそこのまま消えてしまおうか。身を翻そうとした瞬間、そ
れは触れてきた。
「嘘つくんじゃないわよ。もうこれ以上、嘘ばっかり言わないで」
「さくらば?」
花耶の腕が支えるように、包むように、自分を抱きしめていた。
「そうやって嘘ばっかり言ってたら、本当の気持ちを見失うわ。そ
れとも、もう見失ってるの?」
やや見上げる位置に花耶の顔があった。自分と同じように跪き、腕
にしっかりと抱きとめてくれてる。氷上は慌てて涙を拭った。
「嘘なんか、そんな……俺は」
「この際、あたしがどうこう言う面倒な問題は置いていて。それよ
りあんたが本当にしたい事は何よ?本当の願いは?」
色素の薄い茶色の瞳。間近で輝くそれに氷上は抑え切れない衝動を
感じた。
「あんたは、あたしに言うべき言葉を間違ってる。違う?」
その一言で何かが弾けた。氷上は腕を伸ばした。
「俺は、お前を、愛してる。花耶」
溢れていくのは言葉と、涙と、真実の想い。腕の中にある身体を強
く抱きながら、氷上は枷を失ったように夢中で訴えた。
「俺を許してくれ。俺を……愛してくれ。俺を、俺だけを」
体裁も繕わず、がむしゃらに縋ってくる。花耶は笑みを浮かべた。
「それがあんたの願い?本当の、気持ち?」
ぎゅっと力を増した抱擁が答えだ。花耶はそっと息を吐き出す。
「だったらっもう良い。あたしも言うわ。あんたはどうしようもな
いバカよ。呆れたわ」
微かに氷上の身体が強張る。宥めるように軽く背中を撫でてやる。
「ねえ、どれだけの時間……待った?あたしを、あたしが生まれて
くるのを、待っていたの?」
「忘れたよ。過ぎた時間を数えても仕方ない。俺には待つことしか
出来なかった」
百年?二百年?ひたすら待ち続けたのだろうか?ただ一人きり?
切なくて、痛ましくて、花耶は泣きたくなった。
「辛くなかったの?待つ事なんて、もう止めてしまおうとは思わな
かったの?」
「いつか、お前が生まれ変わって来る。そう信じれば、大した事で
もなかった。いつかは、必ずある。それだけ知ってたから、待つ事
は苦痛じゃなかった。お前を、永遠に失う事に比べれば」
「あんた本当バカ。バカ氷上」
胸の痛みを誤魔化せず、花耶は声を殺して泣いた。
「どうして?泣いてるの?」
「あんたがバカ過ぎて。もう、あんまりバカ過ぎて」
罵る事も出来ない。胸が詰まる。愚かで、一途で、純粋で、絶望的
な恋が哀しくて辛い。
「あんた、死ぬ気だったんでしょう?あたしに全て話したら、もう
一人で死ぬつもりだったんでしょう?」
「……どうして?」
氷上は驚いた様子だったが否定はしなかった。花耶は涙の残る瞳で
怒ったように睨みつける。
「それはこっちのセリフよ。何で死ぬ気だったのよ?待つのが、嫌
になったの?」
手に入らない自分を追うのが苦痛なのか、と訊ねる花耶に氷上は首
を振る。
「待つ事に疲れたのも、確かにある。けどそれだけが理由じゃない。
このままここにいれば、いつかお前を……どうにかしてしまいそう
で怖いんだ。絶望に狂った俺が、お前を巻き込んで無理心中とか」
そうなる前に始末をつけるべきなんだ、と氷上は気丈に言い放つ。
「お前を失いたくない、その気持ちに今も偽りは無い。だから、俺
はもう行くよ。ここまで付き合ってくれて、ありがとう。桜庭」
「それはあんたの都合よ、氷上」
離しかけた手が掴まれる。驚いて見上げると、花耶の真剣な眼差し
と強気な笑みがあった。
「あたしの運命は、あたしが決める。だから氷上、あたしを連れて
行きなさい」
きっぱりと言い切って、花耶は晴れやかに笑った。


◇◇◇


教室の一番後ろになる席。今は廊下側になるが、取り敢えず最後尾
になる位置。そこが急激に身長が伸び始めた中学二年の頃からの、
自分の固定席だ。視力は悪くないので不都合はなかった。
「で、この年に制定された法が」
歴史関係の、特に日本史の授業は、どうしてこんなにも眠いのか。
久宝寺は”開けてるだけマシ”な虚ろな目で黒板を睨む。が、すぐ
に飽きて、明後日の方向へ視線を泳がせる。
花耶が姿を消して、既に一週間になる。普通なら、もうとっくに騒
作品名:月下行 後編 作家名:ルギ