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月下行 後編

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ぎになってる頃だ。
「桜庭?誰、それ?」
花耶の友人達も、バスケ部の仲間も、誰もがそう言って反問する。
『桜庭 花耶』なる人物は最初から存在しなかった。それが自分以
外の人間の認識であり、現実だった。
最初から存在しない人間が失踪したからと言って、誰が騒ぐだろう。
久宝寺は困惑した。が、不可解な現象の訳はすぐに分かった。
恐らくは氷上の仕業だ。もしかしたら花耶自身の意思も含まれてる
かもしれない。
バカ花、何を考えてやがる?自分に関する全ての記憶を消して、何
をするつもりなのか────…
うっすらとした予感はあった。けれど望ましくはない予測で、久宝
寺は強いて意識の中から排除していた。
突然、姿をくらませた花耶。その消息を追うのは不可能だ。氷上が
関わってるなら尚更だ。そして成す術もなく、ただ待ってる。
自分一人だけ記憶を消していかなかったという事は、何らかの役目
を期待しての事だろう。もし自分の危惧する予測が現実の物となれ
ば……わかる筈だ。少なくとも自分にだけは。
稀れ人と言い特殊な力を持っていても、所詮は一介の高校生だ。
久宝寺は手にしたシャーペンを弄ぶ。不意に、指が滑った。軽い音
を立てて、シャーペンが床に転がり落ちる。
「────っ!?」
反射的に身を乗り出した瞬間、強烈な電流に触れたように全身が震
えた。同時に、視界が波打つように大きく揺らぐ。たまらず床に膝
を打ちつけた。けれど目眩は収まらない。バランスを崩して背中が
机とイスにぶつかる。派手な音が教室内に響き渡った。
「おい?久宝寺、どうかしたのか?」
クラクラする。貧血に近い症状だ。が、真っ白になった頭の片隅で、
何かが弾けた。
「顔色が真っ青だぞ?気分でも悪いのか?」
震えが止まらない。顔を覆った指が冷たい。久宝寺はやっとの思い
で立ち上がる。ただならぬ雰囲気に室内がざわめく。
駆け寄った初老の教師に頷き、久宝寺は肩で息を吐く。
「保健室に……」
いつもに増して言葉少ない久宝寺の訴えは、すぐに聞き入れられた。


まだ衝撃が残る身体で、久宝寺はフラフラと歩いていた。
誰かを突き添わせると言う申し出は無理に振り切った。
保健室へは向かわなかった。自分に必要な物はそこには無いから。
「ああ────」
知らぬ間に部室へ来ていた。誰かが掛け忘れたのか、鍵は掛ってお
らず、ドアは難なく開いた。
ガランとした室内を眩しいぐらいの陽光が照らし出す。
つい一週間前まで花耶の物だったロッカー。その前に立って久宝寺
は目を閉じる。
「バカ花……そんなのありかよ」
ほんの僅かな出来事だったが、確かに視えた。脳裏に浮かんだ光景。
満開の桜の巨木。幻想的な景色だった。背景は暗闇なのに、そこだ
け仄かに明るくて……二人が、寄り添うように木にもたれている。
しっかりとつないだ手、互いの額を押し当てるようにして。
白磁めいて血の気が失せた顔色以外に異変はない。穏やかな顔は、
まるで眠ってるようだった。
ときおり風に散る花弁が、そっと二人に降り注ぐ。その眠りが安ら
かであるように、慈しみ、守るように。
そして次の瞬間、二人の姿は消えていた。全てが幻だったように、
跡形もなく。それを合図にして一斉に桜の花が散り始める。
嘆きの涙雨のように、音もなく散っていく桜の花で視界は閉ざされ
てしまう。
夢のように美しい、それが終焉だった。
「バカ花……桜庭」
その表情に苦悶の影が見えないと言って何になるだろう?二人は安
らかで幸せそうだと言って何になる?だって二人は逝ってしまった。
自分だけ置き去りにして、二人だけで────…
悪かったわね、と言う花耶の声が、ぼんやり聞こえた気がした。そ
れに久宝寺は激しい憤りを覚える。
謝罪などいらない。お前が生きて帰って来い。今すぐに、いつもの
ように────そうすれば許してやらない事もない。
胸中で不機嫌に呟いて、久宝寺は端整な顔を歪めた。
「花耶」
その名を呼んで、久宝寺は力なく床に崩れ落ちる。
やり切れない思い。喪失感で、心が生きたまま引き裂かれるようだ。
かけがえのないものを『失う』と言う事を、初めて知った気がする。
味気なく世界が色褪せていく。
「何で、お前……」
これが花耶の選んだ答え。氷上に無理強いされたと信じられれば、
もう少し気分もマシだったかもしれない。
二人のあの姿を見れば────つまらぬ憶測は気休めにもならない。
心中など時代遅れ、と蔑む気にもなれない。二人は互いに手を携え、
逝ってしまった。それを短絡的に裏切りだと非難するには、久宝寺
は花耶を知り過ぎていた。だから怒りよりも哀しみが勝る。
絶望に、目を開けてるのも辛いほど。
溢れだした涙が止まらない。声を殺して泣きながら、久宝寺は目前
のロッカーに拳を叩きつけた。そして縋る。
「花耶────っ!!」
答える者は、もういない。もう、永遠に。



Fin
作品名:月下行 後編 作家名:ルギ