入ったもの出たもの ―しんにゅう―
二人が寝入って一時間が経過し、丸い月が宙天を通り過ぎて西に少しばかり傾いだ頃。
夜はとっぷり更けていたが、朝にはまだほど遠い。
「…………?」
それなのに、弟のカクタスは目を覚ましてしまった。
(なんで起きちまったんだ?)
暗いままの天井をぼうっと眺めながら、訝しがる。
片割れの寝相はそう悪くないし、イビキもかいていない。耳に入るのは、風の音だけだ。他に耳に入る音というのはせいぜい自分の呼吸と鼓動くらい。
しかし、カクタスは違和感に気付く。
とたとたとた。
「…………?」
遠く、廊下をこちらに駆けて来る微かな足音が、耳に入る音の中にいつの間にか紛れ込んでいた。
(誰だぁ……こんな夜中に?)
カクタスは頭の半分を埋める眠気に浸るために瞼を閉じる。足音は着着と部屋に近付いてきていたが、さして気にすることも無く布団を首まで持ち上げた。
(ま、どうせ誰かが小便にでも行くんだろ)
そう結論付け、意識を手放そうと息を深く吐き、彼は煩わしい思考と音を拒絶する。
とんとん。
だが、今度は部屋の障子が叩かれる音が聞こえてきた。
「!?」
騒がしい風の音の中、はっきりと耳に入った異質な音。
カクタスは咄嗟に上半身を起こして入口の方を見遣る。そこからは、はっきりと人の気配が感じられた。
「――誰だ」
すかさずそう問い掛けたカクタスの横で、兄も入口の気配に気付いたのか、むくりと起き上がる。弟を横目に見、いつでも行動を起こせるようにそっと布団の中から抜け出た。
二人の素早いその行動は、生徒会や委員会を通して養われたものである。
「キ・エ・ラ?(誰ですか?)」
警戒心を露にしたアッシュが、低い声で再度そう問い掛ける。
幾多の妖(アヤカシ)の闊歩する現在の学園の状況から、この障子の先にいる相手が人間では無いという可能性を見つけ、二人の間に冷たい緊張が走った。
「……五等生(初等部五年生)の、美岬でございます」
しかし聞こえてきたのは、やや高めの少女の声だった。
「!?」
アッシュは仰天する。何故ならその声は名乗る通り、彼女のものだったからだ。
「な、なんでミサキちゃんが……」
動揺のあまりに心中の言葉を零した彼をよそに、障子の向こうからは声が響く。
「あれ、ここってアッシュ先輩とカクタス先輩のお部屋で合ってます、よね?」
いかにも人間らしく、いささか戸惑った風のその声に、双子は困惑した顔を見合せる。
(ねぇ、開けるべき?)
ミサキと特別親しいせいで、兄の困惑は自分のものよりも深いようだ。真偽を冷静に見極めることが出来ないくらいに戸惑っているのが、表情から読み取れる。
カクタスもまた、入り口付近にいるものが本物の後輩かどうか分からなかったが、状況から判断して本物では無い可能性の方が高いと踏んでいた。
しかし、困惑しきった兄の様子に、きっぱりと『否』という結論を下すことが憚られて、どうしようかと密かに思考を巡らす。
(止めとけって言っても、いつまでも気にしそうだしな……)
カクタスは暫く悩んだ。
その時ふと、天の助けのように記憶の断片からこの場に最適な対処法が浮かび上がる。
「……化物は、自分じゃ部屋とか家とか閉じられた空間には入れないって言うから、障子を開けさせろ」
小さな声でカクタスが告げれば、兄は頷いて戸に視線を戻す。
「入って来ていいよ」
言いながら、アッシュは袖の内に仕込みナイフを隠して立ち上がり、障子に近付く。
カクタスは布団の上に片膝を着いた体勢で、入り口を注意深く見つめていた。
からり。
緊迫した空気は即座に開いた戸の音に、一瞬掻き消される。途端、ひやりとした冷たい空気が部屋の中に入り込んだ。
「失礼します」
作品名:入ったもの出たもの ―しんにゅう― 作家名:狂言巡