運命の彼方
そう気付いた舞は、同じ電車に乗ろうと考え、電車を乗り換えようとしたが、また、無視されるのではと気付き、だまって幸樹を見つめていた。
だが、幸樹の顔が霞んで見えた。舞は幸樹を見失いように、急いで、目を拭いたが、幸樹の姿が見えないうちに電車は発車した。
目の異常を感じた舞は、泉佐野駅に着くと、駅近くの眼科医へ行った。
医者の診断によると、原因不明の難病だと聞かされ、病状の悪化は早く、やがて失明すると宣告されたのだ。
その瞬間、舞は幸樹の顔が浮かんだ。
(もう、お兄さんと逢えなくなった)
と泣き伏せた。
病院を出た舞は、家路を歩きながら自分に言った。
(お兄さんは、少女の舞の目が見えないと知ったら、どんなに悲しむかしれないから、お兄さんには絶対に知られないようにしなければ)
舞は悲しみに堪えられず、泣きながら家に帰ったが、義父母に心配を掛けたくないと思い何も言わなかった。
しかし、慎一のことを考えると、こんな私と結婚してくれるだろうかと、不安になった
が、運命と割り切り、慎一に目のことを話した。
慎一は、舞が失明すると知り、心細くなったのか、両親に話した。すると、両親が猛烈に反対したために、結婚は破談となった。
舞は覚悟していたとはいえ、一度決めた人生が脆くも崩れたために、自分一人で胸に収めていることが出来ず、養父母に話した。
養父母は悔し涙をながした。
「頑張るんだよ、舞」
養父が悔しさを堪え、舞を励ました。
「でも、慎一さんはなんて薄情なんでしょう。許せないわ」
養母が涙を流しながら言った。
「今更、人を恨んでも仕方ないよ」
妻の怒りを収めるように養父が言った。
「そうね、嫌われているのに、無理に結婚しても、舞の幸せは無いのよね。舞さん、辛いけど辛抱するのよ」
「はい、私には優しい両親が居るから、どんな悲しい目にあっても、我慢ができます」 「その言葉を聞いて安心したよ」
養父が言うと、
「いえ、私は安心できないわ」
養母が不安そうに言った。
「何が?」
「舞の今後が」
「そうだね、それを思うとね」
「心配しないで、私は何度も苦しい目にあっているから、これぐらいで負けないわ」
破婚は舞に大きな痛手ではなかった。
だから舞は、もう、死のうなどとは考えなかった。まして、本来なら、慎一と婚約が破談になった時点で、病院を辞めるべきだったが、養父母を悲しませたくないために辞めることが出来なかった。
だが、幸樹には絶対に見せられないのは、自分の目が見えなくなった姿だ。その姿を見られることは、死ぬより辛いことなのだ。
舞は、早々に病院を退職し、幸樹の前から姿を消さねばならないことを覚悟した。
幸樹はといえば、若くて美しい舞に恋心を抱いたことを反省し、関わりを避けるように舞を見ないように心がけていた。
だが、心の中では、胸が締め付けられるほどの切ない恋心を抱き、電車で遠ざかる舞を見送っていた。
舞の目が不治の病、そして、慎一との婚約が破綻したと知った先輩や同僚達は、急に苛めをやめ、優しくなった。だが、舞の目は、日に日に悪くなっていたが、先輩や同僚の暖かい助けにより勤務が出来た。
しかし、約束の十年が後、約一年となった六月三日。舞はこれ以上、勤務していると、幸樹に見破られるような気がしてきた。
そこで、仕事を終えた舞は、担当者に退職願いを提出した。
「退職願いは、一ヵ月前に提出することに決まっているので、退職日は一ヵ月後となりますが、それでいいですか」
担当者が言った。
「目の状態が悪いので、できましたら、もっと早く退職できないでしょうか」
「そう、でも、まだ、少しは見えるんでしょう。辞めるの早くない?」
「いえ、これ以上、勤めていると、重大な失敗をするかしれません。どうか、ご了承してください」 「そうね、じゃあ、上司に聞いてきます」 しばらくすると、上司が現われた。 「希望日時は?」 「六月十一日です」 この日は、幸樹がみさき総合病院で勤務する日だった。
「特別の事情だから許可します」 「有難うございます」
上司は、慰めの言葉を言おうとしたが、舞が哀れに思えて声が出なかった。
「長い間、お世話になりました。じゃあ、失礼します」
舞が出て行くと、上司が目に涙を浮かべ、可哀相にと呟いた。
やがて、六月十日の夜がきた。 翌日、早く床を出た舞は、化粧を始める。だが、涙が化粧を台無しにする。何度も同じことを繰り返しているうちに、涙が涸れたのか、美しく出来上がった。
家を出た舞は、明日から通ることがない道を心の中に刻みながら歩き、神に願う。 (お兄さんに逢わせてください)
なぜか、幸樹が電車に乗っていないような予感がしたのだ。舞は悲しくて涙が止まらない。心が急く舞の足は早くなる。
舞は泉佐野駅へ急いだ。だが。目の悪化と涙が道を見えなくし、焦れば焦るほど、歩く速度が遅くなる。
やっと駅に着いた時、電車が到着した。舞は、ハンカチで涙を拭き電車に乗った。
(居たわ!)
眠っている幸樹の顔を見て、舞は美しい顔が一層、輝いた。
舞は、幸樹が目を開けるまで、席に着かず、立ったまま、幸樹を見つめていた。
その気配を察したのか、幸樹は目を開けた。しかし、舞の美しさに魅了されたのか、何時ものように、知らない振りが出来なかった。
舞は自分の一番、美しい姿を幸樹に見せ、幸樹の胸の中で永遠に生きていたいと思い、美しく化粧をし、新しい服を着てきたのだ。
舞は心の中で言った。
(みさき公園駅で、永遠のお別がしたいです)
舞の言葉が通じたのか、幸樹が頷いた。 それを確認した舞は、幸樹にたいして、最後の笑顔を浮かべると席に着いた。
幸樹は、舞が別れをしたいという意味を誤解した。
(あの美しさは、結婚が間近に迫っていることを意味している。彼女は僕にお礼を言いたいが、僕が無視し続けたので、今日の帰りに、お礼が言いたいために、逢いたいと言っているんだ)
幸樹には辛い予測だった。
舞と幸樹は、互いに別れの辛さを堪えるかのよう、静かに目を閉じた。