運命の彼方
おばあちゃんが少女の自殺心を消してくれるかもしれないと考えて言った。
「もし、君が死んでいたら、おばあちゃんは、今の君と同じ悲しみを受けるんだよ。いや、君のお父さんやお母さんが死んで悲しい思いをしているのに、君までが死んだら、おばあちゃんは、悲しみのあまり死んでしまうよ。まして、愛する両親の死により、残った者の辛さを一番よく知っている君が死にたいという、僕は悲しくてならないよ」
「でも わたしは悲しいくて生きていられないわ」
和泉葛城山の展望台で、「大好き」というほど大好きな両親が死んだのだ。生きているのが嫌になる気持ちは痛いほどわかる。
少女の悲しみを考えると、月並みな言葉では少女の自殺を防げないと考えた幸輝は、思い切った条件を出すことにした。
「そんなに死にたいのか」
「はい、死にたいです、死なせてください」
少女が懇願するように言った。
「落ち着いて僕の話を聞いてくれないか。君のご両親は何時も君の傍に居る。そして、君の心の中に居る。だから、会いたいと思えば、いつでも心の中で会えるではないか。それでも、死にたいと思っているなら、僕が一緒に死んであげる。だから、僕に時をくれないか」
幸樹の提案があまりにも突飛だったので少女が疑わしそうに尋ねた。
「一緒に死んでくださるの、本当に」
「そうだよ」
少女の悲しみの顔が少し明るくなった。
「よかった、死ぬとき、わたし、とても淋しかったのよ」
死を阻止され、少女の死に対す一途な心に、小さな風穴が開いた。
「じゃあ、時をくれるんだね」
幸輝が念を押した。
「はい」
答えた少女が信頼の目で幸樹を見る。
「じゃあ、約束してくれないか」
幸樹は、少女が心変わりしないように自分の小指を差しだすと、その指に少女の白くて細い指が絡んだ。
「約束します」
少女は決心したのか力強く言った。
「約束を破ったら、死んだとき、閻魔さんに舌を抜かれ、両親にも会えなくなるよ」
幸樹が冗談の心算でいうと、少女が不安そうに尋ねる。
「時て、どのくらい?」
「そうだな」
(十年も経てば、素敵な若者と交際、いや、結婚をして、子供が生まれているだろう。子を持つ母親が、死にたい等と思う筈ない。もし、本当に死にたいと思い、ここへ来たらどんな醜い嘘をついてでも死から守る。嘘が通じないなら、少女の願いを聞き届ける)
幸樹は、それが自分の定めだと決めた。
「十年後の今日、六月十五日、この磯の上で。もし、幸せだったら、絶対に来ないでくれ。僕は君が来ないよう、毎日、君の幸せを祈っているからね」
「十年も!、あまりにも先が長いわ」
年月の長さに驚いた少女が不満そうに言った。
「約束したね」
「ずるいわ。でも、約束を破ったら、閻魔さまに舌を抜かれ、父さんや母さんにに会えなくなるから約束を守るわ」
少女は嫌々 承知した。
「有難う。感謝する」
「おじさんが感謝するなんて、変よ」
「そんなに変かね、でも、僕はそうは思わないけどね」
少女は、弁解する幸樹の顔をしげしげと見る。
何と思われようと構わない。兎に角、人が死のうと思えば、いくら、周囲が警戒しても阻止するのは不可能だから、少女の約束ほど確かなものはない。
安心したのか、幸輝は、ふと、少女の両親の名前を思いだして言った。
「君の姓は、白い可憐な花、サギソウの鷺草なんだね」
「そうよ、なぜ、知っているの?」
少女は驚いたように幸樹を見る。
模型飛行機を操縦する少女の姿を見たとき、サギソウの花が思い浮かんだ。その少女の名字が、サギソウだと知って、その不思議に改めて驚く幸輝だった。
「報道で知ったんだよ」
「そうなの」
少女の顔に悲しみが蘇った。
「そうだ、僕は、君と君の両親を忘れないために、この場所を、鷺草の磯、鷺草の海と呼びたいと思っただけど、どうかな?」
「両親の名字を付けるなんて、きっと、お父さんやお母さんは喜んでいます。わたしもよ」
幸樹を見つめていた少女が急に驚いたように言った。
「お兄さんは、コンタクトレンズを落とした人でしょう」
「覚えていたんですか」
「はい」
少女は、先程から、幸樹を見てどこで逢ったかのか思い出そうとしていたのだ。それが今、思い出したのだ。
「僕は最初から知っていたよ」
「どうして」
「仲が良い親子を見て、僕は羨ましく思っていたんでね」
急に少女が泣きだした。
「辛いことを思い出させてごめんね」
「いいの、もう、泣かないわ」
幸輝は、考えていたことを思い切って言った。
「ねえ、僕の子供にならないか」
少女は激しく首を振った。
「なぜ?」
幸輝は失望を隠せないで尋ねた。
「身体の不自由なおばあちゃんがいるんです」
「そうか、僕の提案を受け入れてくれたのは、おばあちゃんを思い出したんだね」
「ええ、おばあちゃんが心配だから、わたし帰るわ」
少女は、急に祖母のことが心配になったようだ。
「それがいい」
二人の濡れた衣服は、何時の間にか乾いていた。
少女と幸樹は、鷺草の磯の上に立ち、少女の亡き両親の冥福を祈っていたが、悲しみに耐えられなくなった少女は肩を震わせて泣いた。 やがて、少女は悲しみを振り切るように、砂浜を歩きだした。
「君は此処へ、よく、一人で来られたね」
幸樹が話し掛けた。
「三日前、親戚の人たちと一緒にきたのよ」
少女が悲しそうに言った。
「車で?」
「電車よ」
「道に迷わなかった?」
「一度きたから、たとえ目が見えなくても来られるわ」
やがて、二人は松林を通り抜け、幸輝が道路に停めていた車へ着いた。
「そうだ、住所を聞いていないね」
「大阪の豊中市です」
幸輝は、少女を車に乗せると、車を静かに発車させた。
やがて、大阪府に入った時、突然、少女が言った。
「阪急電車の梅田駅まで送ってください」
「ええ!、また、どうして?」
「何も無かったような顔をして帰りたいんです」
「なるほど、おばあちゃんを心配させたくないんだね」
幸輝は、不安だったが、少女の祖母を思う強い意志を知り、少女の求めに応じた。 阪急駅の改札口前に着くと少女が言った。
「約束を忘れないでね」
「絶対に忘れないよ」
「嬉しい、わたしの傍には何時も両親とおばあちゃんが居る、そして、お兄さんが」
「お兄さんと言ったね、最初のように、おじさんでいいよ」
少女が真剣な顔で言った。
「だって、私にはお兄さんに見えるんだもの」
「ありがとう。お世辞でもね」
少女は、祖母のことが気になるのか。
「おばあちゃんが心配するから、帰るわ」
「おばあちゃんと幸せにな。じゃあ、さよなら」