運命の彼方
幸樹が様々な心の葛藤を繰り返しながら、誰も居ない白い砂浜を見ていると、白い服装の女性が一人、松林から出てきた。
幸樹は、その女性の姿を凝視していたが、
「鷺草の少女だ!」
幸樹が歓喜とも苦痛とも分からない声を上げた。
「少女は時間も覚えていたのだ」
砂を蹴って少女に向かって走りだした。
女性は体調が良くないのか、倒れそうになりながら、こちらに向かってくる。
「見覚えがある白い服装、それに長い黒髪、鷺草の少女に間違いない」
呟きながら走る幸樹。
「僕が行く」
女性に向かって叫んだ。
だが、女性は気が急くのか、身体は急ぐが足が砂に取られて倒れ、起き上がると、すぐ倒れるを繰り返しながら前に進む。
「歩かずに、そこで、待っていてください」
女性は、幸樹の言葉が聞こえないのか、歩きを止めようとしなかった。
やっと、幸樹が駆け寄った時、女性は顔を砂に埋めるようにして倒れ、足の数ヶ所から血が出ていた。
幸樹は、女性を助け起ながら言った。
「可哀相に、こんなに怪我をしている。こんな辛い思いをしてでも、鷺草の海へ来たののは、死ぬために来たんだね」
助け起こされた女性は、涙と砂まみれの顔を手で拭こうとした。
「僕が拭いて上げる」
幸樹は、ハンカチを取りだし女性の顔を拭いていたが、現われた顔を見て驚いた。
「君は!」
驚いて、次の言葉が出ない。
「舞です」
「姿形が変わっているけど、舞さんだね」
「はい」
「僕は、舞さんを見て、鷺草の少女が来たと勘違いをしました」 九年前、舞は幸樹との約束を破り、死ぬために鷺草の海へ来たが、幸樹が鷺草の磯の上で、怒涛のような波の飛沫を浴びながら立っていた姿を見、幸樹がどれほど自分を案じているかを知り、二度と、鷺草の海へ来ないと誓ったのだ。
そして、幸樹が鷺草の少女を助けた意義があったと思えるように、如何なる苦難に見舞われようとも、絶対に死なないと誓ったのだ。
そのため、幸樹には絶対に鷺草の少女の不幸を見せたくないと思い、先生がお兄さんと知った時も、舞は名乗らなかった。
また、十日前、ここで、幸樹が話した、鷺草の少女が死んだのは自分の責任だと苦しむ様を見ても、名乗ることが幸樹を失望さすと考え、名乗らなかった。
しかし、今日は、幸樹が鷺草の少女を死なせたと苦しみながらも、鷺草の少女が現われるのを待っている。少しの希望を抱き、暗くなるまで、いや、一生、この磯の上に居ると思うと、もう、黙っていることが出来なくなったのだ。
そこで舞は、どんな辛い結果になろうとも、鷺草舞と名乗るために来たのだ。
しかし、幸樹の様子から、舞が予想していたより遥かに強く、幸樹が鷺草舞を愛していることを知ったのだ。
(お兄さんは、鷺草舞の幻影を追い掛けている。それなのに、目が見えない私が鷺草舞ですと名乗ったら、お兄さんが命より大切と思っていた幻影が壊れ、失望し、私に騙されていたと怒るに違いない)
と考えた舞は恐くて名乗ることが出来なくなった。
「鷺草の少女は死んだのだ。来る筈がない」
幸樹は、自分を納得さすように言った。
「そんなに、少女に逢いたかったの」
舞はが泣きながら尋ねた。
「気を悪くしないでください、僕が愛しているのは舞さんだけだから」
「いえ、そんなことで泣いたりしません」
「そうだ、まず、傷の手当てをしようね」
幸樹は、舞を抱き上げると、松の木の下のへ連れていき、治療を始めた。
「でも、驚いたね、こんな痛い思いをしてまで、来るとは想像もしていなかったよ。なぜ、そうまでして来たの」
幸樹が心配げに尋ねた。
「先生のことが心配で心配で堪らなかったの」
目に涙を一杯ためて言った。
「そう、そんなに僕のことが心配だったのか」
舞が頷き、
「お弁当を持ってきたわ」
舞は弁当を幸樹に渡した。
「あれ、これは、僕が大好きなサンドイッチだね。ありがとう」
すると、舞が泣きだした。
「なぜ、泣くの?」
幸樹が心配げに尋ねた。
「先生の大好きな卵焼きが出来なかったの」
舞が悲しげに言った。
「火が使えないんだから仕方ないよ。卵焼きなどどうでもいい。僕は、舞さんが作った食事なら、何でも美味しいよ」 「嬉しいわ」
「でも、よく、一人で来られたね」
「一度きたら、目が見えなくても来られるわ」
舞の言葉を聞いた瞬間、幸樹の顔が驚きに変わった。
「その言葉、何時も、夢の中で聞いている!」
幸樹は、舞の顔を凝視した後、昂ぶる心を抑えながら言った。
「君は、もしかしたら」
舞は、幸樹の次の言葉を待っていた。
「君は、鷺草の少女だね」
隠し事がばれたと知り、舞の目から涙が溢れでた。 「嘘をついていてごめんなさい」
舞は、どんな罰でも受ける覚悟した。
「立ち上がって、顔をよく見せてください」
幸樹は舞を立たせると、ハンカチで舞の涙を優しく拭いた。 「ザキソウの少女の面影が残っている、君に逢えて、僕は幸せだ!」
幸樹が歓喜の声を上げ、舞の手を強く握った。
「お兄さん!」
十年前の少女に戻った舞は、幸樹に抱きついた。
「可哀相に、今日まで、お兄さん、と呼べなかったんだね」
うん、と舞が頷く。
その愛らしさに、幸樹は舞を抱き上げ、ひしと抱き締めて言った。
「もう、君を絶対に一人で帰らしたりしないからね」
「本当のことが告げられずに嘘を付いていました。御免なさい」
舞は泣きながら謝った。
「いいんだ。僕にとって、こんな嬉しいことはない」 幸樹は、舞を下ろして尋ねた。
「でも、なぜ、逢った時に教えてくれなかったんだ」
「鷺草舞は、幸せにならないといけないのです。そうでないと、お兄さんに助けられた意味がないのです。だから、不幸な鷺草舞をお兄さんに見せたくなかったんです」
「そんなに、難しく考えていたんですか、僕は、どんな舞さんであってもいいんです」 舞が少女のように言った。
「お兄さんは、少女の私の方が好きだったの?」
「好きで好きで堪らないほど好きだったよ」
「嬉しいわ、でも、電車で逢った和泉舞は?」
「死ぬほど愛しているよ」
「好きと愛するのは違うの」
「難しいから答えないよ」
「そう、いつか言っていたでしょう、大切な人が二人も居ると、あの人たちはどこに居るの?」
「目の前に居るよ」
「私なの」
「そうです。じゃあ、僕も聞くけど、舞さんの瞳に居る大切な人とは?」
「何時までも、私の胸にそっと仕舞って置きたかったけど教えてあげる。大切な人は、十年前から私の瞳の中に居て、今も前に居ます」
「それ、僕のこと」