運命の彼方
やがて、約束の日まで、後十一日となった六月四日、幸樹は舞に、自分が何をしているかを報せたかった。
無論、それが形を変えた遺言になるかもしれないと考えての上である。
その夜、幸樹は舞に電話した。
「明日、僕は和歌山の海に行きます。付き合ってくれませんか」
舞には、幸樹が訳を話さなくても、舞の両親の冥福を祈りに行くことがわかっていた。 (明日は、両親の命日、きっと、私の代わりに行ってくださるんだわ)
嬉しくて、舞の目から涙が溢れた。
「はい、喜んで御供します」
「よかった、じゃあ、明日の朝、迎えに行きますから、待っていてください」 六月五日は、舞の両親が死んだ日である。だが、舞は知らないが、幸樹の心の中では、この日、鷺草の少女も死んでいたのだ。
翌日、幸樹は舞を車に乗せると、JR和泉砂川駅へ向かった。駅に着くと、幸樹は車を駐車場に預け、キップを買って、改札口を入った。
「あら、車で行くのでは?」
舞が不思議そうな顔をして尋ねた。
「電車で行くことにしたんだ」
「なぜ?」
「遠出は出来るだけ車に乗らないようにしているんだ」
「それは、また、何故なの?」
「約束を果たすためです。もし、車の事故で死んだり、身体が不自由になったら約束が果たせなくなるからです。約束は僕の命、僕の人生なのです」
「そうだったんですか」
舞は幸樹から、鷺草の少女が命であり人生だと聞き、嬉しさと同時に、今の和泉舞は、それほど大切に思っていないのだと思い、悲しくなってきた。
しかし、目が見えない足手纏いの自分では、今、以上の愛を望のは虫が良すぎると諦めていた。
舞は幸樹に流れる涙を見られないよう窓の外へ顔を向けて考えた。
(じゃあ、私を車で梅見や和泉葛城山へ、危険を犯してまで連れていったのは?)
聞きたかったが、今は聞いていけないのだ。
やがて、鷺草の海に通ずる駅に付いた。
「これから、悲しい海へ行きます」
幸樹は舞の手をとって歩き始めた。
「舞さんは、目が見えるように、上手に歩けますね」
「先生の導きが上手なせいでしょう」
舞は、自分の目が見えなくなると知った週の日曜日から、目が完全に見えなくなるまでの間、鷺草の海へ一人で来られるように、駅から鷺草の海まで歩く練習をしていたのだ。 やがて、湾の入り口に着いた。
「松林に入ります。足元には松の根子だらけなので、足を少し高く上げながら歩くようにしてください」
やがて、舞の足が柔らかい砂に沈む。
「海岸の砂浜に出たのね」
「そう、美しい浜辺にね」
舞は、倒れそうになりながら、幸樹が導く手をしっかりと握り歩いてゆく。
「着いたよ」
「ここが目的地だったのね」
「そうだよ、舞さんには、何の関係も無いことだけど、ぜひ、聞いてもらいたいと思ってお誘いしたのです。どうか、聞いてください」
「はい、お聞きします」
舞はどんな話をするのか、胸をどきどきさせながら待っていた。
「この海には悲しい事件があったのです」
舞は、黙って聞くことにした。
「今から十年前、僕は大阪の和泉葛城山の展望台で可愛い少女に出逢いました。それから一ヵ月後の六月十五日、この松の木の下で眠っていると、その少女が横を通って行くのです。僕は、少女があの優しい両親と一緒に来たんだと思って、周りを見ましたが誰も居ないので、不審に思い少女を見ました。すると少女は、磯の上に立ち、海をながめていたが、急に両手を合わせると海に飛び込みました」
あの日の辛さを思いだした舞が泣きだした。
「分かったんですね、少女が自殺しようとしたことを、そうなんです、僕は急いで少女を助け、この松の下の柔らかい青草の上に寝かせ、飲んだ海水を吐き出させた。すると、少女の意識は戻ったが、僕を恨めしそうな目でみて、何故、助けたのかといいました。
訳を聞くと、十日前、少女の両親がこの海で死んだというのだ。僕は少女や少女の両親が哀れに思い、少女の両親に誓った。絶対に少女を守ってみせると。そこで、少女に、それほど死にたいのなら僕が一緒に死んで上げるから、時間をくれと言ったら、少女は応じてくれた。待つ時間が十年先だったことに少女は不満だったのか、翌年の六月五日、この海で死んだんです」
「その少女は本当に死んだんですか?」
舞が驚いて尋ねた。
「と思っている、なぜなら、少女は死んで両親の所へ行きたいと言っていたからね」
私を勝手に殺さないでと思いながら尋ねた。
「顔を見たんですか?」
「極秘扱いなので顔は見えなかったが、十一、二歳の少女と報道していたからね」
「それだけで、その少女と信じたんですか?」
「確信は無かったげと、あんなに両親を慕っていたのだ、僕は、あの少女に間違いないと思い、六月五日と十五日には、この磯の上から、少女と少女の両親に詫びをし、冥福を祈っているんだ」
舞は幸樹が自分や両親のことをどんなに思っていたかを知り、涙が止まらなかった。
しかし、今更、私がその少女ですとは言えないため、隠し続けようと思った。
「今日は、少女とその両親の冥福を祈りにきたんだ。もし、差し支えがなかったら、一緒に冥福を祈ってくれませんか」
「はい」
複雑な心境の舞は、ただ、はい、としか言えなかった。
幸樹は、持っていた二つの花束の一つを舞に持たせ、磯の上に立たせた。
舞と幸樹は、同時に花束を投げた。
(お父さん、お母さん、やっと、命日にこれました。これも、お父さんやお母さんの有り難い導きと思っています、どうか、安らかにお眠りください)
生きる苦労を知った舞は、両親の苦労が分かり哀れでならなかった。
「舞さん、ありがとう、きっと、少女と両親は喜んでいるでしよう」 「ええ、来てよかったわ。ところで、十五日も来るんですか?」
「命を賭けた約束だよ。だから、その日まで、僕は病気や事故に遇えない、まして、死ぬことは絶対に許されないのだ。舞さんの瞳の中に居る大切な人のようにね。すまない、余計なことを言ったりして」
舞は返答に困っていた。
「じゃあ、食事をしよね」
幸樹は舞を松の木の下へ導くと、青草をテーブル代わりに、梅見の時と同じサンドイッチを並べた。
「これが舞さんとの最後の食事になるかもしれません。さあ、召し上がってください」 普通なら悲しい会話だが、舞には嬉しくて涙が止まらない。
食事を終えた二人は帰途に付いた。
舞を家に送り届けた幸樹は、舞を家に入れ、ドーアを外から閉じると言った。
「僕は、舞さんが死ぬほど好きです」
叫ぶように言うと、幸樹は、車に飛び乗って帰っていった。
その言葉を聞いて舞は、信じられない面持ちでいたが、