運命の彼方
牛滝山には、いよやかの郷、牛滝温泉せせらぎ荘がある。 車は欝蒼と茂った木々に囲まれた道を曲がりくねりながら頂上を目指した。 舞は両親と楽しく過ごしたあの日を思いだし涙が出るのを止められなかった。だが、その涙を幸樹には見せられないため、車の窓を開け、外の景色を見た。
外からの風は、流れ出る涙を一気に吹き飛ばす。
やがて、車は和泉葛城山の駐車場に着いた。開けた窓から、婦女子の賑やかな声が聞こえてくる。
「着きましたよ」
「もう、着いたの?」
「そう、レストラン広場の前にね」
「だから賑やかなのね。人は多いの?」
「それほどでもないけど、親子連れで賑わっているよ」
舞の目に十年前の景色が甦り、思わず涙が出そうになる。
幸樹は駐車場に車を停め、舞を車から降ろした。
「いい薫り」
舞が気持ちよさそうに大きく深呼吸をした。
「もっと、いい薫りがする所へ案内するからね」
舞には、そこが何処か分かっていたが知らない振りをする。
「それは何処なの?」
「そこへ行く前に、神様を参拝しましょうね」
幸樹は、和泉葛城山頂上の神社への階段を舞の手をとり登り、竜王神社と葛城神社を参拝した。
「すぐ下に展望台があるんです。その展望台の窓へ吹いてくる風の中には、この美しい紀泉高原の全ての薫りが含まれているんだよ」
「景色が見えなくて残念ですけど、ぜひ、行ってみたいわ」
「展望台へ続く道は、雨風に曝されて危険な道だから、ゆっくりと歩くよ」
幸樹は、舞の手をつよく握り、降り始めた。
(この強い手は、絶対に死なせないと言った時の手と同じ)
舞の目に、優しい幸樹の姿が映り、自然と涙が出る。
やがて、展望台の最上階へ上がった。
「さあ、ここが展望台の窓です」
幸樹は無意識に鷺草の少女が手を振っていた窓へ舞を誘い、自分もあの日と同じ所に立ち萱原を見たたが、その顔が見る見る失望に変わった。
気候変動か時期のせいか定かではないが、青々した萱原は無かったのだ。
「青い萱原と模型飛行機を見たかった」
小さい声で、幸樹が失望したように言った。 「青い萱とか、模型飛行機て何ですか?」
舞は意味が分からず尋ねた。
「十年前に来た時は、青い萱原が広がっていたんですよ。そして、その萱原の上には、模型飛行機が飛んでいたんですよ。その景色がとても美しかったので、僕の心に深く刻まれているんです」
舞は幸樹が鷺草舞のことを思っていることを知った。
(鷺草舞が、私だと知ったら、お兄さんは、きっと、失望するに違いないわ、やっぱり名乗らなくて良かった。でも、私は悲しい)
舞は、思い切り泣きたかったが堪え忍んで言った。
「心に沁みる薫り、目が見えなくても、紀泉高原の美しさが感じられます」
「風の向こうには緑の山々が重なり合い、その遥か向こうには、また、緑の山々が重なり合っています。その遥か向こうの山々に通ずる一本の道があり、親子連れらしき人が歩いています。僕はその後を追いたいのですが、舞さんは歩けるけますか」
舞は、幸樹が自分たち親子の姿を思い出していると思い、思わず泣いてしまった。
「ごめん、無理を言って」
「いえ、先生に優しくされたからです」
「じゃあ、歩いてくれるんですね」
「はい、喜んで」
「じゃあ、萱が芽生えていないが、模型飛行機を持ってきているから、飛ばした後、遥か向こうの山まで歩こうね」
幸樹が、あの日、鷺草親子が辿った道を同じように歩こうとすることを知った。
(お兄さんの心の中には、鷺草舞だけしか居ない)
舞は急に淋しくなった。
模型飛行機遊びを終わった幸樹と舞は、親子連れが通った道を歩き、やがて、五本松に辿り着いた。
幸樹は、舞をこれ以上歩かすのは無理と思い、喫茶店でコーヒを飲み、後戻りをして、神社下のレストラン広場で多くの人たちと一緒に食事をした。
食事が終わった時、幸樹が言った。
「僕の大切な所を舞さんにも知ってもらいたいと思い、舞さんをお誘いしました。今日は本当に有難う」
舞こそ、幸樹にお礼を言いたかったが、それが出来ない自分が悲しかった。 そして、幸樹が鷺草の少女をどんなに大切にしているかを知ると同時に、その少女が足で纏いの舞だと知ったら、幸樹がどう思うかと、また不安になる舞だった。
再会の駅
翌日。午前の診療時間が終わって一時間後、舞の事務室へ和歌子と早苗が入ってきた。 その時、幸樹は医療機器メーカと話し合っていた。
早苗は憎々しげに言った。
「和歌子さん、まだ、目の見えない人が居たわ。私の命令を無視したのね」
「ええ、何度、注意しても来るのよ」
と和歌子が言った。
「目が見えないため、将来が不安だから、泥棒猫のように、幸樹を私から奪って、全財産を自分の物にしようと考えているんだわ。なんて卑しく卑劣なんでしょう。今、すぐ、出て行かないのなら、私が幸樹に言い付けるわ。この目が見えない強欲女は、貴方の同情を買い、全財産を奪おうと考えているのよとね。さあ、どうするの!」
どんな苛めでも我慢をするつもりだった舞だが、泥棒呼ばわりや遺産狙いだと言われ、我慢出来なくなった舞は、泣きながら事務室を飛び出した。その背に早苗が言った。
「二度と来ないで」
家に帰った舞は、一人で泣いていた。
「お兄さん、助けて!」
しかし、幸樹の優しい声は聞こえて来なかった。
「私は、何と言われても我慢できます。でも、お兄さんに悪く思われたくないために、逃げ帰ってきたの。これで、お兄さんとは永遠に逢えなくなってしまった」
と泣き崩れた。
舞は、昨日の幸せを思い出そうとした。しかし、目が見えない舞の目に浮かぶのは、幸樹と出逢った十年前の景色だった。
幸樹のコンタクトレンズを一生懸命さがしたときの、何の悩みもなかったあの日が羨ましく思う舞だった。
(あの日に戻りたい!)
舞は、心の中で叫んだ。
(今の両親は大好き、でも、私は以前のお父さん、お母さんがもっと好きです。私は、もう一度、お父さんやお母さんと一緒に模型飛行機を飛ばしたい。勿論、お兄さんには出出逢わないことにするの、だって、こんな辛いことはいやだから。違うわ、いくら苦しくても、お兄さんに逢えない人生など、生きる価値が無いことに等しいわ)
そう考えたとき、鷺草の海が目に浮かんだ。
(大切なお兄さんを失って生きる価値があるの)
舞は夢遊病者のように起き上がると家を出、和泉砂川駅に向かった。この駅は鷺草の海に通ずる駅、舞は迷うこと無く、駅に向かって歩いた。
そして、駅に着いた。しかし、舞は電車に乗る決心が付かないのか、駅周辺を歩いていたが、やっと、決心が付いたのか、駅に向かった。
舞が駅前にきた時、後から呼び止められた。
「舞さん、どこへ行くの」