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運命の彼方

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 「おう、彼方か、用を聞こうか」
 「僕の患者のことなんだか、約二年前から急に目が悪くなり、その半年後には目が完全に見えなくなったと言うのだ。名医の誉れ高いお前なら治せるのではないかと思って電話をしたんだ」
 幸樹がお世辞抜きで言った。
 「お前も知っているが、医学は日進月歩だ。二年前には治せなくても、今は治せるかもしれないから、一度、その患者さんを連れてこい」
 「診てくれるか、有り難い、じゃあ、連れてゆくからな」       
 「何時来る?」
 「僕の方には予定がないから、君に従うよ」
 「そうか、調べてみるから、そのまま、少し待っていてくれ」
 しばらくしてから、
 「一週間後でどだ?」                
 「いいね、僕に希望が言えるのなら、その日の昼の休診時間は無理だろうか。理由は、僕が一緒に連れていきたいのだ」
 「いいよ、それなら、ゆっくり診察出来るし、君と話もできるからね」
 「じゃあそれで頼む」
 「分かった、所で、お前は再婚しないのか?」
 「する気はあるが、相手が居ないんだよ」
 「嘘をつけ」
 「本当だよ」
 幸樹が必死に否定する。
 「俺より持てる君が、相手がいない。何か事情があるんだろう」
 「何もない、ただ、それだけだ」
 「俺を見習え」
 田中は自慢した。
 「お前は素敵な奥さんが居る、何時も羨ましく思っているよ」
 「羨ましいなら、早く見付けろよ」
 その時、電話の向こうから、先程の事務員が、患者さんがきているから、早く、診察してくださいという声が聞こえた。
 「もう、そんな時間になっていたか」
 田中が腕時計を見る。
 「色んな話をしたいが、午後の患者がきたので、電話を切るよ」
 田中は電話を切った。         
 幸樹は 診察日を舞に報せるために、舞の事務所へ行った。
 「いらっしゃい、先生」
 幸樹の足音を敏感に聞き取った舞が喜んで迎え入れた。
 「目の診察日が決まったので、報せにきたよ」
 「有難うございます」                              「診察日は一週看後、僕も一緒に行くことになったからね」
 舞が感激したように言った。                           「先生も一緒に行ってくださるのですか。嬉しい」
 幸樹は、抱き締めてやりたいほどの衝動を押さえた。
 舞が嬉しそうに聞く。
 「治るでしょうか」                               「医術は日進月歩です。今、治らなくても、数年後には治せるようになるかも知れませんから、もし、今、治らないと診断されても気を落とさないでください」
 「はい」              
 舞は、幸樹と一緒に居られるだけでで幸せと思っているので、眼科医に目が治らないと言われても、それほど落胆はしない。                        また、舞は、舞の目が見えないから幸樹が舞に仕事を与えていると思っていた。そのため、目が見えるようになったら医院を追い出されるのではないかという不安があった。  だが、目が治らなかったら、大好きなお兄さんと何時までも一緒に居られると思い、本当は目を治したくなかったのだ。
 診察日を告げた幸樹は事務室を出ていった。その足音を聞きながら、舞は思った。
 (私はお兄さんと何時までも一緒に居られるのなら、目だけでなく、耳や口が不自由になってもいいわ)
 舞の望みは、幸樹の傍で居ることだった。
 診察日が来た。
 幸樹が舞の事務室へ入るなり言った。     
 「診察に出掛けるよ」
 「はい、用意は出来ています」
 舞が嬉しそうに言った。
 その声を聞いた和歌子が苦々しい顔をして呟いた。
 「目が治ったら、私の嫌な日々は終わるわ。でも、無理よ」
 和歌子は、舞の目が見えないことが苛めの原因なのだ。もし、舞の目が治ったら、幸樹と舞が付き合おうが結婚しようが構わないのだ。
 「治ることを期待しているわ」
 和加子は幸樹と舞を見送った。
 幸樹と舞が田中眼科医院に入ると、奥さん出てきた。 
 「よく、おいで下さいました。どうぞ、中へお入りください」
 美しくて礼儀正しい奥さんが二人を応接室に案内した。
 「お世話になります」
 幸樹が応接室に入りながらいうと、中から田中が気さくに言った。
 「おお、来たか、さあ、入れ」           
 しかし、幸樹の後から入ってきた若くて美しい女性をみて、急に丁寧な言葉になった。 「患者さんは、その女性ですか」
 「そうだ、よろしく頼む」
 奥さんがお茶でもと言ったら、田中が、        
 「お茶は彼方だけでいい、なぜなら、このお嬢さんは、一秒でも早く、結果を知りたいと思っているから、お茶など飲む余裕がない、そうでしょう」
 「はい、いえ、……」
 急に声をかけられた舞は、どう答えたらよいか分からない。          
 田中は、舞の返答を待たずに、
 「診察するから、診察室へ入ってください」
 診察室を手で示した。
 「じゃあ、奥さんの好意を無にしてわるいけれど、診察室へ行きなさい」
 幸樹がいうと、舞がか細い声ではいと言った。
 やがて 診察を終えた舞が応接室にもどると、田中が彼方を診察室へ招いた。
 「単刀直入に結果を話すが、結果は著しく良くない。だが、可能性はある」
 「可能性?」
 「そうだ、適合する角膜があれば治せるよ」
 「絶望ではないんだな、良かった」        
 「じゃあ、患者さんを呼んでくれ、結果を詳しく説明し、どうすれば、角膜の提供が受けられるか説明する」
 結果を聞いた舞は、少し悲しい顔をしたが、覚悟していたのか、すぐ、平常の顔に戻ると、丁寧にお礼を言った。
 「じゃあ、ゆっくりと、妻とゆっくりお茶でも飲んでください」
 「先程、奥様とお茶を頂ながら、色々とお話を伺いました」
 「そうでしたか、我々の陰口を」
 「いえ、目の病気や、心の持ち方、そして、生活など一般のことです」
 「妻は、精神科医です。少しは役立ちましたか」
 「はい、心が軽くなりました」
 「それは良かった」
 田中は優しい笑顔を見せた後で、
 「彼方、間もなく午後の診察が始まるけど、お前は遅れて帰ってもいいのか?」
 「そんな時間になっていたか、じゃあ、帰る。今日は有難う、また、時間があったら会いたいね」
 「そうだ、また、次の日曜日に会わないか」
 「よし、会って、思い切り喋ろう」
 舞と幸樹が医院をでると、幸樹を田中がちっと来いと呼び止め、小さい声で尋ねた。
 「なんて美しい女性なんだ、もしかしたら、お前の恋人か」
 「違うよ、ひったくりにあい足を傷めて倒れている所を僕と看護士が助け、治療した関係だけだよ」                            
 田中の目が嘘だろうと言っていた。
 「じゃあ、彼女を無事、送って行けよ」
 「有難う、またな」
 見送りに出た奥さんに挨拶をして車に乗った。
 帰り道、幸樹が言った。
 「目が見えるように角膜の提供を受ける手続きをしようね」  
 「いえ、手術はしません」
作品名:運命の彼方 作家名:さいし