運命の彼方
舞は和歌子に申し訳ないと思いながら、喜んで迎え入れた。
「どう、仕事になれましたか?」
「ええ、毎日、楽しみながら仕事をしています」
「そう、それは良かった、もし、困ったことがあったら、遠慮せずに、すぐ、言ってくださいよ」
「はい、有難うございます。でも、何も不足していません」
舞は、出来るだけ、無愛想に言った。しかし、内心では、和歌子に叱られると思いながらも、何時までも、幸樹に居てほしいと思っていた。
幸樹は、心配そうに尋ねた。
「元気がなさそうだけど、仕事疲れですか?」
「いえ、なんともありません」
舞は楽しそうな顔をして答えた。
「もし、長く、疲れが取れないようだったら、一度、診察しましょうか。僕の医院は、外科医院のカンバンを掲げていますが、内科診療も行なっているんですよ」
「緊張による疲れだと思います。だから、帰って眠ると、すぐ治るんですよ」
「それならいいんだ」
「私の体調までも心配して頂いて、嬉しいです」
「話は違うが、今日、道を歩いていると、梅の花の芳しい薫りが微かに漂っているんですよ。舞さんは気付きましたか」
「ええ、とても芳しい薫りでしたわ」
「今は、梅の花が満開だからね」
「間もなく散るのね、名残惜しいわ」
「じゃあ、次の日曜日、梅の花の薫りが一杯の所へ行きませんか」
和歌子の厳しい顔を思い出した舞は、恐ろしくなって、返事をしなかった。
「何を躊躇しているんですか、梅林に入れば、どんな憂も晴れますよ、行きましょう、もし、返事をしなければ、強制的に連れて行きますよ。それが嫌なら返事してください」 連れていって下さいと言えない舞は、返事をしなかった。 「分かった、強制的に連れて行くからね」
「梅林は何処ですか」
あまり遠い所へ行くと、和歌子に知られる恐れがあるので尋ねた。
「大阪城公園の梅林」
「人が多いでしょうね、邪魔にならないかしら」
「もし、人の少ない方がいいのなら他にもありますよ」
「他に?」
「南部の梅林です」
「みなべ?」
「そう、和歌山県にあるんですよ。広大な梅林がね」
舞は、鷺草の海を思い出し、涙がでそうになったが堪えた。
「遠いの?」
分かっていたが尋ねた。
「車で約二時間半程度かな」
二時間半は、鷺草の海から梅田阪急駅迄の時間より多い。
「二時間半も?」
呟いた舞の目に和歌子の顔が現われた。
「大阪城にします」
「決まった、じゃあ、その時、迎えに行きますからね、待っていてください」
日曜日、幸樹は舞を車に乗せ、大阪城へ向かった。
大阪城公園に着いた幸樹は、車を駐車場に入れ、舞の手をとり、公園へ入った。
公園は日曜日と梅の花の満開が重なり、予想以上の人出で賑わっていた。
幸樹に手を引かれ、舞は幸せだった。この幸せが何時までも続くように祈っていた。
梅花見物の人の渦に巻き込まれた幸樹と舞は、安全に歩くことだけでも大変なことだったため、周囲を見ることさえ困難だった。
「咲いている!」
子供の声が聞こえた。
幸樹と舞は、白梅、紅梅など、様々な色をした梅の花が咲き乱れ、辺りに芳香を漂わせている梅林に入っていた。
「舞さんに申し訳ないけど、やっと、花見ができるようになりました」 「そんなにお気を使わないでください。目が見えなくても、以前に梅の花を沢山みたことがありますから、匂いから、どんな花か想像できます」
「すごい、それなら、花当てクイズをしましょう」
「どんな方法なの」
舞が興味深そうに尋ねた。
「僕が舞さんを花の所へ誘います、舞さんは、その花の薫りから、梅の木の名称を当てるのです」
「当てられるかしら」
舞が不安そうに言った。
「当たらなくてもいいじゃあないですか、後で僕が答えを教えますから、遊ぶつもりでクイズに答えてください」
「そうね、楽しい遊びなのに、堅苦しく考えすぎていたわ」
「そう、楽しく参加してください」
「はい、分かりました。クイズをお願い」
幸樹は、舞を梅の花へ誘った。
「はい、この花の名は?」
舞は、目を閉じ、答えを探していたが、
「分かったわ、寒紅梅です」
「正解、よく知っているね、どこで覚えたの」
「近所の公園です」
「じゃあ、この花は」
しばらく考えていたが、自信無げに言った。
「道知辺ですか」
「僕に質問は禁物です。道知辺と答えてください」
「どうしても?」
「自信ないなら、もう一度」
舞は、自分の唇のような花の中に顔を埋めた。
「答えます、やっぱり、道知辺です」
「正解、じゃあ、この花は」
「はい、月の桂です」
「ブー、残念でした。この花は、鴬宿です」
「私、鴬宿など初めてだわ、流石、先生ね、何事もよくご存じだわ」
「鴬宿の字から判断すると、美しい声で囀る鴬が宿るという意味でしょうね」
「何でもご存じだから、本当に驚いたわ」
「実は、梅の木を見たのは、今日が初めてなんだ」
「本当?、じゃあ、何故、正解、不正解が言えたの?」
舞は納得できない。
「実は、梅の木には、名札が付いているんだよ」
「ずるいわ、知った振りするなんて」
ずるいの言葉が、幸樹の心に食い込んだ。しかし、それが何か分からなかった。
「はい、早く続きを」
舞が楽しそうに言った。
クイズをしているうちに、何時の間にか梅林を出ていた。
すると、梅の花の薫りから、美味しそうな食事の匂いに変わっていった。辺りをよく見ると、彼方此方で、家族らしい人たちが、楽しげに食事をしていた。
「舞さん、食事をしませんか」
「はい、近くに食事する所があるんですか」
「あるにはあるけど、今日は、舞さんに太陽の光を浴びながら、青い芝生の上で食事をさせて上げたいと思って、今朝、僕がもっとも得意とするサンドイッチを作っり、持ってきました、味は保障しますから食べてください」
幸樹はシートを敷き、舞を座らせた。
「嬉しい…」
舞がシートに泣き崩れた。
幸樹は、突然、泣きだした舞に驚き、どうすれば良いか分からず、見守っていると、
「でも、悲しい…」
言って、尚も泣く。
「何を悲しむのですか、力になるから教えてください」
幸樹が驚きを隠し、優しく尋ねた。
「私の目が見えたら、先生の大好きなサンドイッチを作り、先生に召し上がって頂けたんです。そして、シートも敷けた、でも、それが出来ないから悲しいのです」
幸樹の心使いが、舞を喜ばすのと同時に、舞を悲しませたのだ。そして、和歌子の言葉を思い出させたのだ。
(私は先生にとって、重すぎるお荷物だわ、悲しいけど、医院から出て行くことが先生の幸せに繋がるのね)
悲しくなった舞は、涙を止められなかった。
「僕はサンドイッチが大好きなのです。それも、卵焼きを挟んだものがね。舞さんは、卵を食べても大丈夫ですか」
幸樹は、卵によりアレルギーを起こす人の事を思い出しのだ。