運命の彼方
「分かったよ」
逆らえば逆らうほど、早苗の声は大きくなるため、逆らうのを止めた。
「今日は、なぜ、この電車に乗ったのか聞きたくないの」
「別段、聞きたいとは思わないね」
早苗は幸樹に無視されても平気な顔をして言った。
「今日も、貴方が、どんな仕事をしているか見学するためにきたのよ」
「見学、それは無理だよ」
「どうして?」
「午前中は外来の診察、午後からは、病棟の回りだから、君の見学は不可能だよ」
「じゃあ、仕方がない。食事を一緒にしましょう」
「分かったよ」
言い争いを避けるために、幸樹は了承した
「私と再婚することを考えた」
早苗が押しつけるように言った。
「僕の考えは変わらないよ」
幸樹は、言質を取られないように言った。
「そう、今日は、まだ、沢山時間があるから、今でなくてもいいわ」、
早苗は、幸樹を追い込んでくる。だが、早苗のお陰で、どんな難題を吹っかけられても堪えることができる訓練にはなった。
早苗の話を適当に聞いているうちに、電車は泉佐野駅のホームに入っていった。
幸樹は、舞の姿を探し、プラットホーム上を隅々まで探したが居なかった。
(おめでとう、幸せを祈っています)
逢えない悲しみに打ち拉がれていた幸樹は、気を取り直して、舞の結婚を祝福した。
「プラットホームに誰か居るの?」
今は舞との想いに更けたい幸樹は、早苗を無視した。
「返事ぐらいしなさいよ」
と早苗が声を荒げる
「病院の先輩が乗る筈だったんだが、どうも、乗らないようだ」
適当に答えた。
「そう、それは残念だったわね」
泉佐野駅から、みさき公園駅までの間は、幸樹と舞にとって、顔や表情に表さないが、とても、幸せな時間であった。
その思い出を早苗は壊した。
幸樹は、早苗に、これ以上、自分と舞の幸せを壊されたくないと思い、電車が一秒でも早く、みさき公園駅に着くことを願っていた。
やがて、みさき公園駅に到着し幸樹は席を立つと、早苗も立ち、幸樹の後から下車し、病院まで付いてきた。
「帰りも、一緒に帰りましょうね」
「遅くなるよ」
「いいわ、みさき公園で動物や魚などを見物して時を過ごし、貴方の仕事が終わった頃に病院へ行くわ」
早苗と会うのは、もう、うんざりである。
逢いたい舞には逢えず、絶対に会いたくない早苗には会う、どうしたら、早苗との縁が切れるのか、切れるのなら、どんな犠牲を払ってもいいと思う幸樹だった。
だが、早苗は、一ヵ月に一度は、必ず、幸樹の前に姿を表した。早苗が帰ると、看護師の青木和歌子が幸樹に忠告した。
「早苗さんが来るのには先生にも責任があるわ」
「僕に責任?」
幸樹か納得できないとばかり和歌子の顔を見る。
「そうよ、先生が結婚しないから来るのよ」 「どうして?」
「早苗さんの考えは、先生が早苗さんに未練があるから、結婚をしないのだと考えているからよ」
「そうだろうか?」
「間違いないから、早く、結婚しなさい」
和歌子が命令口調で言った。
「考えて置くよ」
午後の診療時間を終えた幸樹が診察室で居ると看護師の青木和歌子が入ってきた。
「今日も、二人の患者さんしか来なかったわね」
「そうだね」
「どうするつもりですか?」
和歌子が幸樹の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「良い案が浮かばなくて困っているよ。何か良い案はないかね」
「あるには、あるんですけど、失礼な事なので迷っているんです」
「何でもいいから教えてください」
和歌子は、決心したように言った。
「医院を移転したらどうでしょうか」
「しかしね」
「お父さんが築いた医院ですので、移転するのは辛いと思います。でも、これ以上、続けるのは難しいと思います」
「そうだね」
「そうでしょう。だから思い切って移転しましょう」
和歌子は、幸樹の母親が生きているころから彼方医院の看護師をしていたので、幸樹の母親が亡くなってからは、幸樹を我が子のように世話を焼いていた。そのため、幸樹は、和歌子の忠告を聞き入れる習慣が身についていた。
「決心しました?」
和歌子が尋ねた。
「まだ」
「私、いい移転先を見付けているのよ」
「早いね。移転先は?」
「私が住んでいる泉佐野市です」
「泉佐野市…」
幸樹の脳裏に舞の顔が浮かんだ。
「良い所よ、医者も少ないし、きっと、成功するわ」
「和歌子さんも便利だしね」
「そうよ」
素直に認めた。
「じゃあ、明日、案内してください」
幸樹は、舞に逢えるとは思わなかったが、せめて、舞がどんな町で住んでいたのか知りたいと思い移転を決めた。
翌日、幸樹は泉佐野市の市場町へ行き、和歌子が推薦した医院を見た結果、環境や立地などが気に入ったため、早速、医院を購入し、一週間後に開院した。
最初の一ヵ月は、患者の数も少なかったが、十一月に入ると、インフルエンザの大流行が始まり、多くの患者がきた。
それが切っ掛けとなったのかは定かでないが、インフルエンザ以外の患者がくるようになり、医院としての経営が容易になった。
また、医院の発展を願う和歌子は、油断は禁物だとばかりに幸樹に提案をした。
「先生、この地域には体の不自由な人が沢山います。その人たちの往診を始めたら、多くの人が、彼方医院の存在を知ると思うのです。如何でしょうか」
「成程、きっと、患者さんが喜ぶだろうね」
「じゃあ、明日からでも始めましょう」
「往診の時間は夜?」
「いえ、医院の休診時間である午後一時から午後五時まての間です。私も一緒に付き合います」
「和歌子さんの休憩が無くなるよ」
「往診があった日は、夕方の勤務を休みます」
「なるほど、先の先まで考えているんだね」
幸樹が感心していると。
「物事を提案するためには、当然、先の先のことまで考えていないと出来ないわ」
「恐れ入りました」
幸樹は、和歌子が自分以上に医院のことを考えていると思うと、申し訳ないと思った。 インフルエンザの流行は、未だ終息を見ず、幸樹は忙しい日々を過ごしていた。
幸樹は若い女性患者を診察に入ってくる度に、不謹慎であるが、舞であるようにと、密かに期待していた。
しかし、舞とは逢うことが出来なかったか、招かざる客の早苗がきた。
それも、正面からでは、会ってくれないと思ったのか、患者になって、幸樹の前に現われたのだ。
早苗は診察室に入るなり怒鳴るように言った。
「なぜ、引っ越しを隠していたの!」
幸樹は答えずに。
「怪我、それとも、どこが痛みますか」
患者のように対応した。
「どこも悪くないわ、決着を付けにきたのよ」
「患者でないのなら、出ていってくれ。後には、痛みを堪えながら、自分の順番を待っている患者さんが沢山いるんだ」
「そんなこと、私に関係ないわ」
怒った和歌子が言った。
「診察の邪魔しないでください」
すると、早苗が激昂した。
「看護師が口を出さないでください!」