欠片
先日の非礼を謝りながら、これまでのことを話して、身元引受人となってもらえないか頼んでみよう。
面白いもので、ジャンに相談してからは随分気が楽になっていた。
ロートリンゲン大将が事務室に現れる日を待った。その日はすぐに訪れて、書類を提出しながら、思い切って切り出すことにした。
「閣下。先日は大変失礼致しました」
まずは先日のことを謝った。するとロートリンゲン大将は手を止めて俺を見て言った。
「君らしくもない対応だったな。あの後、きちんと話をしたのか?」
「そのことで閣下に折り入って御相談したいことがあります。閣下のご都合を伺っても宜しいでしょうか?」
ロートリンゲン大将は私を一度見つめ、それから机の上の電子カレンダーを操作した。
「今日の職務終了後なら空いている。……そうだな、会議が入っているから七時頃になるがその時間でも良いか?」
「はい。ありがとうございます」
「ちょうど良い。私も君と少し話をしたかったところだ」
話――?
心当たりがなかった。……ということは、おそらく俺の仕事のミスが多く、注意する必要があるのだろう。
兎に角、相談する時間を取ってもらえただけ良かった。安堵した。
ロートリンゲン大将は、事務所で待機しているように俺に言った。ロートリンゲン大将が来るまでの間、机で処理を行っていた。この日は皆、七時となる前に帰宅した。重要な案件が終わり、業務が一段落したからだろう。部屋に残っているのは俺だけで、あとは奥に中将が残っているだけだった。
午後七時を十五分過ぎた時、廊下から足音が聞こえた。立ち上がると、予想通り、ロートリンゲン大将だった。
「遅くなってしまった。済まない」
「私こそ閣下のお時間を割いてもらって、申し訳ございません」
「あと五分程、待っていてくれ」
ロートリンゲン大将はそう言い残すと、奥へと向かった。おそらく、少将と話をしてくるのだろう。
そして言葉通り、五分後には戻って来て私を促した。
「店を予約してある。君は酒は飲めるか?」
「あ、はい」
「それは良かった。フォイルナー准将を誘った時、彼が飲めなくてな。可哀想なことをしてしまった」
苦笑混じりに告げるロートリンゲン大将は、いつもの厳しい上官ではなかった。どんな店を予約したのだろう――ロートリンゲン大将について歩きながら、ふと不安に駆られた。ロートリンゲン大将は旧領主層だ。俺と金銭感覚が違う。とてつもない高級な店ではないだろうか――。
程なくして到着したのは、将官御用達と聞いている店だった。俺などが足を踏み入れて良い場所ではないのだろうが、ロートリンゲン大将の後について行く。ウェイターが出て来て、いらっしゃいませと恭しく一礼し、二階の個室へと招いた。豪奢な階段を上がり、一番奥の部屋に通される。その部屋は調度品もアンティーク調で整えられ、別世界の雰囲気が醸し出されていた。
「君とはこうして一対一で話をする機会も無かったからな。今回はちょうど良い機会だ」
「ありがとうございます」
ウェイターがワインを持って来る。ロートリンゲン大将と俺のグラスにそれを注いでから、去っていく。ロートリンゲン大将はそれをひと口飲んでから切り出した。
「さて、君からの話を先に聞こうか」
直感的にこの人なら大丈夫だ――とふと感じた。
俺の話を信じて貰える、そんな風に思った。
「先日、叔父夫婦が事務所に来て大変お騒がせしました。私は叔父夫婦と縁を切りたいと思い、士官学校に入学してからは連絡も断っていたのですが、叔父達は軍務省で照会して私の所属を知ったようです。閣下にはご迷惑をおかけしました」
「……君の様子がいつもと違っていたから、妙だとは思ったが……。叔父夫婦とのことだが、御両親は? ああ、差し支えない範囲で答えてくれ」
「両親共に私が五歳の時に相次いで亡くなりました。それ以来、私は遠縁の叔父夫婦に扶養されてきました」
「そうだったのか……。幼い頃に御両親を亡くしているとは大変だったな」
「父が病死し、程なくして母も病に倒れ、身近に親族は誰も居ませんでした。母は自分の死期が近いと悟ってから、親戚を探し出し、そして見つけた叔父夫婦に私のことを託したのです。……ですが叔父夫婦は私を引き取ってくれたものの……、愛情を注いではくれませんでした。厄介者として扱われ、児童相談所の保護員が自宅を訪ねたこともあります」
「……しかし……、こう言ってはなんだが、君を引き取ってくれたのだろう? 人の子を預かるというのは大変なことだぞ」
「当時、私の父は祖父の遺産を引き継いで多少ながら株を持ち、比較的裕福な生活を送っていました。その遺産を引き継いだ母は私の養育のための資金として遺しておいてくれたようですが、それと引き換えに、私の養育を叔父夫婦に依頼したのです」
鞄の中から両親の死亡診断書と母の遺書を取り出した。母の遺書は実家で見つけてから、そっと引き抜いて取っておいたものだった。それに眼を通したロートリンゲン大将は俺を見て、納得した、と告げた。
「君の叔父夫婦への態度が妙だということ、それに君があの時脅えていたことが気にかかっていた。……幼い頃、手を差し伸べてくれた人は居なかったのか」
「叔父夫婦が私に何も言わず家を空けて、食料も何もかも尽きた私を、相談所が保護してくれたことがありました。ですが、其処で全てを話しても、叔父がやって来て巧い作り話をされてからは信じてもらえなくなりました。……当時は身体に傷もありましたが、それさえも階段から落ちたとか、遊んで転んだということで処理され、虚言癖のある子供と見なされてしまったのです」
「何と言うことだ……。子供の意見を尊重すべきだろうに……」
「そして私も、成長してからも家出が出来ませんでした。経済的な不安は勿論、一人になることが何よりも怖かったのです。ジュニアスクールを出て、士官学校の幼年コースを受験しましたが、この時はまったく歯が立ちませんでした。高校では家を出たい一心で勉強し、士官学校を再受験したのです。その結果合格し、それ以来は叔父夫婦と連絡も取っていませんでした。あちらからも何も連絡は無かったので、私のことを忘れてくれたと思っていたのです」
「そうだったのか……。それで何年も会っていなかったのだな」
「はい。休暇中も自宅には戻らず、寮で過ごしていました」
「しかし……、資金的な援助は? 士官学校は殆ど金がかからないとはいえ、小遣いは必要になるだろう。そうした援助はしてもらえたのか?」
「いいえ。高校の頃にアルバイトをしていたお金を貯めていましたので……。それとその……、士官学校の時も隠れてアルバイトをしていました」
ずっと秘めていたことを打ち明けると、ロートリンゲン大将は眼を丸くして俺を見つめた。これは叱られるな――と覚悟していた。
「……よく気付かれなかったな。士官学校の界隈は教官達が眼を光らせているのだぞ」
「休暇中に士官学校から離れたところで働いていました。短期で住み込みの出来るアルバイトなら学校側にも気付かれませんし……。それに授業のある期間は流石にそういうことも出来なかったので」