欠片
「それで……、本部長にですか……?」
「そういう事情とあわせて、もうひとつ事情があってな。閣下の処分の折、皇帝陛下からの命令で参謀本部に移ったという話があるんだ。しかし軍上層部がそれでは処分にならないからと、参謀本部次長に就任させたとか……。で、君に関係する話は此処からだ」
何故そんな話が私と関係があるのだろう――。頭のなかで話が結びつかず、とりあえずアルベルト中将の話を黙って聞いていた。
「来期、閣下が本部長となられたら、この特務派は参謀本部の管轄下となる」
「え……? 参謀本部にですか……? 何故……」
「キース大将では指揮しきれない。先日、ひとつ事件があって何故特務派を動かさないのかロートリンゲン大将が会議でお怒りになってな。結局、キース大将では特務派を上手く動かせないことが判明した。閣下の御気性では本部長になったら必ずこの特務派を参謀本部に帰属させる筈だ。それでその時までに、私は君を大佐に昇級させておきたい。大佐であればいざというとき閣下の御力となれるからな」
そしておそらくフォイルナー准将も参謀本部に異動する――と、アルベルト中将は本部の状況を教えてくれた。あまりに詳しく教えてくれるものだから、アルベルト中将に問い掛けたのだった。
「閣下。何故私にこのような極秘の情報を教えて下さるのですか……?」
「決まっている。君に期待しているからだ。私自身、支部に異動しても君を副官に欲しいぐらいだ。だが、ロートリンゲン大将閣下が見い出した人材であり、また君の能力は参謀本部においてこそ活かされる。そう考えて、大佐に昇級させるんだ」
アルベルト中将の言葉通り、私はそのふた月後に昇級試験を受けた。それまでと同じ特務派の事務局で所属しながら、アルベルト中将の正式な補佐官としても働いていたところ、アルベルト中将がザルツブルク支部の支部長となることが決まった。アルベルト中将は親切で様々なことを教えてくれたから、私としては残念で仕方無かった。
それから暫くして、ロートリンゲン大将が参謀本部長に昇格した。アルベルト中将が話していた通りだった。そして、その直後に特務派は参謀本部に属するものと内示が下った。私はまたロートリンゲン大将の許に戻ることになった。
「色々内部の事情があってな。皆にはまた宜しく頼む」
着任の日に挨拶に来たロートリンゲン大将はそう言った。詳しい事情は語らなかったが、ここ数ヶ月、上層部では色々と動きがあったらしい。私はロートリンゲン大将の副官付という立場に昇格した。本来、副官付は将官が務めるものだから、私の昇格には誰もが驚いた。ロートリンゲン大将の厳しさは相変わらずで、新任の副官が狼狽することもあったが、私はもう慣れていた。それに理不尽なことを命じられる訳でもない。此方のミスを指摘され、二度とミスをしないように告げられるだけだから――。
「君はあまり叱られないな」
ある日、副官のジェンナー中将が側で仕事をしていた私に言った。
「何度も叱られています。ですが、閣下の仰る通りミスを犯したのは自分の不注意ですから」
「……そうやってロートリンゲン大将に気に入られている訳か」
ジェンナー中将が放った冷ややかな言葉に、思わず動きを止めた。
「大佐という階級に対して副官付とは珍しいからな。仕事は出来るようだから、色々と君に任しても良さそうだな」
「……私に出来ることでしたら」
こんな風にあからさまにやっかみを受けたことは初めてだった。出来るだけ平静を保って対応した。この時になって初めて痛感した。私はこれまで上官に恵まれてきたのだろう。アルベルト中将からも、先日昇級したフォイルナー少将からもこんな言葉を投げかけられたことはなかった。
ジェンナー中将は前言通り、様々な仕事を私に押しつけるようになった。いずれ自分の役にも立つことだと思えば、それは別に構わなかったが、私の済ませた仕事をさも自分が取り組んだかのように書名を施す行為には呆れたものだった。
「ザカ大佐」
本部の資料室での仕事を終えて事務室に戻ろうとした時だった。廊下で呼び止められた。
「閣下。お疲れ様です」
ロートリンゲン大将だった。私の仕事も含めてジェンナー中将が提出してくれるため、ここ二週間程、ロートリンゲン大将とは顔を合わせていなかった。
「久しぶりだ。少し私の部屋に寄っていきなさい」
ロートリンゲン大将はそう言って、執務室へと招いてくれた。
「その資料を見せてくれるか?」
突然そう言われて驚きながらも資料を提示すると、ロートリンゲン大将はそれを一瞥した。そして苦笑して顔を上げる。
「ジェンナー中将の分まで書類を作成しているだろう?」
どう答えて良いか解らず、回答に窮していると、ロートリンゲン大将は言った。
「彼の報告書が君の報告書と酷似しているからすぐに気付いた。この資料も君が持っているということは、ジェンナー中将に頼まれたのだろう」
困った――。素直にそうと応えて良いものだろうか。だがそうしたらジェンナー中将が叱責を受けてしまう。
「君が困り果てた表情をすることもない」
「……申し訳ございません」
隠し通せないことは明らかで謝罪すると、君が謝ることはないと言ってロートリンゲン大将は苦笑する。それから、仕事はどうだと尋ねられた。
「今の仕事にも大分慣れました」
「その言葉を聞いて安心した。私生活の方も問題は無いか?」
ロートリンゲン大将は事あるごとに私を気遣ってくれる。はい、何も問題は起こっていません――と応えると、頷いて、机の中から書類を取り出した。
「この案件について、指揮案を立ててみなさい。提出は週末に」
ロートリンゲン大将から書類を受け取る。治安の悪い南部におけるテロ防止案についての書類だった。
「解りました」
「それから……、申し訳無いが、特務派の事務室に戻る前に総務に寄ってくれないか? 先程フォイルナー少将に頼むのを忘れてしまった書類があってな」
そう言って、ロートリンゲン大将は机の上から封筒を引っ張り出した。
「総務の事務係に参謀本部所属者のシフト表だと言って提出してくれ」
「解りました。お預かりします」
ロートリンゲン大将の執務室を退室して、本部一階にある総務事務局へと向かう。軍務局の総務課は二つに分けられている。軍の指揮に直接関わる事項の事務処理を行う総務は三階の参謀本部の隣の軍務局内部に設置され、それ以外の給与や休日申請といった所謂一般的な事務事項は一階に事務室が設けられている。其処に所属するのは軍人である場合もあるが、事務局職員として採用される場合が多い。
此処は窓口が設けられていて、休暇の申請時には皆、此処に足を運ぶ。ロートリンゲン大将から預かった封筒を手に、窓口に行くと、珍しいことに窓口に誰も居なかった。
一旦、特務派の事務局に戻ろうか――と思ったが、こうした書類は後回しにしない方が良いだろう。窓口から済みませんと呼び掛けてみる。しかし、返事は無かった。
窓口に事務員が居ないとはどういうことだろう――。
裏口に回ってみようか――と考えた時、はい、と遠くから声が聞こえた。窓口を覗いてみると、奥から女性が一人出て来る。