欠片
何故年齢を問われたのだろう――不思議に思ったが、アントン中将はそうかと言って頷いた。
『若手はこれから軍を背負っていく身、さらに精進せねばな』
ジャンやカーティス大佐によれば厳しい方らしいが、話し難い方でもない。こんな方が上官ならジャンがハノーファーに留まりたい理由も解る。
アントン中将は本部に戻るや否や、長官に事情を説明しに向かった。私達特務派の隊員もその日はアルベルト中将の監視下で、詳しい説明を行うこととなった。
ロートリンゲン大将は本部に戻る前に一度、この事務局に立ち寄った。
『作戦前にも言ったが、このたびのこと君達に一切の責任は無い。もし上から問われても私の命令だったことを強調するように。そして、私の勝手な命令に尽力してくれたこと、感謝する』
ロートリンゲン大将がそう述べて一礼するものだから、皆が慌てた。アルベルト中将に促されて本部へと戻っていったが、それ以来、この部屋ではロートリンゲン大将がどうなるか憶測が飛ぶだけで、何も情報が入って来ない。ロートリンゲン大将は降格か異動か――下手をすると除名処分ではないか――口々に囁き合う隊員達を制したのはアルベルト中将だった。アルベルト中将は気難しい顔をしながらも、処分については一切何も口にしなかった。
「閣下」
ゲーベル少将が事務局にやって来て、部屋の奥に居たアルベルト中将を呼んだ。もしかして処分が下ったのか――皆が一斉にゲーベル少将に注目した。
「すぐに陸軍長官室へ行って下さい。陸軍長官がお呼びです」
「解った」
アルベルト中将は立ち上がると、無言のまま事務局を後にする。ゲーベル少将、とカーティス大佐が言葉をかけた。
「私に聞くな。処分が下ったようだが、どのような処分かは私もまだ聞いていない。あとでアルベルト中将閣下が説明してくれる筈だ。兎に角、皆、通常の業務を執り行うように。何かあれば軍務局の私の許に来てくれ」
ゲーベル少将はそう言い残して、本部に戻っていった。このような状況下では誰一人仕事に手がつかなかった。私も書類に眼を通してもなかなか頭の中に入ってこない。
それから一時間、この事務局内は憶測が飛び交った。特務派トニトゥルス隊は元々ロートリンゲン大将が創設したものだから、もしかしたらロートリンゲン大将が解任されるとトニトゥルス隊自体が解体されるかもしれない――そんなことを言う者も居た。人というのは考えれば考えるほど悪い方向に物事を考えてしまうものだった。
その時だった。扉が開いて、アルベルト中将が戻ってきた。
「騒がしいぞ」
その一言で事務局内がさっと静かになった。
「仕事が手につかないだろうことは想像出来るが、このような時こそ平静を失ってはならない。肝に銘じておくように」
アルベルト中将はそれからひとつ息を吐いて言った。
「閣下の処分が下った。閣下は一週間の謹慎処分に処せられ、その後、参謀本部に異動となり、参謀本部次長となられることが決定した」
ロートリンゲン大将が参謀本部に異動――。
参謀次長――?
ざわりと部屋が騒然となったのは無理も無いことだった。謹慎処分は兎も角、支部でもない参謀本部に異動というのは処罰のようにも思えない。だが職が本来は中将級が担う参謀次長とは――。
「軍務局司令官はキース大将が着任される。閣下の謹慎処分期間は私が代理として職責に当たる」
キース大将――名前は聞いたことはあるが、どのような人物かは知らない。私の側で、カーティス大佐が手を挙げた。
「閣下。アントン中将閣下は……」
「アントン中将は陸軍長官による厳重注意のみとのことだ」
何となくそのことに安堵した。だがそれにしても、ロートリンゲン大将の異動は異例ではないだろうか。
「以上だ。皆、通常業務を執り行うように」
アルベルト中将が本部に戻っていくと、事務局内は当然のようにロートリンゲン大将とキース大将の話で持ちきりになった。
「これからがらりと変わってしまうかもな」
カーティス大佐が何気なく私に語り掛けてきた。
「どういうことですか?」
「キース大将閣下はフォン・シェリング派だ。加えて閣下とはまったく考え方が違う。まあ、私達よりもアルベルト中将達は大変だろうな」
ロートリンゲン大将の部隊での経験しかないから、他の将官がどのような人物なのか私は良く知らなかった。
そしてロートリンゲン大将の謹慎期間が空け、キース大将がこの特務派事務局にもやって来た。第一印象で人を判断してはならないが――、あまり良い印象の抱けない人物だった。
「このたび軍務局司令官兼特務派司令官の任命を受けたハロルド・キース大将だ。私は忙しいので、特務派は主に私の副官のアルベルト中将に指揮を執ってもらう」
良い印象を受けない理由は――、彼は自己紹介を済ませて私達をちらと見ただけで、すぐに本部に引き戻っていったことだった。尤も此処がアルベルト中将の指揮下に入ることは悪いことではなかったが――。
「仕事が増えたよ、私は」
通常業務に戻ってふた月が経った頃、特務派の事務局にやって来たアルベルト中将はそう言ってぼやいた。時々此方に来るフォイルナー准将の話によると、キース大将は仕事を副官であるアルベルト中将に丸投げしており、そのためアルベルト中将の仕事量が膨大となっているらしい。
『本部で徹夜なさることもある。あれではアルベルト中将の身体が参ってしまう。何とかして差し上げたいが……』
当のキース大将は司令官とは名ばかりで、会議に出席するほかは殆ど何もしないのだと言う。
「ザカ中佐」
アルベルト中将は、このところよくこの事務局の執務室で仕事を執り行っている。書類の決裁のためその部屋を訪れた時、アルベルト中将は顔を上げて言った。
「ロートリンゲン大将閣下は君を年内に大佐に昇級させるおつもりだった。だが、このたびは処分を受けてしまったから閣下が推薦することは出来ない」
「私は構いません、閣下」
「いや。其処で私が君を推薦したいと思う。再来月、昇級試験を執り行うよう申請するつもりだ。そのように準備を進めておけ」
「閣下が……? ですが閣下はお忙しいのに私の昇級まで取り計らっては……」
「君には充分その能力があると考えている。今は軍務局会議に呼ぶことが出来なくなったが、これまでの功績分で昇級には事足りる。……まだ胸に秘めておいてほしいが、私は来期には異動願を出すつもりだ」
「では参謀本部へ……?」
「いや、この本部で異動することはない。なかなか難しい事情もあってな。私は支部への転属を希望しているんだ」
「閣下……」
「だからその前に君を昇級させておきたい。それに来期には人事に少し動きがある。まだ上層部だけで話が挙がっている段階だが……、閣下が本部長となられるようだ」
ロートリンゲン大将が参謀本部長となる――。
この展開には驚いてアルベルト中将を見つめた。
「まだ内々で上がっている段階の話だ。確定ではないのだが、今の本部において閣下以上に用兵に長けた方もいらっしゃらない。それに閣下はよく仕事に励む方だろう? 現在の本部長はキース大将と同じく地位の上に胡座をかいているような方でな。まあ、上層部にはそういう将官が多いのだが」