欠片
「昇級、おめでとうございます。ザカ中佐」
「ありがとうございます。今日は申し訳ありません」
車に乗り込んで、二十分ほど走った。ロートリンゲン大将は車中では今日のことは何も語ろうとしなかった。真新しい建物の前に到着すると、車から降りる。ロートリンゲン大将に促されて中に進む。ウェイターによって個室に通された。
其処には壮年の男が立っていた。ロートリンゲン大将を一礼して出迎える。
「ザカ中佐。彼は私の家の弁護士の一人で、主に民事を担当してもらっている」
「アルベリヒ・ホルンと申します」
彼は名刺を出し、私に差し出した。此方も名乗り、名刺を渡す。ロートリンゲン大将は大方の事情は話してある、と言った。
「養子関係を解消することは出来るな?」
ロートリンゲン大将がその弁護士に問い掛けると、彼ははいと答えた。
「示談交渉が成立せず、裁判に至ったとしても、ザカ中佐が優勢となるでしょう」
その言葉に安堵を覚えずにいられなかった。弁護士のホルン氏と明日、二人きりで今後の対応について話し合うことになり、この日は顔合わせのみで別れた。
「絶縁した方が君にとって良いのではないかと思ったが、家庭事情のことだ。此方から言い出して良いものかどうかとな。君のこのたびの決断、私は英断だと思っている。
翌日、ホルン氏と会い、過去のことを詳らかに語った。ホルン氏はおそらく腕の良い弁護士だったのだろう。この日一度の説明だけで、ホルン氏はすぐに動いてくれた。まず、叔父夫婦と連絡を取り、養子関係解消の申し出を行った。あちらが抵抗することも想定内だったようで、過去の虐待についても近隣住民の聞き取り調査や私が士官学校以来、叔父夫婦の許には戻っていないことを文書にして、司法の場に持ち込んだ。
叔父夫婦からは事実無根だと名誉棄損で訴えられたが、ホルン氏が得た資料が裁判所に採用され、最終的には私の訴えが認められることとなり、養子は解消された。三ヶ月を要したが、それでも裁判が絡んだにしては早期の解決だっただろう。
それにこの間、ホルン氏の裁量で私は一度も叔父夫婦と接見することもなかった。叔父夫婦にも私に会ってはならないという命令が下ったようで、先日のように寮の前で待ち伏せされることもなかった。
「しかし本当に自宅は取り返さなくて良いのか?」
養子が正式に解消される前に、ロートリンゲン大将に呼び出された。元々は両親と共に住んでいたあの家を手放して良いのかと最終的に確認された。
「ええ。両親との思い出よりも叔父達との辛い思い出の方が多い家ですし、それに叔父は無職であるとのこと、路頭に迷うのも哀れですから……」
「……君が彼等を哀れむ必要は無いのだぞ」
「辛い目に遭ったとはいえ、家を追い出さずに置いてくれたことは事実です。あの家は元から私のものではないと思っていましたから……」
「君が其処まで言うのならアルベリヒにもそのように伝えよう。君の御両親が残した財産だからと彼が言っていてな。私もそう思ったからもう一度確認したのだが……」
「過去を断ち切るためにも自宅は手放します。そして、私自身が家庭を持った時に今度は良い思い出を作ることの出来る家を買いたいのです」
私がそう答えるとロートリンゲン大将は納得した様子で頷いた。
「その時には祝福しよう」
「ありがとうございます。閣下」
裁判の執り行われている間、ジャンは心配して何度も私に連絡を寄越してくれた。ジャンばかりかジャンの母親まで連絡を呉れた。暖かな人達に恵まれたことにこれほど感謝したことはなかった。
そして正式に養子が解消されてから、変わった点があった。
私は悪夢を見なくなった。夢に魘されて体調が悪くなることも無くなった。それらはすべて精神的なものだと解っていたが、養子解消が何よりの特効薬となるとは思わなかった。
中佐の間に指揮官補佐としての経験を積み、ロートリンゲン大将やアルベルト中将の護衛や補佐として国際会議に出向くこともあった。忙しい毎日で、相変わらずロートリンゲン大将に叱責を受けることもあったが、充実した日々を送っていた。
ロートリンゲン大将の推薦あって、年内には大佐の昇級試験を受けることになっていた。
だが、ある事件が起こった。ロートリンゲン大将の長男が過激派に誘拐され、特務派が陸軍長官の命令を受けないまま、勝手に出動した。それはロートリンゲン大将の大将命令権の発動下で成し遂げられた。大将命令権が発動すると、将官には拒否権があるが、佐官以下はそれに従わなければならない。そのため佐官以下の者達は命令に従わざるを得なかったということで何の咎めもなかったが、ロートリンゲン大将は軍法会議にかけられた。
軍法会議の間、ロートリンゲン大将は軍務局の一室にて謹慎を命じられ、私達ばかりか副官のアルベルト中将とも接見することが出来ない状態だった。
今日で二日目になる。
特務派の司令官が不在となることから、アルベルト中将が代わりに指揮を執ることになった。司令課所属の将官達は皆、口惜しさを滲ませていた。ロートリンゲン大将が私達を引き連れて長男救出に向かったことを、何ひとつ知らされていなかったらしい。
「知っていれば当然駆け付けた。そうでなければ閣下が御一人で責任を取ることもなかった。まったく閣下は……」
アルベルト中将の口惜しさも理解出来るが、だからこそ、ロートリンゲン大将は大将命令権を発動させて私達を引き連れ、将官一人で向かったのだろう。尤も後からハノーファー支部長のアントン中将が駆け付け、今はアントン中将も軍務局の一室で謹慎を求められている。
このアントン中将が駆け付けたことに私は驚いた。ハノーファー支部の支部長が何故、帝都まで駆け付けたのか――後から聞いたところによると、カーティス大佐の許にアントン中将が連絡してきたらしい。それを聞くまで知らなかったが、カーティス大佐は特務派に来る前に、ハノーファー支部に所属していたのだという。そしてアルベルト中将やゲーベル少将の話によれば、ロートリンゲン大将はアントン中将と親しいのだという。元はアントン中将がロートリンゲン大将の上官だったらしい。
アントン中将はハノーファー支部長を務めており、ジャンの上官でもあるが、用兵に優れた人物としてその名は知れ渡っている。一度本部で顔を合わせたことがある。あれはジャンが勲章を授与された時だった。アントン中将はジャンと共にが特務派の事務室に立ち寄った。あまり話は出来なかったが、ジャンによれば一枚も二枚も上手な方らしい。
そのアントン中将と今回、少し話をする機会があった。ロートリンゲン大将が意識を失った長男を連れ邸に戻った後のことだった。今回の誘拐犯を射殺もしくは捕縛し、事件が一段落した。アントン中将は本部に帰還することを告げ、その途上で話をしたのだった。
『君は体技に優れているようだな。敏捷で、動きに隙が無い』
『ザカ中佐は用兵にも優れているのですよ、閣下』
カーティス大佐がその側からそのようなことを言うのだから恐縮してしまった。よりにもよって帝国でも一番用兵に優れていると目されているアントン中将の前で誉めるのだから――。
『君、年は?』
『25歳です』