欠片
第4章 邂逅
「どうだ。ザカ少佐。そろそろ昇級試験を受けないか?」
ロートリンゲン大将から二度目に昇級試験の話を貰ったのは、少佐となって三年が経とうとしていた頃のことだった。ロートリンゲン大将は昇級に際しても厳しいという評判の通り、特務派の事務室でもこの二年間で昇級した者はほんの一握りにすぎなかった。
どうしようか――躊躇する気持はあったが、仕事も覚えたし、俺としても新しい仕事に取り組んでみたいという思いがあった。
「はい。宜しくお願いします」
そう応えると、ロートリンゲン大将は頷いて、試験の概要を告げた。私にとっては今回が初めての昇級試験ということになる。
「君なら問題無く合格出来るだろう。そして中佐となったら、軍務局本部へ出入りしてもらう」
軍務局本部――。憧れない訳がなかった。この事務局のすぐ側だといっても、将官の階級章ばかりを持った軍人達が居る場所とは雲泥の差がある。だが――。
「軍務局本部に入れるのは大佐以上ではないのですか……?」
「ああ。実質指揮を執れる階級となると大佐以上だからな。だから、君には早く昇級してもらいたい。以前、君に提出してもらった作戦案、本部の将官達も感心していたぞ」
あれは三ヶ月前のことだった。ロートリンゲン大将に呼ばれて執務室に行くと、南部国境防衛のための作戦案を考えるよう求められた。指揮に関する案はこれまで携わったことがなく、また実質指揮を執れるのが早くとも大佐となってからと考えていただけに驚いた。同時に意欲も湧いた。自分で出来るだけ作戦を練って、それを提出した。後になって、俺の作戦案が採用されたことを告げられて、また驚いたものだった。
「君にはこれからも作戦案を練ってもらいたい。……が、流石に少佐では本部内の作戦会議に列席させることは出来なくてな。せめて中佐であれば何とか出来るが……」
「ありがとうございます。試験、頑張ります」
来月の初めに試験を受けることが決まった。この日から、帰宅後にも勉強を欠かさなかった。自分としても何としても合格したかった。尤も、帰宅後には疲れ果て、本を読みながら眠ってしまうこともあったが――。
「ザカ少佐。私の部屋に来なさい」
合否が判明するこの日、ロートリンゲン大将に呼び出された時には流石に緊張した。試験は、八割以上の点数を獲得した自信はあるが、絶対に合格しているという自信も無かった。
「おめでとう。来週から中佐として働いてもらう」
ロートリンゲン大将は一枚の紙を此方に差し出した。其処には、中佐の昇級試験に合格した旨が記載されていた。
「ありがとうございます。閣下」
「今後も頑張りなさい。期待しているぞ」
所属は今と変わりないが、月に何度か、軍務局本部に出入りすることになった。
そして中佐となって二ヶ月が経ったある日のことだった。昼休憩を終えて机に戻ってくると、電話が鳴った。フォイルナー准将だった。
「今日の会議の件だが、ザカ中佐にも出席をとの閣下の御命令だ。会議は午後2時からだ。会議室の前で待っていてくれ」
それはあまりに突然のことで、何の心準備も出来ていなかった。二時からということは、あと一時間を切っている。
「はい。解りました」
「緊張せずに気楽に参加するようにとの閣下の御言葉だ。それでは頼んだぞ」
フォイルナー准将は用件を伝えると、電話を切った。会議が始まるまでの時間、何か資料を読んでおいたほうが良いのだろうか。しかし一体どんな内容の会議なのか――。
結局、何の準備も出来ないまま、二時前に本部に行った。指定された会議室の前で待っていると、フォイルナー准将がやって来た。
「待たせて済まなかった」
「いいえ。今、此方に来たばかりです」
フォイルナー准将はIDカードを扉の側にあるセキュリティボックスに翳し、鍵を開けた。入ってくれと促されてその会議室に足を踏み入れる。特務派の事務局よりは少し広めだが、それ以外は何も変わりない会議室だった。
「閣下ももうすぐいらっしゃる。今日集まるメンバーはアルベルト中将、ゲーベル少将、そして参謀本部からフィッシャー大将、エメ中将、グライスラー少将が参加する」
「……軍務局だけでの会議ではないのですか……?」
驚いて問い返した。参謀本部長のフィッシャー大将まで会議に参加するのに、私が此処に居て良いのか――。
「作戦会議となると参謀本部からも将官がやって来る。そう気構えずに意見を述べてくれ。閣下はそのために君を呼んだようだからな」
フォイルナー准将がそう言ったところへ、ゲーベル少将が現れた。挨拶を交わしていると、ロートリンゲン大将とアルベルト中将も入室する。
敬礼して迎えると、資料は持っているかとロートリンゲン大将は問い掛けた。
資料――。資料どころか何の会議かさえ、私は知らない。
「……いいえ」
そう応えるとロートリンゲン大将は怪訝な顔をして、フォイルナー准将を見て言った。
「今朝、事前に渡しておくように言った筈だが」
フォイルナー准将も不思議そうな顔で私を見、ゴルテル中佐から資料を貰っていないかと問うた。
「いいえ……」
「……もしかして会議への参加も聞いていなかったのか? 議題も?」
フォイルナー准将は焦った様子で再度問い掛けた。それに応えると、ロートリンゲン大将はフォイルナー准将と厳しい声で呼び掛けた。
「こういう連絡事項は本人に直接伝言するのもだ。それを怠った君にも責任がある」
「申し訳御座いません、閣下」
「ゴルテル中佐には厳しく言って聞かせろ。それから至急、資料の複写を」
「はい」
フォイルナー准将に資料を借りて私が複写に行こうとしたら、フォイルナー准将はそれを制して代わりに複写に向かった。困ったものだ――とロートリンゲン大将が零すと、アルベルト中将が言った。
「フォイルナー准将は人が良いからゴルテル中佐を疑うこともなかったのでしょう。フォイルナー准将には私から注意しておきます」
ロートリンゲン大将は頷き、それから私を見遣った。
「ザカ中佐。君も会議だというのに資料を手渡されていないことは、すぐに気付かねばならないことだ。今日はこのまま参加してもらうが、今後は気を付けることだ」
どういう意味なのか――。
頭が混乱してすぐに返事が出来なかった。ロートリンゲン大将やアルベルト中将の言葉に従えば、私が会議のことを知らなかったのは――資料が手元にないのは――。
「ゴルテル中佐が君だけが会議に呼び出されたことをよく思わなかったのだろう。会議召集の重要な伝言を忘れるなど、まず考えられないことだ」
アルベルト中将が言った。言葉が出なかった。ゴルテル中佐とは決して仲が悪い訳ではない。むしろよく話をするのに――。
「何処にでもあることだ。だから自分自身でも注意を払うこと」
そう言って、アルベルト中将は持っていた資料を此方に差し出した。少しの時間でも眼を通しておくと良い――と、資料を貸してくれた。
「ありがとうございます」
五分程資料を借りて読んでいただろうか。フォイルナー准将が戻って来るのと、参謀本部の将官達がやって来るのと同時だった。
「遅れて申し訳無い。ロートリンゲン大将」
「毎度のことですな。私も時間が惜しいので、早速会議を始めましょう」