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あの夏の向こう側

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   ***

「斎はさー、私のことどう思ってるのよ?」
 彼女は自室のベッドの上で足をバタバタさせている。僕はそのベッドに腰掛けて、彼女に背中を向けている。
「どうって……。伯母さんの幽霊って思ってる」
「まんまじゃん」
 彼女との会話はいつも宙ぶらりんだった。家族とのそれがそうであるように、核心を掴んでしまわぬように、でもその存在には気づいているよと示すためにわざと中心を撫でてみたりする。皮肉や嫌味というのも似たようなものだと思う。「後は察してくれ」そんな会話のキャッチボールを、僕と彼女は数年間続けている。
 「最後だと知っていたなら」とかいう題名の詩があったな、とぼんやり思いながら、それはまさに今の僕の状況だと気づく。先ほどの郁の質問の本意だって分かっている。それなのにどうして僕は日常を続けようとしているのか。僕は、どこまでも意気地がない。
「……あの風鈴さ」
 郁が窓枠で揺れる風鈴を見上げて言った。
「死ぬ前に行った遠足で見に行った景色なのよ」
 景色、と言われて首をかしげる。あの風鈴に描いたのはうさぎだったはずだ。
「景色? うさぎじゃなくて?」
「うさぎだよ。うさぎはうさぎでも、あれは実は波。先人たちが白波を、跳んでいるうさぎに見立てたのよ」
 郁がベッドから飛び降りて、窓際に駆け寄った。そして風鈴を慈しむように撫でている。一見するとパントマイムのように見えるのが、何よりも空しい。
「……なみ、うさぎ?」
 僕はぽっと頭に浮かんだ言葉を口にした。そんな言葉を、郁が言っていたような気がする。
 彼女はちょっと驚いたような顔をしていた。
「そうそう。なんだ、知ってるんじゃないの」
 郁が教えてくれたんだろ、と言うように脳は命令したはずなのに、その電波は口まで届かなかったらしい。ここ数日に渡って僕らを取り巻いている漠然とした終わりの予感が感情をせき止めていた。彼女は僕の一言を待って消えてしまうのではないかと思ったのだ。
 そもそも僕は、彼女を幽霊以上の存在にしないようにしていたはずだ。一人で苦笑してみたら、頭の中の矛盾たちは音を立てて崩れていった。僕に残ったのは、本当のことだけ。
「この子たちは波だからさ、すぐ消えちゃうわけじゃん。でも、私が描いたから、ずうっと消えずにここにいられる。私みたいだ」
「……僕も、描いたんだけどな」
 郁は風鈴の周りをぐるっと回り、一匹のいびつなうさぎを見つけて吹き出した。彼女は変わらずそこにいて、僕はほっとした。
「本当だ。それにしても下手すぎよ、斎」
 声を上げて笑う郁に混ざって笑ったが、長くは続けられなかった。笑い過ぎとは違う意味で、涙が出そうになったのだ。
 僕の言葉で彼女は消えはしない。そんな妙な自信と、例の詩が僕の背中を押して、鼻辺りで詰まった脳の命令を一気に口に送り出した。
「そんなに郁は成仏したいのかよ。っていうか、そんなこといつ考えていつ決めたんだよ。ずっと一緒にいたくせに、いきなりいなくなられるのも、なんというか心の準備が……」
「斎が、言ったんじゃない。もうここには来ないって」
 郁がこっちを振り向き視線を刺してきて、僕の言葉は呼吸ごとせき止められた。鋭い顔はほんの一瞬で緩んだから、僕もそれに合わせて息をした。
「……なんてね。本当はずっと消えなきゃって思ってたのよ。あんたの言葉がきっかけになったってだけの話。そういう意味では感謝してる」
「じゃあ、僕が何も言わなかったら、消えなかった?」
 僕は足の上で組んだ手に目を落とす。彼女の表情は、見ていなくても手に取るように分かった。
「私は斎が生まれたときからずっと見てるのよ、言わないわけないことくらい分かるって」
 郁はそう言って、俯いている僕の頭をぽんと叩いた。風鈴がちりんと鳴る。
「このうさぎたちも、本当は消えゆく運命だと分かってる。でも延々とこのガラスの中を飛び回っているのは楽だから、どうもふんぎりがつかない。消えるのは怖い」
 「怖い」という言葉を初めて聞いた。
「怖くても、辛くても、飛び出さなきゃいけない」
 僕はうんと頷いた。
「そしたら、もしかしたらもう一度風が吹いて波が立って、海を走れるかもしれない」
 何回も首を振った僕の頭を、彼女は同じ回数だけ撫でてくれた。あんまり優しくしてくれるものだから、僕の涙腺は落城寸前だ。さっきから雨漏りがひどい。
「だから、さよならだ」
作品名:あの夏の向こう側 作家名:さと