あの夏の向こう側
扉を閉めて僕が郁の顔を見やると、彼女はいつものようににへらと笑っていた。それを見て僕が微妙な表情をすると、見る見るうちに郁の顔はゆがんでいった。僕は何より驚いて、ずっと握っていた手を離した。彼女が激しい感情を表に出しているのを、僕はこの時初めて目にしていた。
その瞳には涙が溜まっていた。それがこぼれそうになる直前で、腕でごしごしと目を擦ってまた笑おうとしていた。彼女にかけるべき言葉が見つからなかった。
「……悲しい、よね」
会話には同調が大切だと何かの漫画で読んだ気がする。あまりにもずさんな同調だと自分でも思ったが、それほどにこの時の僕は気が動転していたのだ。どんなに僕が成長してしまっても、どこかで彼女は僕よりもずっと強い存在なのだと思ってしまっていたのだろう。
「悲しいんじゃない。嬉しいから、悲しいんだよ」
結局悲しいんじゃないか、という言葉を飲み込んで、郁の次の言葉を待った。
「……私だってさ、結婚したかったし、子供も産みたかった。だから悲しい。でも恵美子や斎が私のしたかったことを幸せにできているなら、私は嬉しいんだ。ずっと羨ましくて、ずっと楽しかったよ」
「そっか」
初めて耳にした彼女の重苦しい感情を、僕はただ肯定した。
「それに、なんとなくこんなことを言われるんじゃないかなってのは分かってたし。逆にすっきりしたよね、ありがとう」
うんうん、と自分を納得させるように頷く目の前の少女の印象は、僕の中でめぐるましく姿を変えていった。
僕が伯母の郁子に対して、矛盾に満ちた感情で接しているというのは自分でも分かっているつもりだった。しかし、どうやらそれは理解不足だったようで、矛盾は予想以上に心の中を埋め尽くしていた。
彼女は僕の伯母で、妹で、好きな人で、嫌いな人で、側にいて欲しい人で、消えて欲しい人で、そしてやっぱり大切な人なのだと。今日はそこに思考が落ち着いたのである。
ふっと彼女の顔を覗いて見つけた力強い目に、本当に最後なのだと思わされる。やっぱり、僕の頭の中はごちゃごちゃしていた。