森の秘密基地
何を売っていたのか今でもわからない商店のある角を曲って、未舗装の砂利道に入る。その商店の裏手はもう森だった。走って三十秒ほどで、森への入口、細い獣道にたどり着く。獣道といっても、それは当時のわたしたちのような、こどもたちが踏みならしてできあがった道だったのだろう。二百坪ほどの広さに木々や草花がうっそうと生い茂るその場所は、森というには少し小さいかもしれないが、まだ小学三年生だったわたしたちの冒険心を十分に満たしてくれる未開の地だった。
そこにわたしたちは秘密基地を建設した。もう二十年以上前のことだ。どこからか持ってきたダンボール、捨てられていた傘、周囲に落ちていた木の枝や葉、今にして思えばどうして崩れなかったのか不思議なものだが、こどもが三人どうにか入れる、三人だけの秘密基地だ。
三人のリーダー格だったYくんのことはよく覚えている。体は小さいが、喧嘩っ早くやんちゃで生意気な少年だった。仲間を大切にする。仲間を守る。こういったことには妙に熱くなる少年で、当時流行っていた漫画の影響もあったのだろう。リーダー格といっても三人は互いに対等な関係で、Yくんが他のふたりを子分のように扱うことはなかったし、誰かひとりを使いっぱしりにするようなこともなかった。
わたしはサブリーダー的な存在だった。たった三人のグループにサブリーダーも何もあったものではないが、Yくんとは仲のいいコンビで何をするにもいっしょだったので、Yくんとわたしがいる集まりでは、例えそれが給食後にドッジボールをする仲間たちであっても、Yくんがリーダーでわたしがサブリーダーだった。それが周囲には何となく共通に認識されているように思っていた。
そしてもうひとり。確かにもうひとりいた。Aという名前で、男の子だったはずだが女の子だったような気もする。Yくんとは中学校もいっしょだったし高校生の頃も何度か顔を合わせていたのだが、そのAくんとは小学校を卒業してから一度も会っていないので記憶が薄れているのだろう。小学校の頃ですら、秘密基地で遊んだ記憶以外はぼんやりとしたものだ。
Aくんは不思議な少年だった。口数は少なかったと思うが、いつも笑顔を絶やさず、いつも何かにわくわくしているように見えた。Yくんやわたしのように活発なタイプではなく、当時の感覚でいうと本を読んでいるのが似合うような、色白で中性的な顔立ちだった。そう、顔はよく思い出すことができる。その顔の印象が強いからこそ、女の子だったような気がするのだろう。
初夏の頃、三人で「キャンプ」と称して秘密基地に集まった時のことだ。キャンプといっても泊まるわけではなく、スナック菓子やジュースを持ち寄って、秘密基地で漫画やテレビゲームの話をしたり周辺でカナヘビを捕まえたり、いつも通りのことを、いつもより少し豪勢に、いつもより少し長く楽しんでいた。
キャンプを始めてからしばらく経って、まだ日の落ちる前だが周囲が少し暗くなってきた頃、恐らくは午後六時頃と思われるが秘密基地に来訪者があった。秘密基地の出入口で不思議そうな顔をしてこちらを見ていたそれは……、それは何だったのだろうか。犬のようであったが猿のようにも見えた。しかし猿にしては腕が短かい。後ろ足のみで立ち、少し前傾な姿勢で短い腕を前に垂らしていた。腰から下をスリムにした小さなワラビー、というのが最もイメージに近いかもしれない。
Yくんは「なんだこれ。犬か」とわたしの顔見たが当然わたしもわからずに首をかしげた。次の瞬間、Aくんがやわらかな落ち着いた声で「×××」とその生物に声をかけ、それからYくんとわたしの間を通り秘密基地を出て、その生物の肩の辺りを掴んだ。Aくんがその生物に何と声をかけたのかは覚えていない。それを見てYくんは「あいつの家の犬か」といって再びわたしに顔を向けたが、わたしはやはり首をかしげて応答した。
しばらくそのままで、Aくんはその生物になにやら話しかけていたが、ふとわたしたちの存在を思い出したようで、振り返って「あ、仲間の×××」とわたしたちにその生物を紹介した。その×××は、最初に見た時と同様にじっと不思議そうな顔でわたしたちを見ていた。今にして思えばAくんが「仲間」と紹介したことには違和感を覚えるが、確かにそういったはずだ。しかし、当時のわたしは珍しい生き物だと思ったのみで特に疑問を持たずに、×××はAくんの家のペットなのだ、と納得した。Yくんも同様だったようで、その後は無邪気に×××を触らせてもらったり、いっしょに森の中を探検して回ったりした。そういえばその間、一度も×××は吠えたりしなかった。
その日、わたしたちは初めてAくんの家に遊びに行った。確かAくんに誘われたのだ。誘われた頃にはもうすっかり暗くなっており、夕飯の時間にも思えたのでわたしは少し渋った。しかし、Aくんの家から自宅に電話をすればいい、ということになり、YくんとわたしはAくんに連れられて彼の家に向かった。
Aくんは、いつもYくんやわたしが利用している砂利道に続く獣道には向かわず、その逆側である森の奥に歩き出した。約五分ほど歩いただろうか、Aくんの家は森の中にあった。Yくんは「ずいぶん近いな」といっていたが、思い起こせばおかしな話だったのだ。極端に迂回をしなければ、あの小さな森を五分間も歩き続けることなどできない。すぐに外に出てしまうはずだった。多少ジグザグになっていたかもしれないが、少なくともわたしは真っ直ぐに歩いていたと思う。あるいは五分間という認識が間違っているのだろうか。
それに、森の中に家があるというのはやはりおかしな話だ。しかし、まだこどもだったからか、わたしはなんとなく違和感を覚えながらもYくんといっしょになって初めて来た友人の家に興奮していた。Aくんの家は四角い二階建てで茶色の壁に覆われており、わたしは小さなビルのような外見だと思った。家の内部は物が少なくて片付いており、Yくんの家やわたしの家のような雑然とした雰囲気とは違っていて、わたしはAくんの家は金持ちなんだ、と感じたことを覚えている。
家の中に入ってからAくんが母親はいない、といったことで、わたしは少し安心した。Yくんの家では、遅くまで遊んでいるとYくんの母親にひどく怒られるのだ。そして通されたAくんの部屋は、Yくんの部屋と比べればずいぶんきれいだったが、テレビゲームや漫画など、置いてあるものは大して変わらなかった。わたしたちがその部屋で漫画を読みはじめると、いつの間に用意をしたのか、Aくんが食事を持って来た。それは、ピラフのようなものとコンソメか何かのスープで、非常に美味だった。これはAくんが作ったのか、部屋で食べても怒られないのか、などの話をしていたはずだが、詳しくは覚えていない。断片的にでも強く覚えているのは、その後のことだった。
食後にYくんが「トイレを借してくれ」といって、Aくんに案内されて部屋を出ていった。そして、戻ってくるや否やYくんは「トイレがすごい。きれい」と妙にはしゃいで、わたしにトイレがいかにきれいだったかを訴えた。そのYくんの言葉が切れたところで、Aくんはひとつ小さく息を吐いてからわたしの顔を見て話を始めた。
そこにわたしたちは秘密基地を建設した。もう二十年以上前のことだ。どこからか持ってきたダンボール、捨てられていた傘、周囲に落ちていた木の枝や葉、今にして思えばどうして崩れなかったのか不思議なものだが、こどもが三人どうにか入れる、三人だけの秘密基地だ。
三人のリーダー格だったYくんのことはよく覚えている。体は小さいが、喧嘩っ早くやんちゃで生意気な少年だった。仲間を大切にする。仲間を守る。こういったことには妙に熱くなる少年で、当時流行っていた漫画の影響もあったのだろう。リーダー格といっても三人は互いに対等な関係で、Yくんが他のふたりを子分のように扱うことはなかったし、誰かひとりを使いっぱしりにするようなこともなかった。
わたしはサブリーダー的な存在だった。たった三人のグループにサブリーダーも何もあったものではないが、Yくんとは仲のいいコンビで何をするにもいっしょだったので、Yくんとわたしがいる集まりでは、例えそれが給食後にドッジボールをする仲間たちであっても、Yくんがリーダーでわたしがサブリーダーだった。それが周囲には何となく共通に認識されているように思っていた。
そしてもうひとり。確かにもうひとりいた。Aという名前で、男の子だったはずだが女の子だったような気もする。Yくんとは中学校もいっしょだったし高校生の頃も何度か顔を合わせていたのだが、そのAくんとは小学校を卒業してから一度も会っていないので記憶が薄れているのだろう。小学校の頃ですら、秘密基地で遊んだ記憶以外はぼんやりとしたものだ。
Aくんは不思議な少年だった。口数は少なかったと思うが、いつも笑顔を絶やさず、いつも何かにわくわくしているように見えた。Yくんやわたしのように活発なタイプではなく、当時の感覚でいうと本を読んでいるのが似合うような、色白で中性的な顔立ちだった。そう、顔はよく思い出すことができる。その顔の印象が強いからこそ、女の子だったような気がするのだろう。
初夏の頃、三人で「キャンプ」と称して秘密基地に集まった時のことだ。キャンプといっても泊まるわけではなく、スナック菓子やジュースを持ち寄って、秘密基地で漫画やテレビゲームの話をしたり周辺でカナヘビを捕まえたり、いつも通りのことを、いつもより少し豪勢に、いつもより少し長く楽しんでいた。
キャンプを始めてからしばらく経って、まだ日の落ちる前だが周囲が少し暗くなってきた頃、恐らくは午後六時頃と思われるが秘密基地に来訪者があった。秘密基地の出入口で不思議そうな顔をしてこちらを見ていたそれは……、それは何だったのだろうか。犬のようであったが猿のようにも見えた。しかし猿にしては腕が短かい。後ろ足のみで立ち、少し前傾な姿勢で短い腕を前に垂らしていた。腰から下をスリムにした小さなワラビー、というのが最もイメージに近いかもしれない。
Yくんは「なんだこれ。犬か」とわたしの顔見たが当然わたしもわからずに首をかしげた。次の瞬間、Aくんがやわらかな落ち着いた声で「×××」とその生物に声をかけ、それからYくんとわたしの間を通り秘密基地を出て、その生物の肩の辺りを掴んだ。Aくんがその生物に何と声をかけたのかは覚えていない。それを見てYくんは「あいつの家の犬か」といって再びわたしに顔を向けたが、わたしはやはり首をかしげて応答した。
しばらくそのままで、Aくんはその生物になにやら話しかけていたが、ふとわたしたちの存在を思い出したようで、振り返って「あ、仲間の×××」とわたしたちにその生物を紹介した。その×××は、最初に見た時と同様にじっと不思議そうな顔でわたしたちを見ていた。今にして思えばAくんが「仲間」と紹介したことには違和感を覚えるが、確かにそういったはずだ。しかし、当時のわたしは珍しい生き物だと思ったのみで特に疑問を持たずに、×××はAくんの家のペットなのだ、と納得した。Yくんも同様だったようで、その後は無邪気に×××を触らせてもらったり、いっしょに森の中を探検して回ったりした。そういえばその間、一度も×××は吠えたりしなかった。
その日、わたしたちは初めてAくんの家に遊びに行った。確かAくんに誘われたのだ。誘われた頃にはもうすっかり暗くなっており、夕飯の時間にも思えたのでわたしは少し渋った。しかし、Aくんの家から自宅に電話をすればいい、ということになり、YくんとわたしはAくんに連れられて彼の家に向かった。
Aくんは、いつもYくんやわたしが利用している砂利道に続く獣道には向かわず、その逆側である森の奥に歩き出した。約五分ほど歩いただろうか、Aくんの家は森の中にあった。Yくんは「ずいぶん近いな」といっていたが、思い起こせばおかしな話だったのだ。極端に迂回をしなければ、あの小さな森を五分間も歩き続けることなどできない。すぐに外に出てしまうはずだった。多少ジグザグになっていたかもしれないが、少なくともわたしは真っ直ぐに歩いていたと思う。あるいは五分間という認識が間違っているのだろうか。
それに、森の中に家があるというのはやはりおかしな話だ。しかし、まだこどもだったからか、わたしはなんとなく違和感を覚えながらもYくんといっしょになって初めて来た友人の家に興奮していた。Aくんの家は四角い二階建てで茶色の壁に覆われており、わたしは小さなビルのような外見だと思った。家の内部は物が少なくて片付いており、Yくんの家やわたしの家のような雑然とした雰囲気とは違っていて、わたしはAくんの家は金持ちなんだ、と感じたことを覚えている。
家の中に入ってからAくんが母親はいない、といったことで、わたしは少し安心した。Yくんの家では、遅くまで遊んでいるとYくんの母親にひどく怒られるのだ。そして通されたAくんの部屋は、Yくんの部屋と比べればずいぶんきれいだったが、テレビゲームや漫画など、置いてあるものは大して変わらなかった。わたしたちがその部屋で漫画を読みはじめると、いつの間に用意をしたのか、Aくんが食事を持って来た。それは、ピラフのようなものとコンソメか何かのスープで、非常に美味だった。これはAくんが作ったのか、部屋で食べても怒られないのか、などの話をしていたはずだが、詳しくは覚えていない。断片的にでも強く覚えているのは、その後のことだった。
食後にYくんが「トイレを借してくれ」といって、Aくんに案内されて部屋を出ていった。そして、戻ってくるや否やYくんは「トイレがすごい。きれい」と妙にはしゃいで、わたしにトイレがいかにきれいだったかを訴えた。そのYくんの言葉が切れたところで、Aくんはひとつ小さく息を吐いてからわたしの顔を見て話を始めた。