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真空管に灯る想い

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 何事もなかったかのように教室に戻っていく彼の後ろ姿を見送りながら、彩子は死にたくなった。あたしは大雑把なママの性格で育ってきちゃったから、すごい適当だけど、時としてすごいいい加減だけど、それでも気をつけてやっているのに。でも、わからない。もしかしたらあたしがやったのかな? なんだかやったんだかやってないんだかすらも怪しくなってきた。むしろ、なんだかやってなくて言い訳みたいに言うのが愚かな事にすら思えてきた。やったんなら開き直って謝って、もうしませんでしたって言えばいいけど、いや、だってその前にあたしはやってないよ。多分。あーもうよくわからないよ。あたしがしたのかな? あたしが謝ればいいのかな? そうすれば・・・彩子は人気のない凍ったような冷えたトイレに駆け込んだ。泣いても仕方ないのに。ちゃんと確認して、ちゃんとやらなかった自分が悪いんだ。彼のようにしっかりと確認して、ミスのないようにしなきゃいけなかったのに。じわじわとツンとした感触が鼻から競り上がってきた。大袈裟に真っ白い息を深く吐いて又吸った。鏡が白く曇ったかと思うと溶けるようにして消えた。泣いちゃダメだ。彼に勘付かれる。そしたら、彼に泣かされたみたいになるし、彼が罪悪感を感じてしまう。でも、しんどいなぁ。泣きたいよぉ。彩子は何度も真っ白い息を吐いては奥歯を噛み締めた。
 ・・・しんどいよぉ。
 その日雪塗れになって遭難しそうな感じに朦朧としながらようやく帰ると、珍しく美和子が夕飯を作って待っていた。どうやら店が休みのようだった。美和子は相変らずニコニコとしていてなんだかおかしかったが、彩子はそんな事に構う余裕もなく只今もそこそこに何も言わずにお風呂に直行した。彼に気にしてもらえているとは思っていなかったが、それ以前に信用されてすらいなかった事が、悲しかった。もう半年も一緒に委員長をしてきたのに。全く理解されてもらえていなかったのだと、いつかの彼の寝顔も混じって余計に悲しさに拍車をかけた。湯船の中で声を殺して泣いた。涙は後から後から面白い程出て来た。もう、諦めようかな。なにもしてもいないのに。でも、でも、でも・・・
 ラジオをつけたらしく、騒がしい音と一緒に台所から美和子の鼻歌が聞こえてきて、それが増々悲しさに勢いをつけて、電波や想いが好き勝手に楽しく自由に飛び交う世界中でまるで自分一人だけがどん底のような気分を感じさせた。彼の事をただ好きなだけなのに。すごく好きなだけなのに。どうして彼からこんな風な仕打ちを受けなきゃいけないの? どうして他の人じゃなくて彼から? やる事成す事、全てしくじった事を彼が知っていて、だから彩子を女の子として見てくれないのかもしれないと思った。頼りないから。いい加減だから。バカだから。でも、そんな事言ったらクラスが離れでもしない限り、彼はあたしの失敗を見る事になって、彼の中のあたしの印象がどんどん悪くなっていくのかな? クラスが離れたら離れたで、今度は共通するものが少なくなって彼が更に遠くなってしまうかもしれない。そうしたら、それこそ寂しくなってしまうし、彼はあたしを忘れてしまうだろう。どうしたらいいの?
 マジックアイは開かない。いつまで経ってもその翼を開かない。どうしたらいいの? わからないよ。あたしは彼とどうしたいの? 彼に好かれたい。ううん。彼に少しでもいいから見て欲しい。友達としてでもいいから。でも、その為にはどうしたらいいの?
「ねぇ、今度うちの店に、あんたの友達でも連れて遊びにくれば?」
 不意に美和子が話しかけてきた。彩子は驚いて咄嗟に湯船に鼻まで深く沈んだ。どうしていきなりそんな事を美和子が言い出したのかわからないが、美和子はそれだけ言うと再び鼻歌を歌いながら去って行った。意味解らない。なによ。なんでうちの店に友達なんて連れてこなきゃ・・・そこまで考えて思いついた。そっか。誘ってみようかな。でも、今のあたしの彼の中の株で誘えるかな。マイナスになり過ぎてたら話しても貰えないかもしれないけど。
 希望の光が見えて来たように彩子は前向きな明るい気持ちになってきた。あたしのいつもの軽い調子を繕って言ってみよう。さり気なく。なんとなく言ってみよう。彩子はそう決意すると、湯船から上がり、明日に向けて念入りに体を洗い始めた。


「・・・あのさ!良かったら今度、うちの店に遊びに来ない? ・・・かな」
 最初と最後を情けない感じに尻窄まりにして、彩子は登校してきた彼を下駄箱で捕まえて唐突に切り出した。ようやく雪が止み、その日は久しぶりに太陽が顔を出したのだ。木々に積もった雪は粉砂糖で拵えた花のように芸術的に咲いて、彼方此方から垂れ下がった氷柱が光を纏う雫をキラキラと落としていた。生徒達は青い空の下、滑ったり遊んだりしながら浮かれて登校してきていた。部活の友達と派手に雪合戦をしたらしい彼は紅潮した頰に楽し気な白い息を吐いて、すっかり雪玉で濡れたコートを翻し、軽やかに下駄箱に入ってくると、何事かと驚いたように彩子を見つめていたが、すぐにいいよと答えた。
「つか、店ってなにやってんの?」
「え・・・バーだけど」飲み屋だなんて言ったら、またあたしに対しての悪い印象を持たれるかもしてないと一瞬不安になりながら、彩子は俯いて自信なさげに答えた。
「へぇーカッコいいじゃん。行きたい、行きたい」
 カラッとそう言ってきた彼の無邪気で楽しそうな顔に、彩子はほっとして笑った。
「そっか。・・・良かった」そう言い捨てて、嬉しいのと感動したので恥ずかしくなってきたので、いつものようにして逃れようとした彩子の後を珍しく彼がついてきた。
「どういうキャラなのか今いちよくわからなかったけど、そんな意外な一面もあるんだな」
 それを聞くと、彩子は立ち止まって後ろの彼を振り返りながら笑った。
「そうだよ」
 関心するような面持ちで彩子を真っ直ぐ見つめる彼の横から降り注ぐ溶けかかった雪に反射された冬の日差しが、まるでマジックアイが綺麗に扇型の翼を広げているように見えた。
作品名:真空管に灯る想い 作家名:ぬゑ