真空管に灯る想い
どうして、いつも伝わらないのだろう
君の姿を見ただけで、こんなにも心を揺すぶられてしまうのに
君と話しただけで、一喜一憂してしまう程同様するのに
いつまで経っても、なにも、欠片すらも君には伝わらない
もどかしい僕のこの想い
一体いつになったら 一体いつになったら
「って言うか、自分が伝えようと努力しなきゃ、相手に伝わるわけないじゃない。ねぇ?」
郵便受けに突っ込まれていた差出人不明の手紙で簡単な紙飛行機を折って、遠くのゴミ箱目掛けて飛ばしながら、呆れたように美和子が言う。真っ直ぐに目的地目掛けて飛んで行った紙飛行機はゴミ箱の端っこに当って無様に墜落した。美和子はそれを拾おうともせずに、立ち上がると冷蔵庫の上に乗っかった使い古した真空管ラジオのスイッチを入れた。マジックアイのエメラルド色の扇が2つ開かれたと思うと、丸っこいような音で陽気な放送がクラッカーを鳴らしたように吐き出され、一気にそこらが心地良い雑音に塗れた。美和子は流れてきた曲に合わせて鼻歌を歌いながら、体をくねらせてスープをよそう。
彩子はそんな母親の様子を、きつね色にトーストされ満遍なくバターを縫られたパンをゆっくりと咀嚼ながら遠い目で見ていたが、口の中のパンを飲み下すとふと口を開いた。
「・・・ママさぁ、せっかく人から貰った手紙を、そんな風にするのやめなよ。いくら誰だかわからないからって言っても、その人が可哀相だよ」
「今日は雪が降るかもしれないわねぇ〜」と、美和子は面倒臭いので彩子の質問には答えずに違う事を言った。それが余計に彩子の気に障ったようだった。
「ねぇ、そんな事をすると可哀相だって言ってるんだけど!」
「え〜? 可哀相って、自分の名前も堂々と書く事が出来ない人が? 自分の気持ちだけを巻き散らして、こっちに勝手に期待して押しつけてるみたいな内容の手紙を? そんなの捨てられて当然じゃない? じゃあ、あんたはどうしたらいいと思うの?」
美和子は振り返りもせずに、後ろで1つに結った赤茶けた癖っけの髪を揺らしながら、引き続き鼻歌を歌い、よそったスープに桜えびだの、粉チーズだのをトッピングした。
「恥ずかしくて書けなかったんだよ。きっと・・・すごい勇気出して書いたんだよ。きっと」
彩子は思い詰めたような感じで、パンを食べるのも忘れて呟くように言葉を続けた。美和子は出来上がったスープを食卓に並べながら、真新しい中学の制服をきちんと着て、少し節目がちにパンを見つめているそんな娘の様子を横目でちらっと眺めると、片方だけ眉を顰めてからかうように笑って言った。
「な〜んか、まるで自分の事みたいに、彩子にはその人の気持ちがよ〜くわかるのね〜。すごいわね。でも、ママにはさっぱりわからないし、理解したくもないわ。だって、男の癖に根暗って有り得ないもん。それに、こんな風にして相手に自分の思いばかり押しつける男って、付き合ってもこっちの事情なんてお構いなしの俺様が多いのよ。ただ自分の中で思っているだけで、全く違う時間を生きて全く違う気持ちや心で生きている相手になんて伝わる訳ないじゃない? 奇跡を待ってるみたいな感じで好きじゃない。奇跡って自分で起こすものでしょ」
美和子がいつもの調子で自身たっぷりに解説したが、彩子は眉間に皺を寄せただけだった。
「ママはそうだろうけど、そう出来ない人だって沢山いるのよ。頭ではそうしたくても上手く出来ないの。そうやって自分の価値観だけで物事を見るのはやめてよ。いくら色々苦労してきたからとか経験してきたからとかでも、ママのそういうのだって充分押しつけがましいし、それがぴったり当て嵌まるのはママだからでしょ? 少なくともあたしはママとは違うもん」と、なにが気に入らなかったのか、彩子はやけに食ってかかってくる。ところが美和子も大人げなく負けずと言い返すものだから、朝から徐々に口論になってきてしまった。
「ねぇ、あんた、なに朝から苛々してんの? どうしたの? 生理でも来てるの?」
「生理なんて来てないし、苛々してもない。なに? あたしがそうやってママの考えと違う事言うのがそんなに異様に見えるの? そんなに普通に受け入れられないの?」
「そんな事言ってるんじゃないよ。話がズレてるでしょ。もうわかったから、ママが誰だかわからない相手に貰った手紙を、雑に扱ったのが気に食わなかったんでしょ? ママはこんな名前を明かす勇気も持ち合わせていない男なんかどうでも良いってだけだから。まぁでも、とりあえず謝るから、朝ご飯食べて学校に行ってよ。遅刻するよ」
美和子が苦笑いをすると、彩子はいきなり席を立って脇に置いた鞄を掴むと、騒がしく扉を閉めて家を飛び出して行ってしまった。後にはホカホカと湯気のたった手つかずのスープと半分齧っただけのトーストが寂しそうに残されていた。美和子は大きな溜息をついて崩れるようにして椅子に座った。いつの間にかラジオの電波が途切れてしまったらしく、マジックアイが不安定そうに扇を開いたり閉じたりしている。部屋中に耳障りな低音ノイズが鳴り響いている。美和子は面倒臭そうに立ち上がると、ラジオのスイッチを切り、スープには手もつけずにお湯を沸かし始めた。まったく。年々娘の考えている事がよくわからなくなっている。小学生からようやく中学生になった最近は、本当になんだかこんな些細な事での口論が本当に多くなったのだ。今まで当たり前に通ってきた美和子の考えに彩子がいちいち反発してくるのだ。俗に言う反抗期とか思春期とかいうやつなのかもしれない。
美和子は再び席につくと半分程冷めてしまったスープを啜った。ぼやけた視界には彩子が残して行った冷たくなったスープとゴミ箱の側に落ちている紙飛行機が、やけに纏わり付いてくる。だって、人同士の価値観が違うのなんて当たり前じゃない。あの手紙の主が自分の価値観を貫いてああして何をしたいのか不明な手紙を無記名で出して来るように、母親と娘との価値観が合わなくたって仕方ないじゃない。血液型だって違うんだし。どうしてそう、食ってかかってくるのよ・・・美和子は再び深い溜息をついた。
彩子がよく懐いていた彼氏と別れて1年が経とうとしていた。不倫だったし、美和子の精神的な負担が大きかったので別れた事に後悔はしていない。3年かけて後腐れなくしっかり別れられるように準備したようなものだった。そんな事を考えると、一体何の為に付き合っていたのかすらもよくわからないけれど、結局、不倫なんてそんなものなのだと思うのだ。
君の姿を見ただけで、こんなにも心を揺すぶられてしまうのに
君と話しただけで、一喜一憂してしまう程同様するのに
いつまで経っても、なにも、欠片すらも君には伝わらない
もどかしい僕のこの想い
一体いつになったら 一体いつになったら
「って言うか、自分が伝えようと努力しなきゃ、相手に伝わるわけないじゃない。ねぇ?」
郵便受けに突っ込まれていた差出人不明の手紙で簡単な紙飛行機を折って、遠くのゴミ箱目掛けて飛ばしながら、呆れたように美和子が言う。真っ直ぐに目的地目掛けて飛んで行った紙飛行機はゴミ箱の端っこに当って無様に墜落した。美和子はそれを拾おうともせずに、立ち上がると冷蔵庫の上に乗っかった使い古した真空管ラジオのスイッチを入れた。マジックアイのエメラルド色の扇が2つ開かれたと思うと、丸っこいような音で陽気な放送がクラッカーを鳴らしたように吐き出され、一気にそこらが心地良い雑音に塗れた。美和子は流れてきた曲に合わせて鼻歌を歌いながら、体をくねらせてスープをよそう。
彩子はそんな母親の様子を、きつね色にトーストされ満遍なくバターを縫られたパンをゆっくりと咀嚼ながら遠い目で見ていたが、口の中のパンを飲み下すとふと口を開いた。
「・・・ママさぁ、せっかく人から貰った手紙を、そんな風にするのやめなよ。いくら誰だかわからないからって言っても、その人が可哀相だよ」
「今日は雪が降るかもしれないわねぇ〜」と、美和子は面倒臭いので彩子の質問には答えずに違う事を言った。それが余計に彩子の気に障ったようだった。
「ねぇ、そんな事をすると可哀相だって言ってるんだけど!」
「え〜? 可哀相って、自分の名前も堂々と書く事が出来ない人が? 自分の気持ちだけを巻き散らして、こっちに勝手に期待して押しつけてるみたいな内容の手紙を? そんなの捨てられて当然じゃない? じゃあ、あんたはどうしたらいいと思うの?」
美和子は振り返りもせずに、後ろで1つに結った赤茶けた癖っけの髪を揺らしながら、引き続き鼻歌を歌い、よそったスープに桜えびだの、粉チーズだのをトッピングした。
「恥ずかしくて書けなかったんだよ。きっと・・・すごい勇気出して書いたんだよ。きっと」
彩子は思い詰めたような感じで、パンを食べるのも忘れて呟くように言葉を続けた。美和子は出来上がったスープを食卓に並べながら、真新しい中学の制服をきちんと着て、少し節目がちにパンを見つめているそんな娘の様子を横目でちらっと眺めると、片方だけ眉を顰めてからかうように笑って言った。
「な〜んか、まるで自分の事みたいに、彩子にはその人の気持ちがよ〜くわかるのね〜。すごいわね。でも、ママにはさっぱりわからないし、理解したくもないわ。だって、男の癖に根暗って有り得ないもん。それに、こんな風にして相手に自分の思いばかり押しつける男って、付き合ってもこっちの事情なんてお構いなしの俺様が多いのよ。ただ自分の中で思っているだけで、全く違う時間を生きて全く違う気持ちや心で生きている相手になんて伝わる訳ないじゃない? 奇跡を待ってるみたいな感じで好きじゃない。奇跡って自分で起こすものでしょ」
美和子がいつもの調子で自身たっぷりに解説したが、彩子は眉間に皺を寄せただけだった。
「ママはそうだろうけど、そう出来ない人だって沢山いるのよ。頭ではそうしたくても上手く出来ないの。そうやって自分の価値観だけで物事を見るのはやめてよ。いくら色々苦労してきたからとか経験してきたからとかでも、ママのそういうのだって充分押しつけがましいし、それがぴったり当て嵌まるのはママだからでしょ? 少なくともあたしはママとは違うもん」と、なにが気に入らなかったのか、彩子はやけに食ってかかってくる。ところが美和子も大人げなく負けずと言い返すものだから、朝から徐々に口論になってきてしまった。
「ねぇ、あんた、なに朝から苛々してんの? どうしたの? 生理でも来てるの?」
「生理なんて来てないし、苛々してもない。なに? あたしがそうやってママの考えと違う事言うのがそんなに異様に見えるの? そんなに普通に受け入れられないの?」
「そんな事言ってるんじゃないよ。話がズレてるでしょ。もうわかったから、ママが誰だかわからない相手に貰った手紙を、雑に扱ったのが気に食わなかったんでしょ? ママはこんな名前を明かす勇気も持ち合わせていない男なんかどうでも良いってだけだから。まぁでも、とりあえず謝るから、朝ご飯食べて学校に行ってよ。遅刻するよ」
美和子が苦笑いをすると、彩子はいきなり席を立って脇に置いた鞄を掴むと、騒がしく扉を閉めて家を飛び出して行ってしまった。後にはホカホカと湯気のたった手つかずのスープと半分齧っただけのトーストが寂しそうに残されていた。美和子は大きな溜息をついて崩れるようにして椅子に座った。いつの間にかラジオの電波が途切れてしまったらしく、マジックアイが不安定そうに扇を開いたり閉じたりしている。部屋中に耳障りな低音ノイズが鳴り響いている。美和子は面倒臭そうに立ち上がると、ラジオのスイッチを切り、スープには手もつけずにお湯を沸かし始めた。まったく。年々娘の考えている事がよくわからなくなっている。小学生からようやく中学生になった最近は、本当になんだかこんな些細な事での口論が本当に多くなったのだ。今まで当たり前に通ってきた美和子の考えに彩子がいちいち反発してくるのだ。俗に言う反抗期とか思春期とかいうやつなのかもしれない。
美和子は再び席につくと半分程冷めてしまったスープを啜った。ぼやけた視界には彩子が残して行った冷たくなったスープとゴミ箱の側に落ちている紙飛行機が、やけに纏わり付いてくる。だって、人同士の価値観が違うのなんて当たり前じゃない。あの手紙の主が自分の価値観を貫いてああして何をしたいのか不明な手紙を無記名で出して来るように、母親と娘との価値観が合わなくたって仕方ないじゃない。血液型だって違うんだし。どうしてそう、食ってかかってくるのよ・・・美和子は再び深い溜息をついた。
彩子がよく懐いていた彼氏と別れて1年が経とうとしていた。不倫だったし、美和子の精神的な負担が大きかったので別れた事に後悔はしていない。3年かけて後腐れなくしっかり別れられるように準備したようなものだった。そんな事を考えると、一体何の為に付き合っていたのかすらもよくわからないけれど、結局、不倫なんてそんなものなのだと思うのだ。