小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

君にこの声がとどくように

INDEX|7ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

「丁度、そのパンが焼き上がったところだよ。美味しくなかったら、お代は要らない。食べるかい?」
 もちろん。と答えたのは、キャスではなくナインだった。
「……美味しい。これ、すっごく美味しいわ」
 バーバラは満足気に頷いた。
 美味しいと言ったキャスを見て、ナインはバーバラよりも喜んだ。
 自分が美味しいと思うものを他の誰かに共感してもらえることはとても嬉しいことだ。好きな相手ならば、尚更だ。
 ナインはパンを頬張るキャスの横顔を見て、とても幸せだった。
 ―― この瞬間が永遠に続けばいいのに
 そう願わずにはいられなかった。
「材料にヤッドの実を使ってるんだけど、値上がりしちゃってねぇ」
 バーバラは困ったような笑顔を浮かべ、『仕方ないよね』というようなため息をついた。

 *  *  *

「出掛けるのは明日の昼になる。数日ほど戻らないかもしれないが、留守の間も剣の鍛錬を怠るなよ」
 キャスが身支度をしている間に、ナインは先に帰っていた。
 するとすぐクオンが部屋にやってきて、そう言ったのだ。これで一番の問題だった『いつ出発するのか?』が解決したことになる。
 クオンが部屋を去ってからしばらくして、コンコンと窓を叩く音がした。いつも通りに窓を開け、キャスを引き上げる。
「どう? なにか動きはあった?」
 キャスは持ってきた荷物を床に置くよりも前に訊ねる。
 荷物を受け取ったナインは、明日の昼に出発することを告げた。
「じゃあ、今夜はここに泊まりね」
「えっ!?」
「なに驚いてんのよ、あたりまえでしょ。……まさかアンタ、変なこと想像してるんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなコトは……」
「何かしたら、タダじゃ済まないからね。まぁ、アンタにそんな勇気があれば『とっくに』よねぇ?」
 キャスは悪戯に笑った。
 明日の昼までほぼ丸一日ある。明日の計画を話し合い、粗方決まった頃にはすでに陽も落ちていた。
 それから、やることの無くなったキャスは、当然のようにナインの部屋をあさり始めた。部屋といっても、弄るところは本棚ぐらいしかない。
 本棚には十数冊の本が並んでいる。
 剣術の指南書や歴史書、数ある伝説を綴った伝記や、それらをモチーフにした小説本だった。
「へぇ、アンタも小説なんか読むんだ」
 キャスは皮肉っぽく笑う。
 ナインは恥ずかしくて何も言い返せなかった。
 一つ一つ本の表題をなぞっていたキャスの指が、ある本に差し掛かったところでピタリと止まる。
 それは三年前に起きた『七日間戦争』を描いた小説だった。
 キャスはナインと同じく幼少の記憶が無い。自分の肉親を知らない。唯一覚えていたのは名前だけ。その名前も正しいとは限らない。いつかは自分の家族を探して世界中を回ろうとも思っていた。その旅立ちを押しとどめているのは、親代わりでもあり恋する男でもある、ニアライト・クオンの存在だった。

 独りが寂しければ、クオンの傍にいればいい。
 家族が欲しければ、クオンの子を産めばいい。

 いまのところどちらも叶いそうにないが、急ぐことはない。ゆっくりと時間を掛けていけばいい。
 キャスはそう思っている。
 次々と表題を追っていくうちに、一冊だけ趣向の異なる表題を見つけた。それは男女の燃えるような愛を描いた恋物語だった。
「アンタ、こんなのも読んでるんだ?」
「……ッ!!」
 キャスが何を指して『こんなもの』と言ったのかを瞬時に理解したナインは、すばやくその本を取り返した。
「こ、これはキースさんが剣の本だけじゃつまらないだろうからって」
 顔を赤くしたナインは必死に言い訳をする。
「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。誰だって読むわよ。いいから貸しなさいよっ」
 キャスは再び本を取り返そうとナインに飛びついた。
 キャスの柔らかい感触が服越しに伝わり、ナインの身体は固まってしまった。
 その隙にキャスはナインの手から本を取り上げ、パラパラと本をめくり朗読を始めた。
「えーっと、なになに、『二人の心は確実にその距離を縮めつつあった』違う、こんなところじゃない。あった、これこれ。『不器用に彼女の背中に回した手で、ぐっとその身体を引き寄せた。吐息を感じるほどに近づいた二人はどちらからともなく目を瞑り……』」
「やーめーろーよー!」
 必要以上に熱のこもったキャスの朗読に、ナインは耐え切れなくなり取り上げようと本を掴んで引っ張った。
 キャスも負けじと本を引っ張り上げる。
 その拍子に床に置かれた自分の荷物に足を取られ、キャスはバランスを崩した。
「危ない!」
 ナインは咄嗟にキャスに飛びつき、胸に抱きかかえて体の上下を無理やり入れ替える。
 ゴス。という鈍い音に、ナインは顔をしかめた。
 壁までの距離が、倒れると頭だけが当たるという絶妙の距離で、自ら飛び込んだ勢いとキャスの体重が加算されたその衝撃は計り知れない。打ち所が悪ければ、命を失う可能性だってあった。
 鈍い痛みに耐えながらゆっくりと目を開けると、そこには潤んだ瞳のキャスの顔があった。
 先程のキャスの朗読宜しく『吐息を感じるほどに近い』距離だった。
 二人は倒れた拍子に重なり合っていたのだ。

 ドッ…ドッ…ドッ…ドッ……

 ナインは自分の心臓が高鳴っているのが分かった。
 そして、自分の手がキャスの背中に回されているままだということも分かった。
 分かっているが、その手は動かせない。
 目を開けたときよりも、キャスの顔が近くにある。
 静かにキャスの目が閉じられていくのを見て、ナインはごくりと生唾を飲み込んだ。

 ……コツ…コツ…コツ…コツ

 石畳の廊下を歩いてくる足音が近づいてきた。反射的に飛び起きた二人は、隠れる場所を探して慌てふためいた。
 そうこうしているうちに、足音はそのまま部屋の前を通り過ぎる。
 ナインは床に落ちていた小説本をそっと本棚に戻した。
 翌朝、ナインはいつもと同じように三人の聖騎士たちと朝食をとり、食後はすぐに部屋に戻った。『企みを感づかれてはいけない』とキャスに厳しく言われているためだ。
 キャスは昨夜と同じように、ナインの部屋で自前で持ってきた食事を済ませている。
 午前中、ナインはいつもと同じように行動をするため、部屋には戻ってこなかった。

 一人部屋で待つキャスは昨夜の出来事を思い出していた。

 なんであんな気持ちになったんだろ。弟みたいだと思ってたのに。
 アイツ、意外にガッチリした体格だったなぁ……

 ブンブンと頭を振り、余念を振り払う。
 することもなくじっとしているから、変なことを考えてしまうのだ。
 キャスはなんでもいいから本を読もうとして本棚の前に立った。
 そして、昨日の恋物語の小説がなくなっていることに気がついた。部屋を見渡すが、床に落ちている様子もない。ナインが隠したか持って行ったかのどちらかだろう。
「アイツ……」
 キャスはいろんな感情がこもった大きなため息をついた。