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君にこの声がとどくように

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 ナインはその先を考えるのを止める。
 考えてしまえば、クオンの役に立てる可能性よりも、足手まといになる可能性が高いことに気がついてしまうから。
 ここで止めてもキャスは行く。
 なら、一人で行くよりも二人で行った方が、まだ安全かもしれない。一緒に行って自分がキャスを守ることに専念すれば、キャスの危険も減るしクオンたちに掛かる負担も少なくて済む。
 単純なことだ。キャスの代わりに、自分の身を危険に晒せばいいだけのことだ。
「わかった。一緒に行くよ。でもキャス、危なかったらすぐ逃げるんだよ」
「あったりまえじゃない」
 キャスは余裕の笑みを浮かべて見せた。
 ナインは知っていた。
 キャスがクオンを愛していることを。そして、クオンのためならば、死ぬことさえも厭わないことを。
 ナインにはその気持ちが良く分かる。
 なぜならば、ナイン自身もそう思っているからだ。キャスとナインの違いは、その対象が一人ではないだけ。

 ナインは、クオンのために、そして自分のために、命を掛けてキャスを守ることを心に誓った。

 *  *  *

「ミース・T・キャロライナ!!」
 街道を歩く二人の周りを、数人の男たちが取り囲む。二人にとって、特にキャスにとっては見慣れた顔ぶれだった。
 キャスは、はあぁ……、と無遠慮なため息をつく。
「もっと素直に喜べよ、キャロライナ。愛しのカール様が迎えに来てんだぜ?」
 カールと名乗る男は、金髪でくせの強い天然パーマの掛かった髪をしている。やや筋肉質で、身長はナインよりも頭半分ほど高い。有力貴族の息子で、王位継承権を持っていることを鼻にかけ、街のチンピラを引き連れやりたい放題やっている男である。ちなみに、彼の持つ王位継承権というのは三百八十六番目だ。
「素直に嫌がってるのよ」
 キャスは一歩も引かずにカールを睨み返す。
「今日は俺の屋敷に来る約束だろ? こんなところでなにやってんだ?」
「はっきりきっぱり断ったはずよ」
「そんな遠慮しなくていいぜ」
「バカじゃないの!?」
 キャスの肩に伸ばされたカールの手を、ナインが下から払い上げた。
 そして、ナインはそのまま二人の間に割って入る。
「彼女は嫌がってるだろ、やめなよ」
 カールは卑下た笑いを浮かべ、周りを取り囲ませている手下たちに向かって声を発した。
「おい、聞いたか今の? 『彼女は嫌がってるだろ〜やめなよ〜』」
 両手を広げ、大袈裟におどけてみせる。
「笑え!」
 周りを囲む男たちは一斉にゲラゲラと笑い出し、カールが左手を上げると、ピタリと笑うのを止めた。
「おやおや、これは騎士見習いのナイン君じゃないか。こんなところで奇遇だねえ、だけど俺はお前に用はないんだ。三秒やるから目の前から消えてくれないか」
 ナインは何も言わずに、にこりと微笑む。
 カールは表情をガラリと変え、眉間にしわを寄せ青筋を立ててナインを睨んだ。
「いてぇ目にあいてえのか?」
「そんな脅しは効かないよ。僕は君に勝ったことはないけど、負けたこともないはずだよ」
 ナインはさらりと流す。が、目は一度も逸らさない。
「盾に隠れてばかりの臆病者のくせに、女の前でかっこつけてんじゃねぇよ! お情けで騎士見習いにしてもらってんのに、勘違いかましてんじゃねぇ! 俺様と同等だとでも思ってやがんのか!? 死に損ないの分際で!!」
 ナインは再び何も答えず、微笑みを浮かべたままだった。
「アンタ、ちょっとは言い返しなさいよ! 好き放題言われて悔しくはないの!? それでも男なのっ!?」
 キャスがナインの後ろから声を荒げる。
「仕方ないよ、ほんとの事なんだから」
 キャスを振り返ったナインの後頭部を、カールの拳が襲った。
 ゴスッ という鈍い音が周囲に響き、見物していた野次馬の何人かは思わず目を覆った。
 膝から崩れ落ちてゆくナインを、キャスは咄嗟に抱き止める。
 ずしりとした見た目よりも重いナインの体重がキャスの身体に掛かり、キャスは数歩よろめきながらも、なんとか支えることができた。
「卑怯者っ! 恥ずかしくないの!?」
「王位継承者に歯向かった罰だ。さぁおいで、キャロライナ」
「誰がついて行くもんか!」
「手荒な真似はしたくないんだよ」
 カールは仮面の微笑みを浮かべる。
 周りを取り囲んでいた男たちがキャスの腕を掴み、ナインを引き剥がした。
 無造作に放り出されたナインは頭を石畳に打ちつけ、血の染みが徐々に広がっていった。
 キャスは必死にもがいたが、数人の男の手から逃れられるわけがなく、また、見物客も巻き添えを恐れて、助けようとする者はいなかった。
 もがき続けるキャスに業を煮やした男が、キャスの腹部に膝蹴りを入れる。
「はぅ……」
 薄れていく意識の中、キャスが最後に見たものはゆらりと立ち上がるナインの姿だった。
 僅か一瞬のことだったが、キャスにはナインの目が紅く染まっているように見えた。
「ダ…メ……」

 *  *  *

 キャスの意識が戻ったとき、そこは中央噴水広場だった。
 ベンチに寝かされていて、額には服でも破ったのか、湿った布の切れ端が乗せられていた。
 もちろん、すぐ隣には心配そうな顔をしているナインの顔がある。
 周りにカールやその取り巻きがいないことを知って、キャスはようやく笑顔を見せた。
「大丈夫? どこか痛くない?」
 それはこっちの台詞だ。とキャスは思った。
 何故ならば、ナインは額から血を流している上に、口の端には殴られたことを表す青痣があったからだ。見えないところにも多数の痣があるに違いない
 キャスは胸が熱くなるのをこらえて、気丈に振舞った。
「うん、平気よ。あたしとしたことが、あんな奴らに遅れをとるなんて悔しいわ」
 魔術師が素手で男をノしていたら、それはそれで問題なんじゃないかなぁ、とナインは思った。
「ところでさ、キャス」
 ナインは唐突に切り出した。
「な、なに?」
 キャスは驚いて、素で返す。
「この先に、美味しいパン屋さんがあるんだけど、寄って行かない?」
 ナインの意外な一面に、キャスは目を丸くする。
「なに?」今度はナインが驚きの表情を浮かべる。
「アンタがそんなこと言うなんて、意外……」
「バーバラおばさんの焼くパンは、ホントにホントに、美味しいんだよ」
 いつになく強引になったナインに連れられて、キャスはパン屋に入った。焼きたてパン特有の暖かい香りと、ふんわりとした甘い香りが鼻先をくすぐる。
「いらっしゃ……なんだい、ナインかい。もうお腹が空いたのかい?」
 赤い髪を後ろで一つに縛ったふくよかな女性が、店の奥から顔を出した。
「こんにちは、バーバラさん」
「こんにちは」
 ナインに続いて、キャスが控えめな挨拶をする。
「あら、そのキレイな娘は? アンタのコレかい?」
 バーバラは小指をビッと勢い良く突きたてた。
 キャスは返答に困っているナインを押しのけて、バーバラの正面に立つ。
「あたしはミース・キャロライナといいます。キャスと呼んで下さいな」
「バーバラだよ。よろしく、キャス」
「美味しいパンがあるって聞いたんですけど、頂けないかしら?」