君にこの声がとどくように
第一章 聖騎士たち
ギィィィィンンンン……
青く澄んだ空の下で、盾に弾かれた剣が激しく鳴動する。未だに静まらない剣の揺れが、その衝撃の強さを物語っていた。
「今のはいい感じだったぜ! ナイン!」
「はい!」
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〜 第一章 聖騎士たち 〜
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ここは王都エルセントの北東部にある聖騎士宿舎の庭だ。聖騎士たちが本拠とする大聖堂は目と鼻の先にある。
ナインは聖騎士キースに剣術指南を受けていた。
剣術指南といっても、訓練用に刃を丸く削っただけの金属製の剣と円形の盾を持ち、石が円形に組まれた闘技場で、実戦形式の模擬戦だ。
十六歳になったナインは、キースとほぼ同じくらいまで背が伸びており、その身長は一七〇前半といったところだろうか。ややキースのほうが高い。歴戦の騎士であるキースと比べてしまうと、各所の肉のつき方にはやや頼りない印象を受ける。腕の太さや胸板の厚さなどが分かりやすいだろう。
「よっしゃ、ここまでにしとこうか」
キースは、右目に掛かる薄い紫の髪を横に流し、ふぅ、と息を吐いた。それは終了の合図であり、キースの集中を解くときの癖でもあった。
「はいっ ありがとうございました」
ナインは弾む息を抑え、深々と頭を下げた。
「休憩して着替えてきな。その頃にはクオンとソロンも帰ってきてるだろうぜ」
「分かりました」
ナインは体中にびっしりと汗を掻いていてた。
一方のキースは、多少の汗が滲んでいるものの、息はまったく乱れておらず、涼しい顔をしている。すぐに剣と盾を積んである石に立てかけ、杯に水を汲んでナインに差し出す余裕がある。
肩で息をしているナインは、杯を受け取ったものの、それを口に運ぶことすらできなかった。
闘技場の脇には、掻いた汗を流したり喉を潤わせたりするための水を溜めた瓶が供えてある。闘技場を使用する機会自体が少ないため、必要なときのみ水を運んでいる。この水も訓練開始前にナインが汲んで運んだものだ。
ナインは杯の水を少し口に含むと、残りを頭から一気にかけた。その水は黒く短い髪に吸われることなく、地面にぼたぼたと滴り落ちていく。
キースは自分の杯の水を飲み干すと、新たに水を汲み、それをナインの頭からゆっくりとかけてやった。
―― 体力差の原因はどこにあるんだろう?
ナインがずっと疑問に思っていることだ。
尋ねることは簡単だったが、それを教えてもらったとしても、すぐにどうにかできるものではない。
差し出されるキースの手。ごつごつした大きな手。掌には黒く変色したタコがいくつもある。そして、何かの拍子に見える、褐色の身体にある数々の傷跡。それを見てしまうと、軽々しく訊いてはいけないような、そんな気がするのだった。
『経験の差』
それがナインとキースの間にある絶対的な違い。無駄な動きなくすこと。余計な力を抜くこと。言うのは簡単だが、言葉で教えられるものではない。
呼吸を整えたナインは、宿舎に向かって走っていった。
その姿が見えなくなった頃、濃い青色をした法衣を纏った二人の男がやって来た。クオンとソロンの二人だ。二人は新しい司教の就任式に参列していた。
「おう、早かったな二人とも。新しい司教様とやらのありがた〜いお話はどうだったよ?」
キースは口の端をあげ、にやりと笑みを浮かべて二人を迎えた。
聖騎士たちの礼服は、司祭たちが着用しているものと同じデザインであるが、司祭たちのものが赤と黒であるのに対し、白と青を基調とした色で染められている。腰には儀礼用の細剣を帯びており、司祭と聖騎士の違いを如実に表していた。
実は三人とも招かれていたのだが、堅苦しい雰囲気が嫌いなキースは参列を辞退した。辞退した聖騎士はキースだけではなく、参列した聖騎士の数のほうが圧倒的に少ない。今回の就任には様々な黒い噂が流れており、多くの者が関わるのを拒否したのだ。
「言ってしまってはなんだが……金で司教の椅子を買ったという噂は、本当かもしれないな」
クオンが小声で言う。
「クオン、やめておけ。どこで聞かれているか分からない」
ソロンは表情を変えずに注意する。鼻に乗せられた小さな眼鏡が、きらりと光を放つ。
「あぁ、すまない。気をつける」
クオンは苦笑した。
エルセント聖教会の聖騎士宿舎の庭先であっても、軽く口を開くことが命取りになるかもしれない。
権力を求め続ける支配階級によって腐敗しきってしまったこの国の行く末を憂いながらも、その現状に甘んじ何も行動を起こさない自分を『現在』に踏みとどまらせるには、ただ苦笑するしかなかったのだ。
「ナインの様子はどうだ?」
クオンは話題を変える。
「メキメキ上達しているな。自分なりの剣が見えてきたのかもしれん。特に盾の使い方が上手い。見ていてこっちが教えられることもあるぐらいだ。油断してるとやられるかもな」
キースは僅かに滲み出ていた汗を拭った。
「そうか」
クオンは嬉しそうに笑った。
三人は、しばらく雑談した後、宿舎に入った。
着替えを終えていたナインは、玄関まで出迎えに来ていた。
「ソロンさん、父上、おかえりなさい。お勤めお疲れ様でした」
その言葉を聞いて、クオンの顔が困ったように歪む。
「ナインよ、その『父上』というのは、なんとかならんものか?」
「父上は父上です」
ナインはきっぱりと言い放つ。
「俺はお前の年齢ほどの子供がいる歳じゃないんだが」
「それでも父上は父上です」
ナインは再度きっぱりと言い放つ。
「気持ちが老け込む……」
クオンは頭を抱えた。
「父上?」
ナインは状況を理解できていなかった。
一つ咳払いをして気を取り直したクオンは、全員を前に口を開いた。
「三十分後に俺の部屋に集まってくれ。ソロンの部屋のほうがいいか?」
「クオンの部屋で問題ない」即答するソロン。
「そうか、それじゃあ俺の部屋に来てくれ。それまでは自由時間とする」
クオンはそれだけを言うと、くるりと振り向いて足早に長い廊下を進み始めた。
「父上、僕は?」
ナインはクオンの後を追いかけた。
新しく就任したという司教様の話や、出掛けていた三日の間に起きた話を聞きたかったし、聞いて欲しかったのだ。
「今回は大司教様から直接賜った任務だ。前回と違ってお前を連れて行くわけにはいかない。話を聞けば行きたくなる。聞かないほうがお前のためだ」
クオンの目は優しい父親の目ではなく、厳しい聖騎士のソレだった。
「……はい」
取り付く余地が無いことを知り、ナインは落胆の表情を見せる。
クオンは小さくため息をついた。
「キースが言っていたぞ、剣の腕を上げたそうだな? 夕食前にでも、俺と二、三手合わせてみるか?」
「はい!」
ナインは、ぱぁっと表情を明るくして返事をした。
自分の部屋へと戻ってゆくナインの背中を眺めていたクオンは、フッと自嘲気味に笑みを浮かべた。
「ついつい、甘やかしてしまうな」
―― 親とはそういうものなのだろうか?
クオンは部屋までの道を、頭を捻りながら歩いたのだった。
作品名:君にこの声がとどくように 作家名:村崎右近