君にこの声がとどくように
* * *
太陽が沈みかけていた。
開拓村に人影はない。地面に座り込むナインが一人残るだけだ。
汗によって付着した土も、すでに乾き切っていた。鶏などの家畜の鳴き声が時折聞こえてくる以外には何の動きもない。どれだけの時間をこうして過ごしたのか、本人さえも分からない。
目の前には剣と盾が並べて置かれている。それらは生前のクオンが使っていたものだ。
つい先ほど、この剣が魔を打ち払う聖剣なのだと知る。義父クオンならばそれを持っていたとしても、何の疑問もない。
しかし、自分ならどうだ。世にいくつもあるものではないだろう。それならば、相応しい者が持つべきであり、自分が相応しいとは到底思えない。
剣と盾をアランから譲り受けるようにと助言したのは、エルセント大聖堂の大司教だった。
ナインは思う。
大司教さまは聖剣であることを知っていたはずだ、と。
なぜ未熟な自分にこんな貴重な物を持たせたのか、と。
なぜ。
なぜ。
次々と浮かんでは消えてゆく疑問。
クオンが消えてしまった心細さ。
いままでそれに耐えられたのは、自身の中に正しくクオン本人が宿っていたからで、ナイン自身がそのことになんとなく気が付いていたからだった。
人は見守られているだけで勇気を得ることができる。
クオンに見守られているからこそ、ナインは心を強く持ち正しく在れた。
それは自身の成長だと思いたくもあり、クオンのおかげだと思いたくもあった。どちらでもあって欲しかったし、どちらでもあって欲しくなかった。
答えなど欲しくなかった。終わりなど求めていなかった。
だからこそ、先延ばしにするように様々な人を手助けしてきたのだ。
罪の意識からの行動でさえもなかった。たどり着けば、そこにあるのは自身の弱さだけだと分かっていた。
そこから逃げることで、目を逸らすことで、さらに罪の意識は増して行った。
虚栄。逃避。偽善。
それらの罪は、ナインの心に確実に積もっていった。
ここまで来れたのは、クオンのおかげだった。それを認めることは自らの未熟を認めることになる。手助けしてきた人々を騙していたことになる。
その罪の意識を少しでも軽くするために、ナインはニアライト・クオンの名を利用し、自らを正当化し、自らを憧れの虚像としてきた。
「許されるわけがない」
知らずにやっていたことではないのだから。
分かった上で、気付かない振りをしていたのだから。
迷い立ち止まったとき、そんなときは必ずクオンが道を示してくれた。
そのクオンはもういない。
クオンが示した道を進まなかった自分が、今更どんな顔でクオンが示した道を進めるというのだ。
それでも、呟きを止めることはできない。
誰かに道を示してもらわねば、これからも罪を重ねてしまう。
「こんなとき、どうしたら……」
ナインは独り呟く。
―― 困り事なら、このキャス様が力になってあげてもいいわよ?
「キャス!!」
ナインは立ち上がる。
そしてキャスがいる小屋まで全力で走った。
なぜ忘れていたのか。こんな大事なことを、なぜ思い出せなかったのか。また湧いてきた『なぜ』に苦笑いを浮かべる。
ルドラを倒したのだから、彼女は元に戻っているはず。黒剣を壊したのだから、彼女の心は戻っているはず。
ナインはそう思い、喜びに震えながら小屋の扉を開けた。
「アナタだぁれ? あたしはクオンを待っているの。用がないなら出て行って」
そこにいたのは『フロンティアの魔女』だった。
再び、魔女は謡う。
―― さぁさ みんなおいで いっしょに謡おう
飛び込む隙はあった。
有無を言わさず押さえ込んで口を防げば、このような状況に陥ることもなかった。
しかし、ナインはそれを実行できなかった。黒剣を破壊したにも拘らず、心が壊れたままのキャスを見て愕然としてしまったのだ。
絶望したナインは、キャスの手に掛かることを望んだ。愛しい女の歌声に包まれながら、美しく舞い踊る彼女を目に焼き付けながら消えることができる。これ以上の最期があるだろうか。
白く光る球体が、その数を増やしてゆく中で、ナインはその一つ一つが彼女の声に共鳴するように微かな音を出していることに気付いた。
自身も驚くほど冷静になったナインは、その音に耳を澄ます。
それは悲しい音色だった。
キャスの歌声と、光球の発する音色とが、互いに共鳴し、共存し、一つの楽曲へと昇華する。
それは悲しみの旋律を奏でていた。
「泣いてる……」
光球は彼女の涙。
その数は悲しみに濡れた夜の数。
「僕たちは、同じだったのか」
ナインは気付くことができた。
ナインが纏っていた彼女の心を傷つける鋼鉄の鎧とは、“ニアライト・クオン”の名前を騙っていること。
彼女の心に映らない恐怖から逃れるために纏った、鋼鉄の鎧。
キャスもまた、自身の行動が招いた現実から逃れるために、光球という他人との関わりを遮断する結界を敷いてしまったのだ。
「やっと分かったよ。僕は“ニアライト・クオン”じゃなくて、“ナイン”なんだってね。キャスに見て欲しかったのは、僕自身だったんだ。クオンの振りをして、クオンの真似をして、それで僕を見てくれるなら……って思ってた。けど、それは間違いだったんだ。僕は僕でしかない。僕は、僕なんだよ」
ナインは一歩踏み出す。
周囲を回っているだけだった光球は、急旋回してナインに向かって飛んだ。
いくつかの光球がナインの身体に命中する。
光球は、音を出すわけでも、光を放つわけでもなく、何事もなかったかのようにナインの身体を通り抜ける。
唯一の変化は、通過した部分の魂、つまりは精気を奪われて、身体が黒く変色していることだ。
それが繰り返されてすべての精気を奪われてしまえば、その肉体は世界に存在しないものとして扱われることになる。
「痛いね……こんなに辛かったんだね……」
弱い自分を恥じるのは、旅に出て何度目になるだろう。
しかし、真に恥ずべきはそれを次に繋げられないことだと気付いた。
クオンがそう教えてくれたのだと、彼女にも伝えなければならない。そのためには、いま、四歩という距離を進まねばならない。
心の殻に閉じ篭って泣いている彼女に、届けなければならない。
ナインは進む。
一歩ごとに、全身を槍で貫かれるような激痛に襲われながら。
太陽が沈みかけていた。
開拓村に人影はない。地面に座り込むナインが一人残るだけだ。
汗によって付着した土も、すでに乾き切っていた。鶏などの家畜の鳴き声が時折聞こえてくる以外には何の動きもない。どれだけの時間をこうして過ごしたのか、本人さえも分からない。
目の前には剣と盾が並べて置かれている。それらは生前のクオンが使っていたものだ。
つい先ほど、この剣が魔を打ち払う聖剣なのだと知る。義父クオンならばそれを持っていたとしても、何の疑問もない。
しかし、自分ならどうだ。世にいくつもあるものではないだろう。それならば、相応しい者が持つべきであり、自分が相応しいとは到底思えない。
剣と盾をアランから譲り受けるようにと助言したのは、エルセント大聖堂の大司教だった。
ナインは思う。
大司教さまは聖剣であることを知っていたはずだ、と。
なぜ未熟な自分にこんな貴重な物を持たせたのか、と。
なぜ。
なぜ。
次々と浮かんでは消えてゆく疑問。
クオンが消えてしまった心細さ。
いままでそれに耐えられたのは、自身の中に正しくクオン本人が宿っていたからで、ナイン自身がそのことになんとなく気が付いていたからだった。
人は見守られているだけで勇気を得ることができる。
クオンに見守られているからこそ、ナインは心を強く持ち正しく在れた。
それは自身の成長だと思いたくもあり、クオンのおかげだと思いたくもあった。どちらでもあって欲しかったし、どちらでもあって欲しくなかった。
答えなど欲しくなかった。終わりなど求めていなかった。
だからこそ、先延ばしにするように様々な人を手助けしてきたのだ。
罪の意識からの行動でさえもなかった。たどり着けば、そこにあるのは自身の弱さだけだと分かっていた。
そこから逃げることで、目を逸らすことで、さらに罪の意識は増して行った。
虚栄。逃避。偽善。
それらの罪は、ナインの心に確実に積もっていった。
ここまで来れたのは、クオンのおかげだった。それを認めることは自らの未熟を認めることになる。手助けしてきた人々を騙していたことになる。
その罪の意識を少しでも軽くするために、ナインはニアライト・クオンの名を利用し、自らを正当化し、自らを憧れの虚像としてきた。
「許されるわけがない」
知らずにやっていたことではないのだから。
分かった上で、気付かない振りをしていたのだから。
迷い立ち止まったとき、そんなときは必ずクオンが道を示してくれた。
そのクオンはもういない。
クオンが示した道を進まなかった自分が、今更どんな顔でクオンが示した道を進めるというのだ。
それでも、呟きを止めることはできない。
誰かに道を示してもらわねば、これからも罪を重ねてしまう。
「こんなとき、どうしたら……」
ナインは独り呟く。
―― 困り事なら、このキャス様が力になってあげてもいいわよ?
「キャス!!」
ナインは立ち上がる。
そしてキャスがいる小屋まで全力で走った。
なぜ忘れていたのか。こんな大事なことを、なぜ思い出せなかったのか。また湧いてきた『なぜ』に苦笑いを浮かべる。
ルドラを倒したのだから、彼女は元に戻っているはず。黒剣を壊したのだから、彼女の心は戻っているはず。
ナインはそう思い、喜びに震えながら小屋の扉を開けた。
「アナタだぁれ? あたしはクオンを待っているの。用がないなら出て行って」
そこにいたのは『フロンティアの魔女』だった。
再び、魔女は謡う。
―― さぁさ みんなおいで いっしょに謡おう
飛び込む隙はあった。
有無を言わさず押さえ込んで口を防げば、このような状況に陥ることもなかった。
しかし、ナインはそれを実行できなかった。黒剣を破壊したにも拘らず、心が壊れたままのキャスを見て愕然としてしまったのだ。
絶望したナインは、キャスの手に掛かることを望んだ。愛しい女の歌声に包まれながら、美しく舞い踊る彼女を目に焼き付けながら消えることができる。これ以上の最期があるだろうか。
白く光る球体が、その数を増やしてゆく中で、ナインはその一つ一つが彼女の声に共鳴するように微かな音を出していることに気付いた。
自身も驚くほど冷静になったナインは、その音に耳を澄ます。
それは悲しい音色だった。
キャスの歌声と、光球の発する音色とが、互いに共鳴し、共存し、一つの楽曲へと昇華する。
それは悲しみの旋律を奏でていた。
「泣いてる……」
光球は彼女の涙。
その数は悲しみに濡れた夜の数。
「僕たちは、同じだったのか」
ナインは気付くことができた。
ナインが纏っていた彼女の心を傷つける鋼鉄の鎧とは、“ニアライト・クオン”の名前を騙っていること。
彼女の心に映らない恐怖から逃れるために纏った、鋼鉄の鎧。
キャスもまた、自身の行動が招いた現実から逃れるために、光球という他人との関わりを遮断する結界を敷いてしまったのだ。
「やっと分かったよ。僕は“ニアライト・クオン”じゃなくて、“ナイン”なんだってね。キャスに見て欲しかったのは、僕自身だったんだ。クオンの振りをして、クオンの真似をして、それで僕を見てくれるなら……って思ってた。けど、それは間違いだったんだ。僕は僕でしかない。僕は、僕なんだよ」
ナインは一歩踏み出す。
周囲を回っているだけだった光球は、急旋回してナインに向かって飛んだ。
いくつかの光球がナインの身体に命中する。
光球は、音を出すわけでも、光を放つわけでもなく、何事もなかったかのようにナインの身体を通り抜ける。
唯一の変化は、通過した部分の魂、つまりは精気を奪われて、身体が黒く変色していることだ。
それが繰り返されてすべての精気を奪われてしまえば、その肉体は世界に存在しないものとして扱われることになる。
「痛いね……こんなに辛かったんだね……」
弱い自分を恥じるのは、旅に出て何度目になるだろう。
しかし、真に恥ずべきはそれを次に繋げられないことだと気付いた。
クオンがそう教えてくれたのだと、彼女にも伝えなければならない。そのためには、いま、四歩という距離を進まねばならない。
心の殻に閉じ篭って泣いている彼女に、届けなければならない。
ナインは進む。
一歩ごとに、全身を槍で貫かれるような激痛に襲われながら。
作品名:君にこの声がとどくように 作家名:村崎右近