君にこの声がとどくように
光球が壁や床に跳ね返っていたことから、二つの仮定を打ち立てる。
一つ、光球は人体以外には無害なものである。
だとすれば服を脱がす理由も説明でき、小屋そのものに被害が全くないことにも説明がつく。
二つ、光球は何らかの理由で小屋の外には出られない、または、小屋そのものには影響できない。
どちらであろうとも、小屋から脱出しなければ何も始まらない。
ナインは着地のことなど考えずに、がむしゃらに身を投げ出して小屋からの脱出を果たした。
高床式建築の床板は地上一メートルの高さにあるため、落下の衝撃は強くなる。ナインは落下の痛みに顔を歪めながらも素早く扉を向き直り、追撃に備えた。
膝をついたまま、いつでも飛び退けるように身構える。
しかし、何も起きない。
強引に開けられた扉が、所在なさげに揺れているだけだ。肌を刺激するほどに高まっていた魔力は微塵も感じられない。
先ほど扉一つ向こうで男が喰われたときにも何も感じられなかったことを思い出し、彼女の力がこの小屋の中でのみ有効であることを悟る。
考え付く対処法は二つ。
有無を言わさず飛び込んで引きずり出すか、小屋を外から破壊するか。
小屋は木製だ。道具さえあれば、破壊自体はそう難しいことではない。
「ニイチャン、いい格好してるな?」
背後から聞こえてきた男の声。
何かが振り下ろされる気配を感じ、ナインは咄嗟に地面を転がる。
男の振り下ろした棒が空を切り、ぶぅん、と鳴った。
「何をする!」
ナインはそう叫ぼうとして、それを止めた。
棒や手斧など思い思いの武器を持った男たちがずらりと並んでいたからだ。 総勢八人。その中に女が一人。
女は堂々と小屋に入ると、ナインの剣を持って出てきた。
「いい剣だね。こいつは高く売れそう」
「全員が共犯か」ナインは女を睨みつける。
「失礼ね。持ち主がいなくなった物を、必要としている人に譲ってあげてるだけよ? もちろん、手数料はいただくけどね」
背後の男たちはそれぞれに身構えている。
「お前が……主犯か」
ナインの声は怒りに震えていた。
「こんなオイシイ金蔓を渡してなるものか。たまにいるんだよね、運悪く逃げ出せちまう奴が。フフッ……お前たち、可愛がってあげな」
七人の男たちが、得物を振り上げてナインに襲い掛かった。
「なんて憐れな……」
ナインは七人と対峙する。
相手が七人いるからといっても、七本の得物が同時に迫ってくるわけではない。連携攻撃を訓練した者ならばいざ知らず、相手は素人に毛が生えた程度の一般人でしかないのだ。
四本が同時に振り下ろされる。
振り下ろすとは言っても、ナインの頭は想像以上に高い位置にある。そこに打ち込むためには、高さの分だけ余計に間合いを詰めなければならない。
四本の中で一番早いものに向け、一歩踏み込む。たったそれだけの動作で、全員の間合いが崩れる。
未だ勢いが付いていない棒は、素手であっても難なく捉えることができる。右手で鷲掴みにし、身体を入れ替えるように引き倒しつつ、別の一本を回避。残りの二人を巻き込むように引き倒した相手を派手に転がし、怯んだ相手に前蹴りを放つ。
打撃を与えたのは一人だけだが、傍から見れば一瞬で四人を打ち倒したように見える。
相手を怯ませ士気を下げる。攻撃をいなし、バランスを崩し、浮き足立たせ、時間を稼ぐ。
それは一年前から変わらぬナインの戦いだ。ナインはもう誰かに守られる存在ではない。
「バカなことはもう止めるんだ」
残る三人の足が止まったことを確認し、ナインは主犯格と思しき女に向き直った。
「うるさい! あたしらだって生きるために必死なんだよ!」
“必死”という言葉が、ナインの胸に突き刺さる。
「必死なら……必死なら何をやっても許されるのか!!」
それは嘆きだ。
一年前、彼は、ナインは必死であった。
義父に追いつこうと必死であったし、義父の力になれるようにと必死であった。
その行き過ぎた思いが、義父ニアライト・クオンを死に追いやり、キャスの精神を崩壊させる事態を招いてしまったのだ。
誰も彼を責めない。誰も彼を咎めない。
それは彼が必死だったからだ。しかし、それが原因で義父は命を失い、キャスは心を失った。その事実は揺るがない。
必死なら何をやっても許されるのか。
ならばこの気持ちはどこへ向ければいいのか。
ナインが旅の中で求めたものは、その答えだ。
自身を含めたその場にいる全員に対して向けられた叫びは、遠く空へと染み渡ってゆく。
―― 黒が現れた。
それはあまりにも唐突に。
何の前触れもなく。
理不尽なほど圧倒的な存在感を一瞬で示した。
黒よりも黒い、漆黒。
炎のような妖気を身に纏う闇の騎士。
義父ニアライト・クオンが魂を捧げて倒したはずの魔の者。正視することさえも躊躇われる恐怖。ナインはその感覚を忘れたりしない。
そして、もう二度と恐怖に飲み込まれることもない。何よりの恐怖が、何もできずに大切なものを失ってしまうことだと知っているからだ。
「剣を!!」
ガクガクと小刻みに震える女の手から剣をもぎ取り、小屋の扉のすぐそこに見える盾を手に取って、すぐさま扉を閉める。
ナインは、クオンの剣と盾を握り締めた。
クオンが一緒に戦ってくれる。
倒す必要はない。キャスの心を取り戻すだけでいい。
それこそが勝利であり、それだけが勝利だ。
闇の騎士との再会が幸運か不運かを決めるのは、この瞬間ではない。それは明日だ。
ならばこそ、その答えはすでに決まっている。
「この再会に感謝します」 ナインは十字を切る。
「我は、黒騎士ルドラ」
ルドラはそれ以上は何も言わず、一年前と同じく馬を降り、二メートルの巨剣を構えた。
光沢のない刀身は、周囲の光を吸い込んでその黒さを一層際立たせている。
交わす言葉話など、何もなかった。
なぜここに現れたのか。そんな問いに意味はない。双方が求めているものは、言葉で説明できる物事ではない。
一方は心躍る戦いを。
一方は想いの行先を。
共に求めるものが揺ぎ無いものであるならば、そこに言葉は必要ない。
ただ剣を交えるのみ。
「ニアライト・クオンが長子、ニアライト・ナイン」
ナインは毅然と名乗りを上げる。
クオンから授かったナインという名。
クオンと同じニアライト姓。断絶という不名誉を受けたニアライト姓であっても、ナインには微塵も恥じることなどない。名も姓も、どちらも同様に誇るべきものだ。
息を吐き、腰を落とし、剣と盾を構え、相手を正面に見据える。
「いざ、尋常に……」
―― 勝負!!
一つ、光球は人体以外には無害なものである。
だとすれば服を脱がす理由も説明でき、小屋そのものに被害が全くないことにも説明がつく。
二つ、光球は何らかの理由で小屋の外には出られない、または、小屋そのものには影響できない。
どちらであろうとも、小屋から脱出しなければ何も始まらない。
ナインは着地のことなど考えずに、がむしゃらに身を投げ出して小屋からの脱出を果たした。
高床式建築の床板は地上一メートルの高さにあるため、落下の衝撃は強くなる。ナインは落下の痛みに顔を歪めながらも素早く扉を向き直り、追撃に備えた。
膝をついたまま、いつでも飛び退けるように身構える。
しかし、何も起きない。
強引に開けられた扉が、所在なさげに揺れているだけだ。肌を刺激するほどに高まっていた魔力は微塵も感じられない。
先ほど扉一つ向こうで男が喰われたときにも何も感じられなかったことを思い出し、彼女の力がこの小屋の中でのみ有効であることを悟る。
考え付く対処法は二つ。
有無を言わさず飛び込んで引きずり出すか、小屋を外から破壊するか。
小屋は木製だ。道具さえあれば、破壊自体はそう難しいことではない。
「ニイチャン、いい格好してるな?」
背後から聞こえてきた男の声。
何かが振り下ろされる気配を感じ、ナインは咄嗟に地面を転がる。
男の振り下ろした棒が空を切り、ぶぅん、と鳴った。
「何をする!」
ナインはそう叫ぼうとして、それを止めた。
棒や手斧など思い思いの武器を持った男たちがずらりと並んでいたからだ。 総勢八人。その中に女が一人。
女は堂々と小屋に入ると、ナインの剣を持って出てきた。
「いい剣だね。こいつは高く売れそう」
「全員が共犯か」ナインは女を睨みつける。
「失礼ね。持ち主がいなくなった物を、必要としている人に譲ってあげてるだけよ? もちろん、手数料はいただくけどね」
背後の男たちはそれぞれに身構えている。
「お前が……主犯か」
ナインの声は怒りに震えていた。
「こんなオイシイ金蔓を渡してなるものか。たまにいるんだよね、運悪く逃げ出せちまう奴が。フフッ……お前たち、可愛がってあげな」
七人の男たちが、得物を振り上げてナインに襲い掛かった。
「なんて憐れな……」
ナインは七人と対峙する。
相手が七人いるからといっても、七本の得物が同時に迫ってくるわけではない。連携攻撃を訓練した者ならばいざ知らず、相手は素人に毛が生えた程度の一般人でしかないのだ。
四本が同時に振り下ろされる。
振り下ろすとは言っても、ナインの頭は想像以上に高い位置にある。そこに打ち込むためには、高さの分だけ余計に間合いを詰めなければならない。
四本の中で一番早いものに向け、一歩踏み込む。たったそれだけの動作で、全員の間合いが崩れる。
未だ勢いが付いていない棒は、素手であっても難なく捉えることができる。右手で鷲掴みにし、身体を入れ替えるように引き倒しつつ、別の一本を回避。残りの二人を巻き込むように引き倒した相手を派手に転がし、怯んだ相手に前蹴りを放つ。
打撃を与えたのは一人だけだが、傍から見れば一瞬で四人を打ち倒したように見える。
相手を怯ませ士気を下げる。攻撃をいなし、バランスを崩し、浮き足立たせ、時間を稼ぐ。
それは一年前から変わらぬナインの戦いだ。ナインはもう誰かに守られる存在ではない。
「バカなことはもう止めるんだ」
残る三人の足が止まったことを確認し、ナインは主犯格と思しき女に向き直った。
「うるさい! あたしらだって生きるために必死なんだよ!」
“必死”という言葉が、ナインの胸に突き刺さる。
「必死なら……必死なら何をやっても許されるのか!!」
それは嘆きだ。
一年前、彼は、ナインは必死であった。
義父に追いつこうと必死であったし、義父の力になれるようにと必死であった。
その行き過ぎた思いが、義父ニアライト・クオンを死に追いやり、キャスの精神を崩壊させる事態を招いてしまったのだ。
誰も彼を責めない。誰も彼を咎めない。
それは彼が必死だったからだ。しかし、それが原因で義父は命を失い、キャスは心を失った。その事実は揺るがない。
必死なら何をやっても許されるのか。
ならばこの気持ちはどこへ向ければいいのか。
ナインが旅の中で求めたものは、その答えだ。
自身を含めたその場にいる全員に対して向けられた叫びは、遠く空へと染み渡ってゆく。
―― 黒が現れた。
それはあまりにも唐突に。
何の前触れもなく。
理不尽なほど圧倒的な存在感を一瞬で示した。
黒よりも黒い、漆黒。
炎のような妖気を身に纏う闇の騎士。
義父ニアライト・クオンが魂を捧げて倒したはずの魔の者。正視することさえも躊躇われる恐怖。ナインはその感覚を忘れたりしない。
そして、もう二度と恐怖に飲み込まれることもない。何よりの恐怖が、何もできずに大切なものを失ってしまうことだと知っているからだ。
「剣を!!」
ガクガクと小刻みに震える女の手から剣をもぎ取り、小屋の扉のすぐそこに見える盾を手に取って、すぐさま扉を閉める。
ナインは、クオンの剣と盾を握り締めた。
クオンが一緒に戦ってくれる。
倒す必要はない。キャスの心を取り戻すだけでいい。
それこそが勝利であり、それだけが勝利だ。
闇の騎士との再会が幸運か不運かを決めるのは、この瞬間ではない。それは明日だ。
ならばこそ、その答えはすでに決まっている。
「この再会に感謝します」 ナインは十字を切る。
「我は、黒騎士ルドラ」
ルドラはそれ以上は何も言わず、一年前と同じく馬を降り、二メートルの巨剣を構えた。
光沢のない刀身は、周囲の光を吸い込んでその黒さを一層際立たせている。
交わす言葉話など、何もなかった。
なぜここに現れたのか。そんな問いに意味はない。双方が求めているものは、言葉で説明できる物事ではない。
一方は心躍る戦いを。
一方は想いの行先を。
共に求めるものが揺ぎ無いものであるならば、そこに言葉は必要ない。
ただ剣を交えるのみ。
「ニアライト・クオンが長子、ニアライト・ナイン」
ナインは毅然と名乗りを上げる。
クオンから授かったナインという名。
クオンと同じニアライト姓。断絶という不名誉を受けたニアライト姓であっても、ナインには微塵も恥じることなどない。名も姓も、どちらも同様に誇るべきものだ。
息を吐き、腰を落とし、剣と盾を構え、相手を正面に見据える。
「いざ、尋常に……」
―― 勝負!!
作品名:君にこの声がとどくように 作家名:村崎右近