君にこの声がとどくように
翌日、クオンの鎧の返還の儀が行われた。
当主ニアライト・アランの元から、大司教の元へと返還され、もちろん、ナインもそれを見届けた。返還された鎧は、聖騎士宿舎のクオンの部屋に運ばれ、後日、その他の物と一緒にまとめて運び出される。
本当はキャスも連れて来たかったが、あまりに気持ちよさそうに眠っていたので寝かせたまま一人で参列することにした。
午前中のうちに儀式は終わった。
ナインはすぐにでも宿舎に戻りたかったのだが、アランとの本の受け渡しの約束があり、しばらく待たされることになった。
三十分ほどして、約束の場所にアランが現れる。
「随分と遅いですね」
「ふん。何かと忙しいのだよ。貴様と違ってな。一人の女にうつつを抜かすほど暇ではない」
ナインは湧き起こる怒りをなんとか堪え、約束の本を手渡した。
「もう二度と、俺とニアライト家に関わるな。いいな」
「アラン様。最後に、お爺様に挨拶をさせてください」
「ふんっ……。まぁ、いいだろう。あの呆けた老人に何の用があるか知らんがな」
アランは不敵な笑みを浮かべ、やって来た方向へ去っていった。
ナインは宿舎へと急いだ。息を荒げて全力で走った。
そうして帰り着いた自分の部屋には、キャスの姿は無かった。用を足しに出ているのかと思いしばらく待っていたが、帰ってくる気配が無い。
それから宿舎中を探したがどこにもいない。
治療や診察のために誰かがどこかへ連れて行くという話は聞いていない。仮にそうだとしたら、門番の衛兵が知らないのはおかしい。
「キャス!! どこだーー!!」
結局、キャスを見つけることはできなかった。
西門の辺りでキャスに似た女の子を連れた数人の男を見たという証言がとれた。ナインはすぐにアランの仕業だと確信したが、証拠は何もない。
―― 自分の足で、自分の目で探すしかない。
ナインはそう決心したのだった。
* * *
「父上……」
ナインは、すっかりやつれてしまった義理の祖父、ニアライト・ウィルの手を取った。
ウィルは、一族の中で唯一クオンを愛し、クオンの義理の子である自分をも愛してくれた男だ。
「クオンか?」
ウィルは、クオンが極秘の任務で旅に出ると信じているのだ。
もはや立ち上がることもできぬ高齢で、余命は幾許もない。
ナインは、最後にクオンの振りをして別れを告げようとしたのだ。それが、ナインにできる唯一の恩返しだと考えたのだ。
「クオンは行かねばなりません。再び生きてお会いすることは叶わないかもしれません。私は不出来な息子でございました。愛して頂き光栄の極みでございました」
「よい。私こそ不甲斐のない父親であった。許してくれ」
「いいえ。貴方は立派な方です。尊敬しております」
「もう行け。行かねばならぬのだろう?」
「はい。行って参ります」
ナインはゆっくりとウィルの手を離し、静かに立ち上がった。重厚な白銀の鎧が、カチャリと固く冷たい音を立てる。
「ナイン」
ナインが数歩離れたとき、ウィルは掠れた消え去りそうな声でナインの名を呼んだ。
「…!!」
「ありがとう、ナイン」
「お爺…様……」
「いや、お前はニアライト・クオンだったな。父親の私が言うのだから間違いない。もっと胸を張って歩くのだ。探し人が見つかると良いな。さぁ行け、我が子よ。汝に神のご加護があらんことを」
深々と頭を下げたナインは、無言のままに部屋を出た。
ニアライト・ウィルがこの世を去ったのは、ナインが王都を旅立った翌日のことだった。
* * *
ナインは、ニアライト・クオンを名乗り、大陸中を歩いた。
森を抜け、山を越え、砂漠を渡った。大陸中の街を歩いたが、エルセントほど活気のある街はなかった。世界を目と耳と肌で感じてきたナインは、逞しく成長していた。
そうして八ヶ月が過ぎ、ナインは久しぶりに王都エルセントへと戻ってきていた。
ナインが王都エルセントに帰ってきたのは、旅に疲れたからではない。ニアライト家が取り潰されるという噂を聞いたからだ。
前当主ウィルが死去したあと、当主アランは派手に賄賂を行い、一つでも上の地位を手に入れようとしたのだ。
それを聖教会の聖騎士たちに暴かれた。
言い渡された罪状は、私財没収の上、御家断絶。前当主ウィルと末弟クオンの功績に免じ、斬首刑は免れたものの、ふんぞり返っていた貴族が没落したあとに生きてゆけるようなご時勢ではなかった。
死罪のほうが“マシ”だったのである。
「アラン様」
王都エルセントに着いたナインは、真っ先にアランの元へと向かった。
「ナインか。見違えたな。貴様も俺から奪いに来たのか? だが遅かったな、もう何も残ってはいまい」
屋敷の惨状はすさまじく、絵画や調度品はもちろん、家具から絨毯までもが持ち出されている。すべて使用人たちが持ち逃げしたのだ。
「お願いが二つ、ございます。もし聞いて下されば、アラン様の望みを叶えて差し上げましょう」
「……言ってみろ」
「ニアライトの名を、正式に授けて頂きたい」
「ははっ、今更こんな名前を欲しがるのか? 何の栄誉もなくなったのだぞ? はははっ そうか、名前すらも奪われるというのか。まぁいい、ニアライトの名前など貴様にくれてやるわ。さぁ、もう一つは何だ」
「私はこの八ヶ月の間、ずっとある人を探しておりました。もしもご存知でしたら、居場所を教えて頂きたいのです」
「誰だ?」
「ミース・T・キャロライナ」
「……未開拓地フロンティア北部にある密林の奥に、開拓民の村がある。そこへ行け」
「ありがとうございます」
ナインは少しだけ頭を下げる。
「さぁ、もういいだろう? 今度は私の番だ」
「えぇ。どうぞ」
アランは隠し戸の奥から一振りの小剣を取り出してナインに向けた。
「この剣は、遥か西にある砂漠の国、その王の墓から掘り出されたものだ。文献によると、この剣で殺された者の魂は天国にも地獄にもいけないらしい」
アランはナインを見る。
ナインはまっすぐにアランの視線を受け止めた。
「俺は死んだら地獄へ行くと思う」
高圧的だったアランの口調が変化していた。
背負っていた重荷からようやく開放されたという安堵の声だった。
当主ニアライト・アランの元から、大司教の元へと返還され、もちろん、ナインもそれを見届けた。返還された鎧は、聖騎士宿舎のクオンの部屋に運ばれ、後日、その他の物と一緒にまとめて運び出される。
本当はキャスも連れて来たかったが、あまりに気持ちよさそうに眠っていたので寝かせたまま一人で参列することにした。
午前中のうちに儀式は終わった。
ナインはすぐにでも宿舎に戻りたかったのだが、アランとの本の受け渡しの約束があり、しばらく待たされることになった。
三十分ほどして、約束の場所にアランが現れる。
「随分と遅いですね」
「ふん。何かと忙しいのだよ。貴様と違ってな。一人の女にうつつを抜かすほど暇ではない」
ナインは湧き起こる怒りをなんとか堪え、約束の本を手渡した。
「もう二度と、俺とニアライト家に関わるな。いいな」
「アラン様。最後に、お爺様に挨拶をさせてください」
「ふんっ……。まぁ、いいだろう。あの呆けた老人に何の用があるか知らんがな」
アランは不敵な笑みを浮かべ、やって来た方向へ去っていった。
ナインは宿舎へと急いだ。息を荒げて全力で走った。
そうして帰り着いた自分の部屋には、キャスの姿は無かった。用を足しに出ているのかと思いしばらく待っていたが、帰ってくる気配が無い。
それから宿舎中を探したがどこにもいない。
治療や診察のために誰かがどこかへ連れて行くという話は聞いていない。仮にそうだとしたら、門番の衛兵が知らないのはおかしい。
「キャス!! どこだーー!!」
結局、キャスを見つけることはできなかった。
西門の辺りでキャスに似た女の子を連れた数人の男を見たという証言がとれた。ナインはすぐにアランの仕業だと確信したが、証拠は何もない。
―― 自分の足で、自分の目で探すしかない。
ナインはそう決心したのだった。
* * *
「父上……」
ナインは、すっかりやつれてしまった義理の祖父、ニアライト・ウィルの手を取った。
ウィルは、一族の中で唯一クオンを愛し、クオンの義理の子である自分をも愛してくれた男だ。
「クオンか?」
ウィルは、クオンが極秘の任務で旅に出ると信じているのだ。
もはや立ち上がることもできぬ高齢で、余命は幾許もない。
ナインは、最後にクオンの振りをして別れを告げようとしたのだ。それが、ナインにできる唯一の恩返しだと考えたのだ。
「クオンは行かねばなりません。再び生きてお会いすることは叶わないかもしれません。私は不出来な息子でございました。愛して頂き光栄の極みでございました」
「よい。私こそ不甲斐のない父親であった。許してくれ」
「いいえ。貴方は立派な方です。尊敬しております」
「もう行け。行かねばならぬのだろう?」
「はい。行って参ります」
ナインはゆっくりとウィルの手を離し、静かに立ち上がった。重厚な白銀の鎧が、カチャリと固く冷たい音を立てる。
「ナイン」
ナインが数歩離れたとき、ウィルは掠れた消え去りそうな声でナインの名を呼んだ。
「…!!」
「ありがとう、ナイン」
「お爺…様……」
「いや、お前はニアライト・クオンだったな。父親の私が言うのだから間違いない。もっと胸を張って歩くのだ。探し人が見つかると良いな。さぁ行け、我が子よ。汝に神のご加護があらんことを」
深々と頭を下げたナインは、無言のままに部屋を出た。
ニアライト・ウィルがこの世を去ったのは、ナインが王都を旅立った翌日のことだった。
* * *
ナインは、ニアライト・クオンを名乗り、大陸中を歩いた。
森を抜け、山を越え、砂漠を渡った。大陸中の街を歩いたが、エルセントほど活気のある街はなかった。世界を目と耳と肌で感じてきたナインは、逞しく成長していた。
そうして八ヶ月が過ぎ、ナインは久しぶりに王都エルセントへと戻ってきていた。
ナインが王都エルセントに帰ってきたのは、旅に疲れたからではない。ニアライト家が取り潰されるという噂を聞いたからだ。
前当主ウィルが死去したあと、当主アランは派手に賄賂を行い、一つでも上の地位を手に入れようとしたのだ。
それを聖教会の聖騎士たちに暴かれた。
言い渡された罪状は、私財没収の上、御家断絶。前当主ウィルと末弟クオンの功績に免じ、斬首刑は免れたものの、ふんぞり返っていた貴族が没落したあとに生きてゆけるようなご時勢ではなかった。
死罪のほうが“マシ”だったのである。
「アラン様」
王都エルセントに着いたナインは、真っ先にアランの元へと向かった。
「ナインか。見違えたな。貴様も俺から奪いに来たのか? だが遅かったな、もう何も残ってはいまい」
屋敷の惨状はすさまじく、絵画や調度品はもちろん、家具から絨毯までもが持ち出されている。すべて使用人たちが持ち逃げしたのだ。
「お願いが二つ、ございます。もし聞いて下されば、アラン様の望みを叶えて差し上げましょう」
「……言ってみろ」
「ニアライトの名を、正式に授けて頂きたい」
「ははっ、今更こんな名前を欲しがるのか? 何の栄誉もなくなったのだぞ? はははっ そうか、名前すらも奪われるというのか。まぁいい、ニアライトの名前など貴様にくれてやるわ。さぁ、もう一つは何だ」
「私はこの八ヶ月の間、ずっとある人を探しておりました。もしもご存知でしたら、居場所を教えて頂きたいのです」
「誰だ?」
「ミース・T・キャロライナ」
「……未開拓地フロンティア北部にある密林の奥に、開拓民の村がある。そこへ行け」
「ありがとうございます」
ナインは少しだけ頭を下げる。
「さぁ、もういいだろう? 今度は私の番だ」
「えぇ。どうぞ」
アランは隠し戸の奥から一振りの小剣を取り出してナインに向けた。
「この剣は、遥か西にある砂漠の国、その王の墓から掘り出されたものだ。文献によると、この剣で殺された者の魂は天国にも地獄にもいけないらしい」
アランはナインを見る。
ナインはまっすぐにアランの視線を受け止めた。
「俺は死んだら地獄へ行くと思う」
高圧的だったアランの口調が変化していた。
背負っていた重荷からようやく開放されたという安堵の声だった。
作品名:君にこの声がとどくように 作家名:村崎右近