君にこの声がとどくように
『エルセント聖教会所属 聖騎士ニアライト・クオン 死す』
その訃報は、半日で街中に広まった。
庶民の人気の高さと、国王が授ける階級は、必ずしも一致していないといういい事例だ。クオンの兄姉たちによる冷たい仕打ちは、彼の人気の高さを妬んでのことだったのかもしれない。
クオンの葬儀が行われ、喪が明けると、ナインはニアライト家に居場所がなくなった。
クオンがいなくなってしまった今、ナインが留まる理由は何も無かった。そして、一族の中には誰も引き取ろうとする者はいなかった。誰か引き取り手がいたとしても、ナインはそれを拒んだだろう。
現当主ニアライト・アランは、面会に来たナインを冷たくあしらった。
「ふん。調子に乗るな。体面のために葬儀を行ってやったのだ。そうでなければ誰があんな女の子どもなんかに、葬儀を出してやるものか」
ナインは歯を喰いしばって耐えた。
クオンの言葉を思い出し、アランの言葉にじっと耐えた。
『俺は父と母の名を汚されることだけは許せない。だが“怒り”を抱くことはない。それは神が心を試しているのだ』
「アラン様、お願いがございます。父上のこの剣と盾と鎧を、どうか私に譲って頂きたい。もう一つ、ニアライトの姓を、正式に授けて頂きたいのです。それさえ叶えば、他には何も望みません」
クオンの鎧を身に纏い、クオンの剣と盾を持ったナインは、クオンと瓜二つであった。
それがアランには気に入らなかった。
「ならん。クオンの遺品は、何一つとして貴様にはやらん。当主である俺が認めていないのだから、貴様はクオンの養子でもなんでもないのだ。こうして話す時間を割いてもらっただけでもありがたいと思え」
「父上の蔵書の中には、値打ちのあるものもございます。聖教会に所属する父は、そのすべてを教会に寄贈することを約束しておりました。いかに当主といえども、いえ、当主であればこそ、この約束を覆すわけには参りません。ですが私ならば、父の書斎からそれらの本を抜き取ることが可能でございます」
「そういうことか、分かった。だが鎧はやれんぞ。鎧は聖騎士の証として教会から贈られたものだ。したがって、聖騎士でない貴様にやることはできん。教会に返還する。そして、ニアライトの名を名乗ることも許さぬ。剣と盾だけは持っていくがいい」
「分かりました。寛大なご処置に感謝致します」
続いて、ナインは聖騎士宿舎へと足を向けた。
鎧の返還や、アランと約束した書籍を抜き出すという目的もあったが、ナインにとって、それよりも大事なことがあった。
宿舎には、黒騎士が持つ漆黒の剣によって心を壊されてしまったキャスがいる。キャスはどこに連れて行っても、目を離した隙に抜け出して、聖騎士宿舎にあるナインの部屋の窓を叩きにやってくる。そのため、今ではナインの部屋に住まわせてある。
あのとき、黒騎士ルドラはキャスの身体ではなく精神を貫いたのだ。漆黒の剣には、肉体でなく心のみを壊す力もあった。
ナインは自分の部屋へ戻る前に、クオンの部屋からいくつかの本を持ち出していた。
剣と盾をもらう代わりに、いくつかの本をアランへ渡すことについては、すでに大司教からの許可を得ている。クオンの葬儀の際、大司教からそうすると良いと助言されたのだ。
大司教は、ニアライト・アランの性格を熟知しており、また、これからのナインの行動もお見通しだったのだ。
そうして大司教は、クオンのつけていたロザリオを見せてこう言った。
『いつか君の首にこれを掛ける日が来ることを祈っておるよ。それまではワシが預かっておく』
つまり大司教は、ナインに『聖騎士になれ』と言ったのだ。
しかし、ナインには頷くことができなかった。自分にクオンのロザリオを受け継ぐ資格があるのか分からなかったからだ。
ようやく自分の部屋に戻ってきたナインは、長い一日だ、と思った。
まだ日は沈んでいない。少し紅みを帯びてきたところだ。
ドアを開けると、無表情のままのキャスが座っていた。その身体からは生気が全く感じられない。
「キャス、帰ってきたよ。ただいま」
ナインはこの瞬間が一番怖かった。
呼びかけても、呼びかけても、返事が返ってこないことが怖ろしいのだ。愛しい女性が、目の前に、手を伸ばせば届くところにいるのに、こんなに、こんなにも近くにいるのに、その目は虚空を捉えたまま、決して自分を映すことはない。
この苦しみは、誓いを破った罰。
ナインは、命を賭してキャス守るという誓いを立てた。しかし、その誓いを破ってしまった。その誓いを守ることができなかった。
口を開かなければ王都一の美少女なのに、と思っていた日々を思い出す。しかし、目の前の少女は物言わぬ人形だ。
食事、排泄、睡眠。それ以外の行動は何もしない。ただ椅子に座ったまま、どこか遠くを見つめて一日を過ごす。どこか別の場所へ移しても、必ずナインの部屋の窓の下に戻ってくる。ナインが窓を開け、手を伸ばすと、わずかに微笑んでその手を掴み、部屋の中へ上ってくる。
それが今のキャスのすべて。
壊された心を癒す方法は、まだ見つかっていない。教会の書庫をひっくり返してみたが、それらしいものは見つからなかった。
今日も反応はないのだろう。
窓の外の遠い空を見るキャスの前に回り込み、再度「ただいま」と言った。
すると、キャスが反応をみせた。ナインの目に焦点が合わさり、二人は正面から見つめ合う形となる。
「キャス……?」
ナインの心臓は高鳴った。キャスの目は、今までナインが見たことのない恋する乙女の瞳だったのだ。
固まって動けないナインの首に、ゆっくりとキャスの両手がまわされる。
キャスの顔がさらにゆっくりとナインに近づいてゆく。
「ダ、ダメだ……んんっ!?」
キャスはナインの唇を奪い、そのまま吸い続けた。経験がないナインは、何もすることができずされるがままになっていた。
キャスはナインの身を包む鎧を外し始めた。
「愛してる……クオン」
「……ッ!!」
その一言は、ナインの心を貫いた。
キャスはクオンの鎧を纏っていたナインをクオンと間違えていたのだ。
クオンとナインは、顔も声も髪の色も違う。ただ、クオンの鎧に反応した。いつも見ていたクオンのこの鎧に。
この鎧を纏っていた、クオンに。
キャスがこれだけ反応を見せたのは初めてのことだった。
もしかしたら、キャスの心を治せるかもしれない。
もし治ったら、そのときはどんな罰でも甘んじて受け入れよう。
……でももし、もし治らなかったら?
考えがまとまる前にナインが身に付けていた鎧はすべて外されてしまい、二人ともが一糸纏わぬ生まれたままの姿となった。
ナインの思考はそこで止まった。
二人は朝が訪れるまで何度も何度も求め合った。
だがその度に、ナインの心は深く深く傷ついていった。
その訃報は、半日で街中に広まった。
庶民の人気の高さと、国王が授ける階級は、必ずしも一致していないといういい事例だ。クオンの兄姉たちによる冷たい仕打ちは、彼の人気の高さを妬んでのことだったのかもしれない。
クオンの葬儀が行われ、喪が明けると、ナインはニアライト家に居場所がなくなった。
クオンがいなくなってしまった今、ナインが留まる理由は何も無かった。そして、一族の中には誰も引き取ろうとする者はいなかった。誰か引き取り手がいたとしても、ナインはそれを拒んだだろう。
現当主ニアライト・アランは、面会に来たナインを冷たくあしらった。
「ふん。調子に乗るな。体面のために葬儀を行ってやったのだ。そうでなければ誰があんな女の子どもなんかに、葬儀を出してやるものか」
ナインは歯を喰いしばって耐えた。
クオンの言葉を思い出し、アランの言葉にじっと耐えた。
『俺は父と母の名を汚されることだけは許せない。だが“怒り”を抱くことはない。それは神が心を試しているのだ』
「アラン様、お願いがございます。父上のこの剣と盾と鎧を、どうか私に譲って頂きたい。もう一つ、ニアライトの姓を、正式に授けて頂きたいのです。それさえ叶えば、他には何も望みません」
クオンの鎧を身に纏い、クオンの剣と盾を持ったナインは、クオンと瓜二つであった。
それがアランには気に入らなかった。
「ならん。クオンの遺品は、何一つとして貴様にはやらん。当主である俺が認めていないのだから、貴様はクオンの養子でもなんでもないのだ。こうして話す時間を割いてもらっただけでもありがたいと思え」
「父上の蔵書の中には、値打ちのあるものもございます。聖教会に所属する父は、そのすべてを教会に寄贈することを約束しておりました。いかに当主といえども、いえ、当主であればこそ、この約束を覆すわけには参りません。ですが私ならば、父の書斎からそれらの本を抜き取ることが可能でございます」
「そういうことか、分かった。だが鎧はやれんぞ。鎧は聖騎士の証として教会から贈られたものだ。したがって、聖騎士でない貴様にやることはできん。教会に返還する。そして、ニアライトの名を名乗ることも許さぬ。剣と盾だけは持っていくがいい」
「分かりました。寛大なご処置に感謝致します」
続いて、ナインは聖騎士宿舎へと足を向けた。
鎧の返還や、アランと約束した書籍を抜き出すという目的もあったが、ナインにとって、それよりも大事なことがあった。
宿舎には、黒騎士が持つ漆黒の剣によって心を壊されてしまったキャスがいる。キャスはどこに連れて行っても、目を離した隙に抜け出して、聖騎士宿舎にあるナインの部屋の窓を叩きにやってくる。そのため、今ではナインの部屋に住まわせてある。
あのとき、黒騎士ルドラはキャスの身体ではなく精神を貫いたのだ。漆黒の剣には、肉体でなく心のみを壊す力もあった。
ナインは自分の部屋へ戻る前に、クオンの部屋からいくつかの本を持ち出していた。
剣と盾をもらう代わりに、いくつかの本をアランへ渡すことについては、すでに大司教からの許可を得ている。クオンの葬儀の際、大司教からそうすると良いと助言されたのだ。
大司教は、ニアライト・アランの性格を熟知しており、また、これからのナインの行動もお見通しだったのだ。
そうして大司教は、クオンのつけていたロザリオを見せてこう言った。
『いつか君の首にこれを掛ける日が来ることを祈っておるよ。それまではワシが預かっておく』
つまり大司教は、ナインに『聖騎士になれ』と言ったのだ。
しかし、ナインには頷くことができなかった。自分にクオンのロザリオを受け継ぐ資格があるのか分からなかったからだ。
ようやく自分の部屋に戻ってきたナインは、長い一日だ、と思った。
まだ日は沈んでいない。少し紅みを帯びてきたところだ。
ドアを開けると、無表情のままのキャスが座っていた。その身体からは生気が全く感じられない。
「キャス、帰ってきたよ。ただいま」
ナインはこの瞬間が一番怖かった。
呼びかけても、呼びかけても、返事が返ってこないことが怖ろしいのだ。愛しい女性が、目の前に、手を伸ばせば届くところにいるのに、こんなに、こんなにも近くにいるのに、その目は虚空を捉えたまま、決して自分を映すことはない。
この苦しみは、誓いを破った罰。
ナインは、命を賭してキャス守るという誓いを立てた。しかし、その誓いを破ってしまった。その誓いを守ることができなかった。
口を開かなければ王都一の美少女なのに、と思っていた日々を思い出す。しかし、目の前の少女は物言わぬ人形だ。
食事、排泄、睡眠。それ以外の行動は何もしない。ただ椅子に座ったまま、どこか遠くを見つめて一日を過ごす。どこか別の場所へ移しても、必ずナインの部屋の窓の下に戻ってくる。ナインが窓を開け、手を伸ばすと、わずかに微笑んでその手を掴み、部屋の中へ上ってくる。
それが今のキャスのすべて。
壊された心を癒す方法は、まだ見つかっていない。教会の書庫をひっくり返してみたが、それらしいものは見つからなかった。
今日も反応はないのだろう。
窓の外の遠い空を見るキャスの前に回り込み、再度「ただいま」と言った。
すると、キャスが反応をみせた。ナインの目に焦点が合わさり、二人は正面から見つめ合う形となる。
「キャス……?」
ナインの心臓は高鳴った。キャスの目は、今までナインが見たことのない恋する乙女の瞳だったのだ。
固まって動けないナインの首に、ゆっくりとキャスの両手がまわされる。
キャスの顔がさらにゆっくりとナインに近づいてゆく。
「ダ、ダメだ……んんっ!?」
キャスはナインの唇を奪い、そのまま吸い続けた。経験がないナインは、何もすることができずされるがままになっていた。
キャスはナインの身を包む鎧を外し始めた。
「愛してる……クオン」
「……ッ!!」
その一言は、ナインの心を貫いた。
キャスはクオンの鎧を纏っていたナインをクオンと間違えていたのだ。
クオンとナインは、顔も声も髪の色も違う。ただ、クオンの鎧に反応した。いつも見ていたクオンのこの鎧に。
この鎧を纏っていた、クオンに。
キャスがこれだけ反応を見せたのは初めてのことだった。
もしかしたら、キャスの心を治せるかもしれない。
もし治ったら、そのときはどんな罰でも甘んじて受け入れよう。
……でももし、もし治らなかったら?
考えがまとまる前にナインが身に付けていた鎧はすべて外されてしまい、二人ともが一糸纏わぬ生まれたままの姿となった。
ナインの思考はそこで止まった。
二人は朝が訪れるまで何度も何度も求め合った。
だがその度に、ナインの心は深く深く傷ついていった。
作品名:君にこの声がとどくように 作家名:村崎右近