自分嫌い同盟
7月の期末試験の二日前。四時限目が終わると、柳川は弁当箱を机の上に置いてお手洗いへ向かった。その後戻ってくると、柳川は異変に気づいた。
(ナプキンがない)
白地にみぃくんの顔がプリントアウトされた手の込んだナプキンである。油断したと彼女は思った。長い間虐められ続けてきた彼女は、学校に手の込んだ小物を一切持ってきていない。だから、精々被害に遭うとしたら教科書やノート、体操服や下着だけだった。そこへきて今回は弁当箱のナプキンだ。早い内に探さないと、ボロボロになって帰ってくるだけだ。そう思っている所へ、秋山が声をかけてきた。
「どうしたのよ」
「みぃくんのナプキンがない」
秋山も柳川の家に行ったことがあるから、直ぐに内容は通じた。秋山は、すぐさま職員室の先生を呼んで事情を説明すると、担任の男性教諭は家に忘れたのではないかと確認した後、そうでないと言われると、食べていた弁当をしまってクラスに向かい、生徒に呼びかけた。がやがやしていた声が一瞬だけ静かになった。
「柳川さんの猫が描かれた白いナプキンが誰かに盗まれました。このクラスには居ないこ
とを信じたいですが、心当たりのある人は先生の所に来るように」
すぐに教室の喧噪が戻った。柳川はもう戻ってこないのだと、先生の横で僅かにため息
をついた。
女は後悔していた。体育館に続く野外に出られる吹き抜けの廊下。その廊下を校門側にでて、体育館の外側に設置されている便所に、放課後彼女は戸惑いながら立っていた。ここは校内で最も掃除が行き届いていない場所で、トイレ独特のもわっとした臭いが鼻をつく。それ故に殆ど人は来ない。
親友を裏切るのに、何もこんな手は使わなくなって良い。柳川を虐めている女子生徒からナプキンを渡されたときそう思った。でも、そうすれば彼女は再び親友の仲間内に戻れる。一人の親友と多数の友達、そのどちらを選ぶというなら、彼女もまた夏美と同じ返事をしたのだった。
ナプキンを来る予定になっている男子に渡して、男子が何かしらナプキンを汚す。男子便所に入って何かしていたと自分が流布する側にまわればおしまいだ。そう、何もかも。その男子が何をするか分からないし、ひょっとするともっと酷い形で彼女に返ってくるかも知れない。そんなことは、もう知らない。これからは赤の他人なんだから。それなのに、待つ間、きりきりと心が真綿で締め上げていくような気がした。
ふと、校門側とは反対の校庭側からサッカーボールが転がってきた。そのボールを追いかけるようにして、制服姿の綱木がやってくる。ボールを手にとったところで、その綱木が、彼女の姿を捕らえた。
「・・・秋山さん?」
「・・・!」
女は咄嗟のことでナプキンを男子トイレに投げ込み校門の方へと逃げ出した。
(何だったんだ)
そう思いながら何かを投げ込まれた男子トイレに近づくと、ナプキンが落ちていた。猫がプリントアウトされた、白いナプキンである。
(これは・・・)
そうだ、昼食の時に教師から言われた、柳川が無くしたナプキンに特徴がよく似ている。汚れがこびりついた床に落ちたナプキンを静かに手に持つと水通場で良く洗って絞った上で、ズボンの後ろポケットに小さく畳んで入れた。
このナプキンを放っておけば、自分は虐めを眺めるだけの傍観者で居られる。けれども正義感や、或いは後ろめたさではない、自分について何かを、このナプキンは与えてくれるかも知れない。彼はそんな一抹の期待を持って、校庭へと戻った。
彼は翌朝、ナプキンを柳川に手渡した。洗濯し干してアイロンまでかけたナプキンを見た彼女は、最初彼に何かしたのと詰め寄ったが、
「ゴミ箱に入れられてたから、洗ったんだ」
という彼の言葉を信じることにした。綱木は、いつぞやの席替えで移った窓際の席へと戻っていった。
一方秋山は、事が予定通りに運ばなかった件で女子生徒から無視を決め込まれていた。そしてその五、六人の女子グループが、わざと柳川に、そして秋山に聞こえるように言った。
「ヤナ子のあれ、捨てたの玲子だって、しかも男子トイレに」
秋山、そして、柳川の二人の間に何かがひび割れた。それだけではなかった。氷塊を削り落とされたように、彼女ら二人の頭の中で、それぞれの世界が暗転した。秋山に、味方は居なかった。自ら切り落としたのだ。女子の昔の友達に、仲間にいれてもらおうなどと思ったのが間違いだとしても、もう戻れなかった。
柳川は最初嘘だと思った。嘘だと信じたかった。彼女には親友と呼べる存在がもう一人しかいないのだ。だから、柳川は、秋山に尋ねた。
「嘘、嘘だよね」
秋山は答えない
「嘘って言ってよ、ねぇ」
秋山は、答えない。
「私達親友だよね、そうだよね」
やがて、柳川の方も見ず言った一言。
「・・・あたしは、親友なんかじゃない」
窓際の席に移ってやりとりを聞いていた綱木は、もう誰もが、このままではいられないだろうと感じずには居られなかった。