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いとこんにゃく
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誰が為にケモノ泣く。Episode02『手のひらに希望を』

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3,伝える言葉、届かぬ想い



 一弥が由良の父、勇の訃報を知ったのは、休日明けの月曜日の朝のことだった。
 
 
 油を引いたフライパンに、太陽のような色味をした溶き卵が滑るようにこぼれ落ちた。
 一弥は朝食の卵焼きを慣れた手つきで丁寧に折りたたんでいく。中はふっくら、表面は焦げ目が付くくらいの焼き加減を目指して調整をし、最後に長方形に形を整える。まな板に卵焼きを移し、包丁を入れると、湯気と共に甘い香りが立ちこめた。
「よし、上出来だ」
 一弥は完成した卵焼きを満足げに眺めて、皿に移した。テーブルには既に白飯と味噌汁が二人分盛られている。
「ふあぁ、いっちゃんおはよ〜」
 まだ寝たりないといった面持ちで欠伸をしながら一弥の姉、柚羽《ゆう》がダイニングに顔を出した。
「おはよ…って!?なんて格好してるんだよ!」
 柚羽の無防備な姿を見た一弥が、びっくりして上擦った声をあげた。
「シャツはだけてる!アネキ見てるから!!」
 豊かな弾みのある胸がッ。と心の中で叫びながらとっさに顔を背ける一弥。戸惑う一弥を余所に柚羽はシャツのボタンをはめ直しながらケラケラと笑って、
「いっちゃんもそろそろこういうのに興味が沸く年頃でしょう?だから、少しでもいっちゃんの欲求不満を解消できれば、と思ってやってみたの。テヘッ」
「意図的かッ。つか、俺はそれほど欲求不満してない!」
 年甲斐なく可愛く戯《おど》けてみせる柚羽に一弥は思わずため息をついた。
「…分かった。アネキがそう来るなら、この卵焼きはやらん」
 そう言って、テーブルに置かれた卵焼きをさっと取り上げた。
「いやん、待って!あたし、いっちゃんの卵焼き食べないと一日仕事できない!」
 柚羽は椅子から慌てて立ち上がり、抗議の声を上げる。
「…じゃあ、俺の欲求不満を加速させるようなことは今後しないって約束してくれ」
「えー、つまんないじゃない?」
 唇を尖らせる柚羽を一弥はジト目で睨むが、柚羽は満面の笑みで両手を突き出す。
「ふぅ…意地の悪いアネキを持つと苦労する」
 自分でも甘いなと思いつつ、柚羽が不機嫌を損ねると自分が更なる被害者になるだけなので渋々と卵焼きを柚羽に手渡した。
「いっちゃんは本当に優しいわ。さて、朝食にしましょ♪」
 卵焼きを無事取り返して、鼻歌を歌いながら幸せそうに卵焼きをつまみ始める柚羽。
 一弥はやれやれと息を吐き、椅子に腰を下ろした。


 朝食を済ませた一弥は身支度を整えるために部屋に戻っていた。柚羽は会社の勤怠がフレックス制なので時間を気にせずゆったりとモーニングコーヒーを飲みながら朝刊に目を通している。
 一弥が制服に着替えてダイニングに戻ると、柚羽はいつになく真剣な表情で記事を見つめていた。
「どうしたんだよ、アネキ。マジな顔して…」
 珍しい姉の顔に驚いて訊く一弥に、柚羽は心を落ち着けるかのように深呼吸した。そして、
「由良勇って、鼎ちゃんのお父さん、よね?確か」
「あぁ、そうだけど…」
 突然出てきた由良の名に、一弥は困惑しつつも頷いた。
 何度か由良から手作りのお菓子の差し入れをもらった縁があるので、柚羽も由良とは顔見知りだ。そんな縁もあって、由良の父の誕生日祝いに姉もアドバイザーとして協力している。
 だが、なぜこのタイミングなのか?柚羽は記事のどこを見てそんなことを言い出したのか?もしや――という不吉な答えが頭をよぎった。
 柚羽は伏し目がちに、躊躇う仕草を見せつつも、こう言った。
「…鼎ちゃんのお父さん、亡くなったそうよ」
「……えッ?」
 一弥は耳を疑った。動揺に染まった瞳があてもなく宙を彷徨う。息が詰まりそうだった。
 由良は幼い頃に母親を亡くしている。家族といえる存在は父親一人しかいなかった。
 
『父は、わたしの一番大切な人です』

 誇らしげに父のことを語る由良の嬉しそうな表情が頭に浮かんだ。
「…そんな」
 ――由良は今、どれほどの悲しみを背負っているのだろうか。そう考えると、心が痛んだ。
 誰しもいつかは必ず死ぬ。だが、そうと分かってはいても心のどこかではまだ大丈夫と安心しきっている自分がいる。だからこそ人の死はいつも不意打ちにやってくるのだ。
 もし、自分の家族が死んだら、どんな喪失が自分を襲うのだろうか…。
 そう、考えたときだった。
 ズキリと、左手首に痛みが走った。
「――ッ」
 一弥は顔を顰めて反射的に手首を掴んだ。締め付けるような痛み。同時に自分の身になにが起こっているのかに気づいた。
 ケモノが暴れている…。
 アリシアは悲しみや怒り、諦めといったマイナスの感情はケモノを抑制する力を弱め、ケモノが暴走する危険を高める行為だと言っていた。だが、人は感情を自在にコントロールできるほど器用な生物ではない。まして心が未熟な成長期は感情表現も不安定で、簡単に状況に左右されてしまう危うさをもつ。アリシアはその未発達な部分がケモノに抑え込まれないように、制御補助の役割としてケモノ持ちに【グレイプニール】という秘術を施していた。ケモノ持ちとなった一弥も例外なくその左手首には【グレイプニール】の効果が働いていることを証明する黒い鎖状のアザができている。
 そのアザが痛むということは、一弥の感情に反応したケモノが暴れ、それを抑止するべく秘術の効果が発動しているということだった。
 一弥は悲観的になっていた思考を振り払うと、足早にマンションを出た。
 外に出て、人がいないことを確認し、一弥は制服の袖を捲《まく》った。腕に巻き付くように刻まれた鎖状のアザの周りは赤く腫れて、血が滲み出ていた。


  □■□■


 その後、いつも通り学校に登校した一弥だったが、気持ち的にとても授業を受ける気にはならず、無意識のうちに教室ではなく屋上に足を運んでいた。
 まだ屋上の番人こと、梶眞綾の姿はない。
 一弥は手摺りに背中を預けると、しばらく無心でぼーっと空を見上げた。もやもやとする心をどうにかして落ち着かせられないかと試みる。
 どこまでも続く蒼穹。時間に追われる地上とは正反対にゆったりと流れていく雲。目が眩むほど穢《けが》れなく輝く太陽がとても眩しい。
 だが、リラックス効果はなかなか現れなくて、むしろ焦りを感じ始めた。
「…晴れの日は嫌いだ、か」
 桐生の言葉を、ふと思い出す。

 ――あの日も、緋武呂市は快晴の天気だった。
「悩みなんか吹っ切って、新しく何かを始めようって気分になる陽気だよな」
 そう前向きな気持ちで言った一弥に、桐生は冗談じゃないと首を振った。
「オレは晴れの日は嫌いだ。この清々《すがすが》しさが能天気で、オレの神経を逆撫でする。
 能天気なお前には、分からないだろうな」と、棘だらけで情けもなく吐き捨てた。人をバカした言い方でそのときはムッとしたが、今になって考えると、桐生なりの皮肉が込められていた気がする。

「晴れが嫌いなんて、一度も感じたことはなかったけど…今は、アイツの気持ちが少し分かる気がするな…」
 空にはなんの罪もない。ワガママなのはいつだって、人間だ。
 屋上のドアが開いた。一弥はちょうどドアの正面に立っていたので、来訪者とはすぐに目が合った。
「よう」