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いとこんにゃく
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誰が為にケモノ泣く。Episode02『手のひらに希望を』

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2,ある親子の絆



 日曜日。緋武呂市駅から数十キロ離れた隣町にある叶《かのう》駅前のイタリア料理レストランに由良鼎とその父、勇《いさみ》の姿があった。
 今日は、由良の父親の誕生日だ。父に心の底から喜んでもらえる誕生日を過ごしてほしいという願望を胸に、由良は何年も前から私的な買い物を控え、貯金を貯めていた。そして、念願叶って普段行くことなど叶わない高級料理店に父を食事に誘うことができたのだ。
 母を小さい頃に病気で亡くした由良にとって、勇は唯一の家族だ。勇は仕事と育児を両立させ、親類に頼ることなく由良を男手一つで育ててきた。身を削って自分を育ててくれた父の姿を由良はずっと側で見てきた。父が笑えば、由良も笑えた。父が悲しめば、由良も泣いた。二人は一心同体と言っても過言ではないほど、家族以上の強い絆で結ばれていた。
 フルコースのディナーに舌鼓を打ち、最後のデザートを食べ終えた勇が静かにスプーンを置いた。
「ご馳走様、鼎。とっても美味しかったよ。最高の誕生日を、ありがとう」
「父さんが喜んでくれて、わたしも嬉しいよ。来て良かった」
 二人笑みを交わすと、父が何気なく椅子から立ち上がった。お手洗いかと思い、その後ろ姿を見つめていた由良だったが、ふとあることに気づき、慌てて立ち上がった。
 勇がズボンのポケットから財布を取り出そうとしたのを由良は見逃さなかった。
「父さん!今日はわたしのおごりって言ったでしょう。心配しないで」
「ハハハ、バレちゃったか」
 腕を引っ張る由良に勇は苦笑いした。
「じゃ、改めてお言葉に甘えるよ」
「うん。わたし、会計してくるから外で待っていてね」
 由良はにっこり微笑むと、勇の背中をグイグイと押し出した。至福のひとときを父と過ごすことができて、由良の表情はいつになく明るい。
 由良が会計を済ませ店の外へ出ると、勇は夜のビルの電飾に飾られた人通りの多い駅前広場をじっと眺めていた。行き交う人々の顔は皆楽しげに、夜空の星々のように輝いて見える。
「私は鼎には気を遣わせてばかりだな。今一番遊びたい盛りじゃないか。そんな楽しい時間を私なんかと過ごしてしまって・・・」
「父さん。わたしは後悔なんてしていないよ」
 由良は勇に最後まで喋らせなかった。その先の言葉は聞きたくなかった。
 正直な気持ちを由良は勇に、ひたむきに語った。
「・・・私は、鼎に救われているな。――ありがとう」
 娘の暖かい言葉に、勇は感慨深く微笑んだ。


 駅ホーム。休日ということもあり、午後八時を回ったこの時間帯でもホームにいる人の姿は多かった。手に持ちきれないほどの荷物を持って疲れた表情を見せる家族。別れを惜しむ恋人、そして友人と思われる者たち。ベンチには休日出勤と思われるスーツ姿のサラリーマンが無防備に眠りこけている。由良たちもその中に混じって、帰りの電車の到着を待っていた。
 二番線に電車の到着を告げるアナウンスがホームに流れる。
 由良たちが待っているのは三番線の電車で、この次に到着する予定になっている。
「鼎。苦労させてしまった分、私はお前が幸せになってくれればと本当に思うよ」
「えッ?」
 勇がふと口にした言葉。その言葉の意味を数秒経って理解した由良は、途端に顔を真っ赤に蒸気させた。
「な、なに言ってるの、父さん!そんなのまだ先の話だよッ――」
 そのとき、二番線に電車が到着し、ブレーキの音が由良の声を掻き消した。
 瞬間的に頭に思い浮かんだのは由良が『センパイ』と慕う一弥の顔だった。だが、自分が一方的に好意を寄せているだけなので、自分からことを起こさない限り今以上の進展はないことは分かっていた。一弥は、先輩として後輩である由良を気にかけてくれているだけなのだ。もどかしいが、自分の告白一つで、今の関係が崩れてしまったらと思うと、由良はこのままでもいいかもしれないと心のどこかで妥協していた。しかし、そこを不意に突かれてしまうと、ついつい興奮して顔が熱くなった。
 もぅっ、とむくれる由良を勇は微笑ましく見つめた。
 二人の背後を複数の人間が忙しそうに行き交う。進行の邪魔にならないように勇は由良を移動させ、ホームの端に寄った。
 ベルの音が鳴り、二番線から電車が発車する。
「――ねぇ、父さん」
 もし好きな人がいる、と答えたら父は応援してくれるだろうか。と由良は本音を口にしようとした。
 その横をフラフラとおぼつかない足取り、明らかに泥酔していると思われる青年が通り過ぎる。アルコールの匂いに由良が思わず口を閉ざし、顔を顰めた。咎めるような目で、青年を見る。
 すると、由良の視界に映っていた青年の姿が、突然消えた。
「えッ?」
 由良たちは人混みを避けるために黄色い線ギリギリまで移動していた。
 青年は消えたのではない。
 線路に、落ちたのだ。
「父さん!?」
 誰よりも早く動いたのは勇だった。
 勇は躊躇いなく線路に飛び降りると、落下の衝撃で悶える青年の体を支えて、持ち上げた。
「おい、ヤバイぞ!電車が来るッ」
 誰かが叫ぶ。ほぼ同時に三番線に電車の到着を告げるアナウンスが流れ始めた。
 線路に落ちた青年を目撃していた者達が集まり、勇の手から青年の体を引っ張り上げる。
 由良は、ただただ突然起こった目の前の状況に混乱し、頭が真っ白になっていた。青年を無事ホームに引き上げた者達が今度は勇を助けようと手を伸ばす。
 線路の向こうから電車の音が聞こえてきて、由良はようやく現実に意識を戻した。
「ッ――父さん!!」

 早く助けないと。
 早く、早くッ

 由良は誰よりも勇に向かって大きく手を伸ばした。腕が千切れそうなほど、限界まで指先を伸ばす。
 父に届けと――
 
 後、数センチ…

「危ないぞ!!」

 父の手に届くと思われた直後、由良の体は強い力によって後ろに引っ張られた。

「――あッ」 
 父の手が、急に遠のく。

 そして、鼓膜が破れるかのような甲高いブレーキ音が由良の耳を劈《つんざ》いた。