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いとこんにゃく
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誰が為にケモノ泣く。Episode02『手のひらに希望を』

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 父を失った由良が想い、孤独を埋めるために求めるもの――それは、"思い出"ではなかろうか。
 けして忘れることのない幸せで、いくら年月が経とうとも色褪せない大切な思い出。
「……もしかして」
 一弥は、由良がいつも大事そうに持ち歩いていた"写真"を思い出した。一弥は一度だけその写真を由良に見せてもらったことがあった。
 新築したばかりの新居をバックに由良、勇、そして亡き母親の家族三人が仲睦まじく微笑み合う姿が写っていた。由良はそれをいつでも見られるよう定期入れにしまっていた。
 一弥はそのことを話すと、アリシアはすぐに周防に確認をとらせた。
 返事は思ったよりも早く返ってきた。由良のいた部屋に、定期入れが無造作に落ちていたのを梶が発見したからだ。そして、定期入れには写真が抜けていることも確認した。おそらく由良が持っている。
 一弥は予感を確信に変えた。
「アリシア」
「…分かったわ。一弥に賭けてみましょう」
 アリシアは今かと返事を待つ一弥に頷き返すと、ヘルメットを手に取り一弥に向かって投げた。
「ありがとう」
 礼を言う一弥に、アリシアは「そのセリフはまだ早いわよ」と片目を瞑ってみせた。


  □■□■


 緋晶湖水門近くの住宅地に、由良勇が家族のために建てた一軒家があった。
 だが、家族三人で過ごす時間はあまりに少なかった。家が完成して一年後に由良の母、みちるが他界した。ふたりっきりになってしまった直後、追い打ちをかけるように勇の転職が続いた。悲しみを実感する間もなく、勇は仕事の都合で娘の鼎と共に今のアパートに引っ越した。
 しかし、勇は亡き妻との思い出が詰まった家を売り払う気にはなれず一ヶ月に一度、娘とともに家を訪れては、かつての思い出に浸るかのようにこの家で一日を過ごしていた。
 濃い闇が空を覆い尽くした夜。軒を連ねる家々の電気もそのほとんどが消え、静かに闇の世界へ沈もうとしていた。
「………………父さん」
 人のいないはずの由良邸。暗闇の中で、小さな影がうずくまっていた。
「………………母さん」
 体を丸め、剥き出しの床に座り込んでいるのは由良だった。
 肩にかかる髪は乱れ、小さな唇から漏れる息は、白く荒い。目元は泣き腫らしたせいで真っ赤に染まっていた。由良は、暗がりの中で手に持った一枚の写真をじっと見つめていた。
「………どうして、わたし一人になっちゃったのかな。家族みんなで住むために父さんが建ててくれたのに」
 由良は、込み上げる悲しみを吐き出すのではなく、ぐっと飲み込んだ。
 写真を握る手に力が入り、クシャリと音を立てて家族の姿に皺を刻む。
「……一人でいたって、なんにも楽しくないよ。………響くのはわたしの声だけ。父さんも、母さんの声もここじゃ……聞こえない」
 由良は自分以外誰の姿もない部屋を見回し、力なく項垂れた。今にも消えそうな声で紡がれる言葉の数々は助けを求めているようでもあり、すべてを諦めているようでもあった。
「………ねぇ、そっちに行っても………いいかな?」
 由良は写真に写る父と母に向かって語り掛ける。
「……行くよ。この家も一緒に、持っていく。………三人で一緒に、もう一度暮らそう」
 由良は部屋に充満したガソリンの匂いに耐えながら、足元に置いてあったライターを手に取った。
 ――これで、父さんと母さんに会える。
 由良の顔に、再会を喜ぶ笑みが浮かんだ――そのときだった。

「由良ッ――!!」

 耳に馴染みすぎた、その声に心地よさすら感じる、聞き覚えのある声が音一つない空間に響いた。
「えッ……?」
 由良の唇が震えた。静寂を砕くかのような乱暴な足音はどんどんと近づいてきた。
「……うそ……どうして」
 由良の手から、ライターがこぼれ落ちた。
 タン、と足音が止まった。
「――由良」
 すぐ傍からかけられる自分を呼ぶ声。
「…………………八、センパイ」
 放心状態で振り向いた先には、息を激しく切らせながらも気丈な表情で由良を見つめる一弥の姿があった。
「なんで、ここに――ッ!?」
 由良の言葉は、一弥が彼女を抱き締めたことにより、空気に霧散した。触れる一弥の体温が、冷めきった由良の体も、心も温めていく。
「――泣いていい。辛くて悲しいときはせめて、苦しまないように泣け。悲しみは由良だけが背負う必要なんかないんだ。俺が一緒に、受け止めてやるから」
「……セン…パイ」
 由良の中で最後の防波堤が崩れた。涙がとめどなく溢れ、一気に頬をつたう。泣き尽くしたと思っていた涙が止まらなかった。
 由良は、一弥の腕の中で泣いた。一生分の涙を今すべて流してしまおうと。
「ごめんなさい…」
「謝る必要なんてないさ。こっちこそ遅くなって、ごめんな」
「うぅ…センパイ、センパイ!」
 縋り付いて泣く由良の髪を優しく梳いてやりながら、一弥はほっと胸を撫で下ろした。
「本当に、ごめんなさい…」
 嗚咽に混じって紡がれたその言葉は、天国にいる両親に向けてなのか、助けに来てくれた一弥に向けたものなのか、それとも過ちを侵そうとした自分自身に言ったことなのか、由良本人にもわからずに――涙とともに闇へと溶けて消えた。