屍
「うむ。世の浪人どもの中には謀反を企て、天下のご政道を揺るがさんとする輩も多い。由井正雪のようにな……。火は煙の立たぬうちに消すことが肝要。しっかりと勤めを果たせれよ」
坂木一馬はしかめ面をしたまま、また奥へ去っていった。おこうは一両の小判を繁々と眺める。指先でそっと、小判を撫でた。歯はまだ下唇を強く噛んでいた。
おこうが奉行所を後にして、家へ帰る途中、江戸城のお堀の前を通る。そこに一人の絵描きが城の絵を描いていた。絵描きは隠居した老人で七十にはなろうかという齢だ。
おこうはその絵描きに近寄ると、江戸城の絵を覗き込んだ。
「お上手ですね」
「なに、年寄りの手習いでしてな。することもないので絵でも描いとるわけですわ」
「よかったら、その絵、私にくださらないかしら」
「ほう、こんな色気もない城の絵をなぁ。あんたも物好きじゃな。いや、こんなもんでよかったら持っていっておくんなせぇ」
老人は気前よく、おこうに江戸城の絵を手渡した。それを受け取ったおこうは、老人に一礼すると、急ぎ足に立ち去った。
やがて老人が見えなくなったところで、おこうはおもむろに江戸城の絵を開いて眺めた。その目には殺気のような恨みがこもっている。
「畜生!」
おこうは江戸城の絵を真っ二つに破く。いや、何度も何度も破く。細かい紙切れとなった絵は風に舞い、堀の水面を彩っていた。
時に浪人狩りは幕府の方針であったという。
(了)