宙ぶらりん
小学生の頃からずっと寝付きが悪い。夜、部屋を暗くしてベッドに入っても、しばらくは頭の中で思考を色々な形にこね回す作業に明け暮れてしまって、眠れない。今夜は数時間前の妹との電話のことを思い出し、思考はそこから敷衍していった。
世の中には、自分が良く生きるために大切にしたいことを胸の内の中心にしっかり据えている人達がいる。その人達は、例えば妹の彼氏殿のように、世間でもてはやされる知識教養の類に関しては人並みに及ばなくとも、自分の大切なものを守るために何をすればいいかということをしっかり理解していて、姿勢正しく日々を送っている。そんな人達には、「地に足が着いている」という言葉がよく似合う。
博美もその類の人間であったように思う。彼女は自分がこれと決めたものに関しては目を見張るほどの行動力と没頭力を発揮する。部活動に関してもそうだったが、1番印象に残っているのは、彼女の祖母様が亡くなった時の出来事だった。
博美の祖母様は2年ほど前に急性心不全によって亡くなった。良くしてくれた祖母様を亡くしたことへの悲しみと、同じ屋根の下で暮らしながら病気の兆候に気付けなかったことへの悔しさにうちひしがれた彼女は、悲嘆の状態から立ち直った後、めったに買わない本を購入したりなどして、祖母様の死因となった病気についてその兆候を知る方法や予防策などを取り憑かれたように勉強し始めた。そのうち彼女の学習対象は健康に関する知識全般にまで広がっていき、2ヶ月も経つ頃には、こちらから尋ねてもいないのに日々の食生活などについて僕にもアドバイスをくれるようになったのである。ここまでくるといささか突飛に思えるかもしれないが、大好きな祖母様の命を奪った病気に対する関心や、愛する人を失うやり切れなさをなるべくなら今度は自分の手で防ぎたいという思いが、博美を駆り立てていたのだろう。最終的に彼女はかねてからの夢だった教師を目指すため教育大に進学したが、一時期は看護系の学部を目指すことも視野に入れていた。
自分なりの哲学や価値観を背骨にして生きている人間が新しいものを吸収すると、それらはその背骨を取り巻くようにどんどん高く、太く、強固に積み上がっていくように思う。外から与えられる素材が内なる価値観と有機的に結びついて、そこから生まれる作用は他者に幸せをもたらす。
僕はどうだろうか。僕が大切にしたいことはなんだろうか。そんなことも自分で分かっていないままでは、例えばもし付け焼刃の知識教養などをひたすら身に付けたとしても、きっと誰を幸せにすることもできないし、自分自身も幸せにはなれないのだろう。いつだって世界を変えるのは、鎧それ自体ではなく、鎧を身に付けた、自分の意志で動ける人間なのだから。
これからはもう少し、自分のことと向き合ってみよう、と思った。1番身近にいながら、いつも対話することを怠ってきたこの謎多き男のことを、もう少しだけ知ってあげるよう、努力してみよう。この男の大切なものは何だろう。この男は何に心を惹かれるのだろう。彼に何を与えてやればよいのだろう。
いつの間にか無意識が意識を逆転して、僕は眠りに落ちた。