小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

宙ぶらりん

INDEX|2ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

 僕は現在、神戸の大学の近くにアパートを借りて独り暮らしをしているのだが、地元までは電車に乗って2時間程で帰ることができるので、地元で暮らす数少ない友人と会ったりなどの、ちょっとした用事のために頻繁に帰郷している。昨日も高校時代の友人と昼過ぎから地元で会っていた。
 高校の頃から行きつけのスターバックスで、特に面白いことのない近況を友人と報告し合った。お互い話を出し尽くして、僕がコップに少し残った氷水をストローで虚しく吸っていると、見覚えのある女性が店内へ入ってきた。
 華奢な身体つきに、彫の浅くて端正な顔立ち。博美だった。
 彼女は高校時代に2年ほど僕と付き合い、今年の春、僕に別れを告げた。肩甲骨のあたりまで伸びた長い髪は健在だったが、かつての黒髪は今やミルクチョコレートのような甘い茶色に染められ、よく見ると微妙にウェーブがかかっている。
 僕はこの半年以上、博美のいない生活を受け入れようと努めてきた。この傷から自由にならなければいけないと奮起した。神戸で独り暮らしを始め、地味だが居心地の悪くないサークルにも入り、趣味の読書にも勤しんだ。彼女不在の生活に慣れ、ようやく日常の思考を支配されることはほとんど無くなってきていた。
 半年以上かけてようやく強固なものになったと自負していた僕の自信は、そのたった1度の目撃により脆くも砂塵と化した。まるで、頑丈を売りにしていた鉄筋ビルが巨大な怪獣の一踏みで粉々になってしまうかのように。
 僕の自信が打ち砕かれた大きな要因、これが重要なのだが、彼女は1人で入店してきたのではなかったのだ。隣に男がいたのである。背が高く、細身だがどこか頼もしさを感じさせるバランスの良い体格に、レザーのジャケットがよく似合っていた。彼こそ、私の下から博美を奪っていった淫乱破廉恥塾講師であると考えてまず間違いない。
 悔しいが、彼は実に良い男だった。垢ぬけした外見だがいわゆるチャラチャラしているというような印象は無く、風貌全体から「出来る男」のオーラが溢れ出ていた。僕は情けなさに打ちのめされる。この男の下で今、博美は幸せなのだ。それはそうだろう。大学に入って半年以上経ってもこれといった夢や希望も持たず毎日を消耗品みたいに過ごし、相変わらずタウン&カントリーのTシャツを着ているセンスレスな僕と一緒にいるより、よほど刺激的で官能的で充実感に溢れた日々を過ごせることだろう。
 おそらく博美は僕に気付いていないようであった。友人に提案して僕はその後すぐ店を出た。去り際に改めて一瞥した彼女の姿は、思い出の中にいた彼女よりも、格段に洗練されていて綺麗だった。

 そんな昨日の出来事について、極めて簡潔に下田に話した。彼は視線を下に向け、時々わざとらしくうなずきながら話を聞いていた。
「なるほどな。それで、聞きたいのだが、結局お前の悩みごとというのは何なんだ?」
「いやまぁ、まだ元カノのこと引きずらなきゃいけないのか、めんどくさいなー、って」
「ほぉ。ではその悩みをどうやって解決する?」
 やはり話すべきではなかった。実に面倒くさい。
「解決できないから悩んでるんだよ」
「あのな、お前、大前研一さんの言葉を知っているか。知らないだろうから聞かせてやろう。昨今の日本人に足りないのは『問題解決力』なんだよ。お前、ひたすら頭を抱えて悩んだ挙句に、問題が解消されたことがあるか? ただの1度も無いだろう。悩むのではなく、問題と正面から向き合って建設的に解決しないと、何にもならないんだよ。もしそれができないのなら、また、する気が無いのなら、最初から悩まないことだな」
「わかった。じゃあ悩まない」
「……。あとな、そうやっていつまでも終焉した色恋のことばかりに関心が向くのは、端的に言うと視野が狭いからだ。お前は極めて限定的で狭い輪の中に生きている。そして自分でそのことに気付いていない。もっと広く世界に、そして過去・現在・未来の全てに目を向けて多くのことを学べば、瑣末な人間関係の悩みなどつまらないことに思えてくるぞ」
 前方の扉が開き、講師が教室に入ってきた。下田は僕に一通りの教示を与えて満足したのか、鞄から教科書と何がしかの文庫本を取り出し、文庫本の方を机の下に隠しながら読み始めた。
作品名:宙ぶらりん 作家名:おろち