罪子、辟易する
向田秀一は幼少の頃から、己の周りの人間を侮蔑し続けてきた。厳密にいえばそれは侮蔑とも呼べない。向田秀一は己以外の人間全てを、自分よりワンランク下の下等な生物であるとして位置づけていた。
向田秀一が周りの人間と比べて、極めて優秀な能力を持っていたのは事実であるが、それ以上に彼を極端な思想に持ち上げたのは母親の教育にあった。
貧困に喘ぐシングルマザーであった彼の母親は、息子に劣等感を感じさせたくないがために、息子にある種の思考教育を施した。すなわち、「《向田秀一》はこの世界で選ばれた唯一の高尚な存在であり、他の人間と比べられるべきではない」というものである。
《向田秀一》は母が過労で死に至るまでに、その思考を完全に自身の生き方と符合させた。そして、同時に己の一生があまりに孤独であることに絶望した。
これから先、一生をかけても自分と同じレベルの存在に出会うことはない。周りにいるのは、自分よりも低いレベルにいる「人間」という動物だけである。
己の宿命に嘆き苦しんだ挙句、《向田秀一》はその孤独な一生にひとつの活路を見出すことに成功した。
「ただいま!」
「あ、おかえりなさーい!」
終業し帰宅した《向田秀一》を、玄関先で幼妻が迎える。小さな身体でとてとてと自分に駆け寄る妻を、《向田秀一》は暖かく自分の胸に招きいれた。気持ちよさそうに目を瞑り、顔を自分の胸にこすり付ける妻を、細めた目で愛情深く眺める。
《向田秀一》はこの孤独な世界で、ワンランク下にいる人間達と共に暮らすことを決めていた。
『彼らはその低次元さから、争いや愚行を繰り返している。だから、自分という高位の存在と対等に意見を交わすことは出来ないが、きちんとしつけ(・・・)をすればそれなりにおとなしくしているし、雌に関しては愛玩に耐えうる容姿をしている。自分に噛み付くことのない、しつけ(・・・)た人間たちに囲まれて、彼らをいつくしみ、自分を慰めながら生きていこう』
罪子達からしてみれば、ヒトという同じ主への善行に見える行為も、《向田秀一》にしてみれば己が生活しやすいように、人間をしつけるためのものでしかなかった。
善行によってヒトを従順に馴らす《向田秀一》の行為に、ヒトへの善意は含まれていない。それは単なる作業だった。故に、彼の行う善行は、一つ一つのポイントが低く、それでいて一連の作業として確立されているので、毎日機械的に点数を増やしていくのだった。
今、その腕に抱く妻に対しても《向田秀一》は愛玩以上のものを求めようとはしていない。しかし、子犬のように従順に、愛らしく主人を求める妻の姿には十分満足していたし、不器用ながらも甲斐甲斐しく世話をやこうとする姿には愛着を持っていた。
朝とは違う濃厚な口づけを交わした後、《向田秀一》は小柄な妻を腕に抱きかかえて、寝室へと向かった。孤独な心を慰めるには、この愚かで愛らしい生き物とのふれあいが必要だ。《向田秀一》が真に思うところなど露知らず、幼妻はこれから行われる二人の行為を思って頬を赤らめた。
罪子は寝室のドレッサーに腰掛けるようにして、手に持った書類と《向田秀一》のいるベッドを交互ににらみつけていた。
さて、どうしたものだろうか。
目の前で行われている淫靡な行為は、客観的に見ればごく自然な夫婦の営みに過ぎない。ただ、《向田秀一》が妻を犬や猫のように、一種のペットとして認識している以上、彼の精神的な快楽は、どちらかといえば獣姦じみたものに偏っている。これを獣姦としてカウントするならば、報告すべき「罪」のptに計上しなければならない。
悩んだ末、罪子の出した結論は、「プラスマイナス、ゼロポイント」だった。自分たちの仕事は、「行為」の観察・記録、そして報告だ。その下位情報として意志の有無、報告も含まれるものの、まずは「行為」自体に問題がなければそれらが伴うことはない。
今までも《向田秀一》の「善」の意志が伴わない行為をプラスのポイントとして計上してきたのだ。システムとしての問題はない。
書類をカバンの中にしまいこみ、軋むダブルベッドの方にふと目をやると、その少し上の天井付近でふわふわと漂っていた存在と目があった。それは《向田秀一》の妻の観察を担当している、また「別の罪子」だった。「別の罪子」は、罪子に気づくと、笑ってこちらのほうに手をふってきた。
この「罪子」も人間たちのように《向田秀一》の本心などは知らず、それでいてこの行為を観察しているだろうか。この一方的であさましい、穢れた行為を。
そう思うと、罪子は自分だけがこの世でもっとも不快なものを見せ付けられているような気がして、辟易するのだった。