ぼくとフーボの日々
「なんだかなあ……」
家に帰ったぼくは、狐につままれたような気分でベッドに座った。ひざを触るとあいかわらずぼこぼこしている。
「こういうこともできるのです」
さっきの声が頭にひびいた。
「え?」
「わたしの力です」
「フジツボ?」
「はい。殺さないでとお願いしましたが、無理みたいなので、自分で力を試してみようと思って……」
「何をしたんだ?」
「お医者さんと看護師さんに催眠術をかけたのです。うまくいきました」
「じゃあ、注射で治るっていうのは」
「もちろんうそです。あれは生理食塩水です。ちょっとのどがかわいたものですから」
あまりのことにぼくはことばを失った。
「あのう。ひとつ、お願いがあるのですが……」
ちんもくをやぶって、フジツボが言った。
「また、お願いかい? いいよ。言ってみな」
もう、こうなったらやけくそだ。
「顔を出してもいいでしょうか? そのほうが話しやすいし、わたしにとっても勉強になりますし」
なんていうやつだ。勉強だって? フジツボがなんの勉強するんだ?
「いいけど……顔を出すって、どうやって?」
「こうやって!」
いきなり右のひざの皿の下から、皮膚をつきやぶってフジツボがにょっきり出てきた。
「うひゃ!」
ぼくはビックリして変な悲鳴をあげた。でも、不思議なことに痛みはない。
「ぷは〜〜。外の空気もたまにはすわないと」
フジツボはうれしそうに言った。
「改めまして。フジツボです。と言うか、この名前は人間が分類上つけた名前ですよね」
「まあ、そうだね」
「まさとくん。わたしに名前をつけてくれませんか?」
「なんで? フジツボなんだからそのままでいいじゃん」
「いえいえ。それではわたしの個というモノがないがしろにされたままです。わたしはそんじょそこらのフジツボとはわけがちがうのですから」
なんだか、ずいぶん生意気なヤツだな。言葉づかいはていねいだけど、態度がでかい。
「ぼくからみれば、変わらないよ」
「ですが、こんな知性と教養をかねそなえたフジツボがほかにいるでしょうか?」
「はいはい。わかったよ」
ぼくはフジツボから目をそらして考えるふりをした。
どう見たって、フジツボじゃん。いやまてよ。ひざの下から顔を出したようすは、まるで『オデキ』みたいじゃないか……。
ぼくがだまっていたら、しびれを切らしたらしく、フジツボが言った。
「それほど立派な名前でなくていいのです。まあ、ちょっとかわいい感じでも」
いちいちうるさいヤツだな。フジツボ……。フーボ……。
「あ、そうだ。フーボ。フーボっていうのはどう?」
「うーーん。まあ、いいでしょう」
まったく、カンにさわるヤツだ。
「名前が決まったところで、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
ぼくはぶっきらぼうに答えて、ゲームのコントローラーに手を伸ばした。すると、フーボがまた話し始めた。
「さっそくですが、まさとくんにしてほしいことがあるのです」
「ええ? またかい?」
せっかくゲームをやろうと思ったのに。めんどくさいな。
「わたしは潮間帯の生き物です。今はまだ外に出ていてもいいのですが、基本的には海の中にいるので、わたしの身体は海水が必要です」
「で?」
「はい。普段の環境をそういう風にしていただけませんか? まさとくんがおうちにいる間だけでも」
なんだよ。迷惑かけないなんて言って、勝手なもんだ。
「って。どうすりゃいいんだよ」
「海水と同じ濃度の潮水を作って、ガーゼか脱脂綿にしみこませてわたしの身体を包んでください。あ、くれぐれも塩は精製したモノではなくて天然のもので」
まったく注文の多いヤツだな。いそうろうのくせに。
「じゃあなんで外に出てきたんだ? ぼくの体内にいた方が楽にくらせたんじゃ……」
「わがままを言って申し訳ありません。やはり、新鮮な潮水がいいものですから」
しかたなく、フーボの言うとおり、ぼくはおこづかいをはたいて、天然塩やら脱脂綿やら天然水を買ってきた。
「えっと、海水はだいたい三パーセントの塩分濃度っと……。ということは一リットルに三十グラムか」
そうして作った潮水を脱脂綿にひたすと、ひざっこぞうからオデキのように飛び出しているフーボにかぶせた。
「ふう。生き返りましたぁ」
フーボのやつときたら、ほんとうに気持ちよさそうに大きく息をした。これにはちょっと笑えた。