有刺鉄線
vol.10 苦痛
何気なく口約束をした。圭佑が高校時代恋い焦がれていた先輩を藤崎の店に連れて来ると言う。
あいつめ。言葉の中に藤崎の嫉妬を誘おうという魂胆がある。それは圭佑にしてみれば他愛もない些細なことなのだ。
藤崎も圭佑がいない間、その動向を伺っていたとはいえ、面と向かったこともなく、今は圭佑とどんな風に接しているかを知りたくないわけはなかった。
圭佑の高校時代、美術館で見たふたりは青春群像の一幅の写真のようにさえ思え、記憶に焼き付いていた。自分とは正反対のように思える、美しいギリシャ彫刻のような肉体が想像できた。無駄な贅肉の欠片もない引き締まった長身。今、藤崎の愛人でもある子飼いの部下、加瀬竜二が圭佑よりもむしろ藤崎にとって憎々しい桐野行哉の方に似ている、というのは奇妙なことだった。変なところで復讐しているのか、と思えおかしかった。
少なくとも今は嫉妬より好奇心の方が勝っていた。
ある日の夕方、圭佑は約束通り、先輩を連れてきた。一見してごく当たり前のサラリーマン、といった風情だった。確かに長身であり腹部は固そうに引き締まっているのが感じ取れたが、どことなく生活に疲れ圭佑に比べると若さを失っている男だった。
が、圭佑の方は単純に喜び、わざと藤崎に馴れ馴れしい態度を取って見せる。カウンターの中に入りこみ、藤崎の肩にしなだれてウィスキーの注文をする。藤崎には圭佑の悪巧みは承知なのだが、あえて放っておいた。行哉の方をちらりと見ると明らかに圭佑の行動に苛立っているのが知れる。藤崎を見る目に怒りがあった。ただおとなしい男でそれを見せまいとそっぽを向いてしまった。
こんな店に来ても行哉と言う男は圭佑に触れるわけでもなく当たり前の友人のように振る舞っている。圭佑への気持ちが表れるのはその目だけだった。矢継ぎ早に話す圭佑の唇の動きを絶え間なく見ている。同じように表情豊かな手の動きを、そして視線が圭佑の何もかもを写し取ろうとしているかのように圭佑の首筋に胸に腕にそして耳や鼻腔やまつげの動きにも、注がれているのを藤崎は見た。多分俺と同じなのだ、と思う。
この夜、圭佑はアイスピックで己の手の甲を突き刺しその血を浴びて赤く染まった。いつもの常軌を逸した悪ふざけだが、もしかしたらこの時もこっそりクスリをやっていたのかもしれない。
赤い血に染まり、眉をしかめて苦痛に堪える圭佑に抑えきれない欲情を感じたのは藤崎だけではなかった。