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56.カエデ



「何してんだぁ、オメェ!」

 私がふけさんからのメールを待っていると、不意に後ろから声をかけられた。

「あ、あ、あわわわわ」

 私がおそるおそる振り向くと、そこには店長さんがいた。店長さんの顔にはまだ、私が殴った後があり、薄っすら赤く腫れていた。  
 私はあまりに突然のことで、しかも店長さんの口調が怒っているようだったので、なんと言って良いのかわからず、「あわわわわ」と言うことしかできなかった。

「あれ? なんでぇ、カエデちゃんじゃないの? 泥棒かと思ったよ。何しに来たの?」

 どうしよう!? 謝らないと なんて言えばいいの? そうだ、とりあえず頭を下げなくちゃ いや、やっぱりここは土下座か? 
 私がそんなことを考えながらアタフタしていると、店長さんは目を丸くしながら私のことをマジマジと見た。

「その動き、デビュー曲のダンスかえ? おもしろい動きだねぇ。ささ、そんなところに突っ立ってないで、こっちにお座りよ。今お茶だすからね」

 店長さんは私の顔を見て怒るどころか、気さくに笑っていた。

「お、怒ってないんですか!?」

 私は鳩が豆鉄砲くらった様な顔で驚いた。怒っていない? 何故? 理不尽に殴られたのに、なんで怒っていないの!?

「なんのこと?」

 店長さんはとぼけた顔で、お茶を入れていた。

「き、昨日、店長さんを、殴ってしまったこと……」

「あぁ、昨日のこと? いやー、人に殴られたのは久しぶりだったなぁ」

 店長さんは世間話をするようなテンションで「ガハハ」と笑っていた。

「ほれ、これ食ってみんしゃい」

 そして、唐突に店長さんは私に黒い豆腐を差し出した。

「これは……」

 昨日あれほど不味いと言った暗黒豆腐を今出してくるということは、これは私に対する嫌がらせだろうか? にこやかな顔をしているけれど、やっぱり腹の中は私に対する憎悪でいっぱいなのだろうか? 

「いただきます」

 いろいろな考えが私の頭に錯綜したが、私はとりあえず差し出された黒い豆腐を食べることにした。

「モグモグ……あれ? うそ!?」

 私はまたもや驚いた。あんなに生臭かった暗黒豆腐の臭味(くさみ)が、キレイサッパリなくなっていたのだ。

「どうでぇ? 昨日カエデちゃんに『生臭い』って言われて、殴られただろ? そのとき、思ったんだぁ。周りの人の好意に甘えて、不味い豆腐を作り続けるのはダメだって。調理をしなくてもおいしく食べられる暗黒豆腐を作ろうってな。カエデちゃん、ありがとな」

 急に、涙が出てきた。私のことを怒るどころか、私に感謝をしてくれた店長さんの気持ちが嬉しくて、涙が止まらなかった。

「で、味はどうでぇ? 美味いかえ? 昨日徹夜で作ったんだけどぉ……」

 店長さんは味の感想が気になっているらしく、私の涙など気にも留めず聞いてきた。私は服の袖で涙と鼻水を拭い、答えた。

「生臭さはなくなりましたけど、不味いです」

 店長さんは頭を抱えて「あちゃー!」と言っていた。私はそんな店長さんのしぐさを見て、腹を抱えて笑った。ほんと、涙が溢れて止まらないほど、心の底から笑った。