カシューナッツはお好きでしょうか?
55.ふけさん
『これから豆腐屋白角の店長に謝ろうと思うんだけど、何かアドバイスくれない? 勢いで謝ろうと思っていたんだけど、間があいちゃって、不安になってきたの』
私はカエデさんからのメールを見て、ほほえましい気持ちになった。あのカエデさんが素直に謝ろうと決意したことを、嬉しく思った。私は直ぐに返信しようとした。しかし、
「おい! 田中敬一、これからおまえに俺とハルカちゃんの仲を取り持ってもらうための作戦を叩き込む」
川島殿はそれを許してくれなかった。
「川島殿、メールを返信してからじゃだめかね?」
「ダメだ」
「……わかった。それじゃ、手短に頼むよ」
川島殿の目は鋭く、怖かったので私は抵抗することをあきらめた。
まったく、恋に溺れた男ほど、怖い生き物はない。自分より大切な何かを見つけ、それを手にするために自分を投げ捨てることの出来る人間ほど、恐ろしいものはない。
「うん、素直でよろしい。まず、ざっくり言うとだな、お前の役目は“撒き餌さ”だ。残念なことだが、ハルカちゃんはお前に惚れている。そんな状況で、無理に俺のことをアピールしても意味がない……」
川島殿は少しさびしそうな表情でうつむき、黙り込んだ。はやく話を切り上げたかった私は、この無駄な沈黙を破るように言葉を発した。
「要は、そのハルカとかいう女に私が嫌われるようにすれば良いのだろう? そして、川島殿のことをアピールすれば良いのだろう? それで問題ないだろう。私が恋のキューピットになってやろう」
私の言葉を聞いた川島殿は顔を上げ、あきれた顔でため息をついた。その顔を見て、私は少しイラッとした。
「お前、俺の話聞いていた? お前は“撒き餌さ”だって言っただろう? いいか、ハルカちゃんがお前のことを嫌いになったら、俺はどうなる? その風通しの良い頭で考えてみ?」
川島殿のこの発言には心底イラついた。しかし、私は低俗な人間のように、バカみたいに怒鳴り散らすことはせず、あくまでも冷静に対応した。
「用済みだな。だって、そのハルカとかいう女は私と会うために川島殿を利用しているだけなのだから。私という餌がなければ、君みたいな凡人に対して、アイドルが興味を示すわけがない」
私はこのとき、殴られる覚悟をしていた。というか、あえて川島殿が怒りに身を任せて私のことを殴りたくなるような言葉を吐いたのだ。怒りに身を任せて暴力を振るうことでしか、暴れる感情を制御できない低俗なヤツだと、見下してやろうと思ったのだ。そのためには、数発殴られる痛みくらい我慢してやろう。そう、思っていたのだ。
「そうだな。その通りだ。だからお前には“適度に”ハルカちゃんの興味を引き続けてもらいたい。ハルカちゃんが俺と連絡をとらなければいけない状況を常に作り出す、“撒き餌”になってもらいたい」
しかし、川島殿は冷静だった。その、あまりに冷静な川島殿の態度に、私は心底戸惑った。きっと川島殿は私の発言に対して怒り、衝動に身をまかせて私に殴りかかって来ると思っていた。だから私は思わずキョトンとしてしまい、言葉を失った。
「……田中敬一、お前はまだ、本気で恋をしたことがないのだろう? お前に良いことを教えてやる」
川島殿はキョトンとした私の心中を察したのか、淡々と語りだした。
「恋を成就させるには必要なことが2つある。一つは常にしたたかでいること。そして、もう一つは、熱い情熱を同時に持ち合わせていることだ!」
そう言うと、川島殿は思いっきり私の顔をぶん殴った。完全に油断していた私は、殴られた勢いのまま地面にしりもちをついた。
「あわわわわ……」
私はあまりの衝撃に、「あわわわわ」と言うことしかできなかった。
作品名:カシューナッツはお好きでしょうか? 作家名:タコキ